先月、NHK・Eテレ「こころの時代」で取り上げられた「源氏物語」研究の第一人者、秋山虔先生のことをブログに書いたが、「源氏物語」の著者・紫式部といえば、どうしても同じ平安時代中期に活躍した「枕草子」の清少納言を思い出す。清少納言の方がだいぶ先輩らしいのだが、ともに一条天皇の后である中宮定子と中宮彰子のもとで、それぞれ筆頭格女房(女官)として活躍した。前述の「こころの時代」でも二人の人となりの違いが話題になっていたが、紫式部が「紫式部日記」の中で清少納言のことを悪しざまに言っているのに対し、清少納言の方は紫式部について記述したものは残っていない。中宮に仕えていた時期が重なっていないので、二人に接触があったのかどうかもわからないようだ。二人の仲が悪かったというのは後世の創作のようだ。随筆の清少納言に小説の紫式部。「をかし」の清少納言に対し「あはれ」の紫式部。やはり人となりはだいぶ異なっていたのかもしれない。
その清少納言の父親が、三十六歌仙の一人で肥後国司を務めた清原元輔。91年の生涯を任地熊本で終えた。北岡神社の北側の斜面の下にある小さな清原神社に祀られている。なお、ここには元輔と親交のあった女流歌人・檜垣も祀られている。
今まで断片的にしか知らない「源氏物語」と「枕草子」だが、ネット上ではどちらも現代語訳と合わせて読める。じっくりと読んでみようかと思う。
▼清原神社
その清少納言の父親が、三十六歌仙の一人で肥後国司を務めた清原元輔。91年の生涯を任地熊本で終えた。北岡神社の北側の斜面の下にある小さな清原神社に祀られている。なお、ここには元輔と親交のあった女流歌人・檜垣も祀られている。
今まで断片的にしか知らない「源氏物語」と「枕草子」だが、ネット上ではどちらも現代語訳と合わせて読める。じっくりと読んでみようかと思う。
▼清原神社