昨日、水前寺成趣園での舞踊団花童の公演を待つ間、久しぶりに「古今伝授之間」を眺めながらひと時を過ごした。
NHK大河ドラマではちょうど室町幕府最後の将軍、足利義昭が織田信長の計略によって上洛する場面が放映されていた。前回だったか登場した肥後細川家の初代、細川藤孝(幽齋)は文武に秀で、将軍足利義昭に仕えた後は、織田信長、豊臣秀吉に重用され、徳川家康が徳川幕府を開いた際は、武家の在るべき姿をレクチャーしたという。さらには、「古今和歌集」を後世に伝承する古今伝授の役割を担った文化人として天皇家からも大事にされたという人物だ。
現在は水前寺成趣園の池の辺に佇む古今伝授之間について、成趣園の説明板には次のように記されている。
▼古今伝授之間の由来
この萱葺の古風な建物を古今伝授之間と申します 今から凡そ四百年程前 京都御所の中に建っていました 後陽成天皇の皇弟 桂宮智仁親王の書院を兼ねた 茶室でございます この部屋で 細川家初代の 細川幽齋公が 桂宮智仁親王に「古今和歌集の解説の奥義」を伝授された由緒深い建物でございます 後に桂宮家に於て 此の建物を永く保存せんが為に その御領地 山城国乙訓郡開田村(現京都府長岡京市)に在る 長岡天満宮の境内に移し 長岡茶屋と申されました その後 明治初年に之を縁故ある細川家に賜り大正元年に水前寺公園正面の現在地に昔の型通り 移築されました 屋内の杉戸には狩野永徳の「雲竜」の墨絵(現在消滅)正面の襖に永徳の門人 海北友松の「竹林七賢人」(現存)の絵があります この建物が建っている場所は 細川藩時代 藩主の「酔月亭」が在った場所です
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NHK大河ドラマではちょうど室町幕府最後の将軍、足利義昭が織田信長の計略によって上洛する場面が放映されていた。前回だったか登場した肥後細川家の初代、細川藤孝(幽齋)は文武に秀で、将軍足利義昭に仕えた後は、織田信長、豊臣秀吉に重用され、徳川家康が徳川幕府を開いた際は、武家の在るべき姿をレクチャーしたという。さらには、「古今和歌集」を後世に伝承する古今伝授の役割を担った文化人として天皇家からも大事にされたという人物だ。
現在は水前寺成趣園の池の辺に佇む古今伝授之間について、成趣園の説明板には次のように記されている。
▼古今伝授之間の由来
この萱葺の古風な建物を古今伝授之間と申します 今から凡そ四百年程前 京都御所の中に建っていました 後陽成天皇の皇弟 桂宮智仁親王の書院を兼ねた 茶室でございます この部屋で 細川家初代の 細川幽齋公が 桂宮智仁親王に「古今和歌集の解説の奥義」を伝授された由緒深い建物でございます 後に桂宮家に於て 此の建物を永く保存せんが為に その御領地 山城国乙訓郡開田村(現京都府長岡京市)に在る 長岡天満宮の境内に移し 長岡茶屋と申されました その後 明治初年に之を縁故ある細川家に賜り大正元年に水前寺公園正面の現在地に昔の型通り 移築されました 屋内の杉戸には狩野永徳の「雲竜」の墨絵(現在消滅)正面の襖に永徳の門人 海北友松の「竹林七賢人」(現存)の絵があります この建物が建っている場所は 細川藩時代 藩主の「酔月亭」が在った場所です
古今伝授之間保存会
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