徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

山中節(石川県民謡)

2023-02-25 19:22:21 | 音楽芸能
 今日、名曲アルバム(NHK-G)で石川県民謡の「山中節」が取り上げられていた。全国に数多ある民謡の中でも「磯節」(茨城県)とともに僕が最も好きな民謡である。
 その由来について番組では

山中節をもたらしたのは江戸時代、北前船の船乗りたちだと伝えられる。大阪から北海道への航海を終えた船乗りが、この温泉で疲れをいやし口ずさんだ節を地元の娘たちがまねたのが始まりとされる。

と紹介していた。山中温泉といえば石川県でもかなり内陸部の今の加賀市にある。北前船の寄港地である塩屋港から大聖寺川を遡って来たのだろうか。そのことについての説明はなかった。




 今日の名曲アルバムは3/4(土) 午後2:55 まで次のURLで見逃し配信が見られます。
  名曲アルバム「山中節」

 「山中節」をモチーフとして三味線音楽の大御所本條秀太郎さんが創作されたのが次の
 「雪の山中」。合わせてぜひご覧ください。


最新の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Re:呑兵衛あな様 (FUSA)
2023-02-26 17:22:16
わざわざお調べいただき恐縮です。

北前船の船乗りということで舟運にこだわってしまいました。橋立を基準に考えなくてはいけないんですね。また一つ勉強させていただきました。ありがとうございました。
返信する
Unknown (呑兵衛あな)
2023-02-26 14:01:39
今話題のAIに、「山中節」の始まりとされる加賀の北前船の船頭が山中温泉に来た方法はと聞いてみました。
以下、回答です。
こんにちは、これはBingです。😊
加賀の北前船の船頭が山中温泉に来た方法は、北陸道を通って金沢から加賀橋立に向かい、そこから馬車や徒歩で山中温泉に入ったというのが一般的な説です1。加賀橋立は北前船の船主が多く住んでいた集落で、現在もその当時の建物や文化が残っています23。
山中温泉に来た船頭たちは、松前追分という唄を湯の中で歌いました。それを聞いた浴衣娘(ゆかたべ)たちが真似して歌ったのが山中節の始まりとされています。

後、こんな記事もありました
https://yamanakageigi.com/%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E7%AF%80%E3%81%AE%E7%94%B1%E6%9D%A5
ちなみに「加賀橋立」とは
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%B3%80%E6%A9%8B%E7%AB%8B
返信する
Re:小父さんA様 (FUSA)
2023-02-26 13:34:06
昨日の午後2:50から5分間、NHK総合で放送された「名曲アルバム」をNHKプラスで配信しているものです。

地元ご出身のjuraku-5thさまからコメントをいただき、事情がよくわかりました。ぜひご参照ください。
返信する
Re:juraku-5thさま (FUSA)
2023-02-26 13:18:15
ウワッ!加賀市のご出身でいらっしゃいましたか!失礼いたしました。金沢の方かと思っていました。

北前船の船主さんも大勢いらっしゃいますし、船乗りさんたちも地元の方が多かったというわけですね。なるほど!
それなら山中まで陸路でも慣れたものだったでしょうね。納得いたしました。
ありがとうございました。
「山中節」をますます好きになりそうです(^^♪
返信する
Unknown (小父さんA)
2023-02-26 12:16:53
いきなり目にした「NHK-G」、早速ググってみました。
これはネットを利用した放送なんですか?


>大阪から北海道への航海を終えた船乗りが、この温泉で疲れをいやし口ずさんだ節を地元の娘たちがまねたのが始まりとされる。

これ又興味深いです。
北前船もググって航路を確認しました(笑)
塩屋港から大聖寺川も!(汗)

添付されている ❝山中節 (やまなかぶし) 「石川県民謡」❞ に ❝名曲アルバム「山中節」❞ 及び ❝熊本城本丸御殿 春の宴 俚奏楽 「雪の山中」❞ を拝見しましたが、私には最初の山中節 (やまなかぶし) 「石川県民謡」がとても素朴でいかにも、船乗りが、口ずさんだ節を地元の娘たちがまねて生まれた民謡に聞こえて特に印象に残りました。

有難うございました。
返信する
Unknown (juraku-5th)
2023-02-26 10:24:02
北前船のロマンに魅せられた者、そして加賀市出身としてコメントさせていただきます。
まずは山中節のご紹介ありがとうございます。
加賀市には北前船の船乗りたちを輩出した村がいくつかありました。塩屋もそうですが、当時、北前船の財により日本一の富豪村と呼ばれた橋立が最も有名です。
船乗りたちは春から秋の半年、穏かな日本海を航海し寄港地各地で積み荷の売買しました。穏やかな海とは言え、海難事故はつきもの。また、家族と離れた海の暮らしは過酷とも言えます。
航海から戻った船乗りたちは、冬から春の半年を家族とともにゆっくり過ごす。その湯治場の一つが山中温泉でした。大聖寺川は狭いので山中まで舟では行けませんが、陸路でも三里程度です。
山中温泉の旅館では浴場に山中節を流すところが多いのですが、湯気の中に響く歌声から、船乗りのたちの安堵感や家族への慈しみが伝わってくるように感じます。
長文、失礼しました。
返信する
Re:呑兵衛あな様 (FUSA)
2023-02-25 21:26:09
たしかに舟運が盛んだった時代であったにせよ、そんなに遡ってでも来るかなぁ、というのが正直な感想です。

熊本にも山鹿温泉という古からの温泉があり、菊池川を上り下りする舟運が盛んだったそうですが、遡る時は両岸から引っ張ったりして大変だったと聞きます。

何かその痕跡でも残っているならぜひ紹介してほしかったですね。
返信する
Unknown (呑兵衛あな)
2023-02-25 20:36:36
>そのことについての説明はなかった。

やはりそう思いますか。
石川県の育ちではない私。
退職後に山中温泉でその説明を聞き、不思議です。
あんな海から離れた所に来て流行らせずとも、アワラとか、海に近い所にも温泉があります。
また、来たくなるほどの何かもあった形跡がありません
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。