読谷村旧伊良皆村落にある「第一尚氏王統三代の陵墓」を訪ねました。
1429年、当時、「北山・中山・南山」の三山に分かれていた琉球を、「尚巴志」が統一し、第一尚氏王統による琉球王国最初の統一王朝が成立しました。しかし、尚泰久王の子尚徳王のとき、前王の重臣であった金丸が王位に就き、第二尚氏王統に替わりました。そのとき、尚徳ゆかりの「平田子」や「屋比久子」が、第一尚氏王統の陵墓「天山陵」から遺骨を運び出し、読谷村伊良皆の「佐敷森」の岩陰に、第一尚氏の三王の遺骨を埋葬したといわれています。埋葬した平田子、屋比久子の墓も、三王の墓の近くに建てられています。
「尚巴志王(しょう はしおう、1372年 - 1439年6月1日、在位1421年 - 1439年)は、尚思紹王の子で、琉球王国・第一尚氏王統、第2代目の国王。神号は勢治高真物(せじたかまもの)。父・思紹、母・美里子の娘の長男として生まれる。父の思紹は、「鮫川大主(さめかわうふぬし)」ともいわれ、伊平屋島から馬天港へ渡ってきた。21歳のとき、父の後を継いで南山の佐敷按司となる。1406年、中山王武寧を攻撃して察度王朝を滅亡させ、首里(現在の那覇市)を首都とした。また父・尚思紹を中山王に即位させた。1416年、北山国を討伐し、次男尚忠を北山監守として北部の抑えにした。1421年、尚思紹王の崩御により中山王に即位。1429年、南山王他魯毎を滅ぼして三山を統一、第一尚氏王統による琉球王国最初の統一王朝を成立させた。在位中は首里城を拡張整備し、王城にふさわしい城とした。あわせて安国山に花木を植え、中山門を創建し外苑を整備した。また那覇港の整備を進め、中国をはじめ日本、朝鮮、南方諸国等、海外諸国との交易を盛んに行い、琉球の繁栄の基礎をもたらした。」
引用(尚巴志王 - Wikipedia尚巴志王 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%9A%E5%B7%B4%E5%BF%97%E7%8E%8B)
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「警告…4WD運転者、並びにバイク運転者へ この地域は、娯楽行為は許可されていません。今日限り辞めて下さい。第18航空団 日本防衛省 読谷村 地主会伊良皆支部」
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とてもきれいな澄んだ水が湧き出しています
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「取水する皆さんへ…取水ポンプのホースは(写真) 新しく作った給水タンクを使用して下さい。お願いします。」
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「お願い…この泉は 伊良皆地区の 霊験あらたかな 拝所であります。そのため 伊良皆区民は 年二度にわたり この泉周辺の美化 並び排水路の 清掃を 行っております。心ある皆さん! どうか下記の事を 厳守して下さい。 1 泉への石や物の投げ込みは やめましょう。 2 衛生車(バッキュームカー)等の ホースを 直接泉内で洗う等の行為はやめましょう。 伊良皆区長」
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従是北六十四間 尚巴志王之墓
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屋比久子之墓
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宮城島 東江門中参拝記念碑 昭和五十七年八月八日建立
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平田子之墓
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「第一尚氏王統 第二代尚巴志王 第三代尚忠王 第四代尚志達王 陵墓」
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