・・・・・あいつとの差は何かって?^^
まず、大筋において^^
人の自然選択上の特徴になんら実質的なちがいはない!^^
そして、
潜在的な知的能力には、
あったとしてもごくささやかな違いだ^^
じゃ~何が違うのか?
ズバリ!!!!『柔軟性』だよ^^
人は反応を発明できる種^^
つまり、
笑わせることや、
怒らせること、
楽しませることや、
悲しませることを共有でき、
心的に政治的な種^^
そして、
本能にまかせた反射ではなく、
反応をし選択できる特殊な能力を持った種なんだよ^^
だから^^
親からの教育だけでは満足しない^^
先生からの教育だけでも満足できない^^
平凡すら満足できず、
普通に悩む^^
逆に言えば、
生物学的にあらかじめ決められている、
限られた反応の束縛から自由なんだ^^
・・・・・その自由は『柔軟性』、
幼いこどもが教育を受け、
まるまる信じ呑み込むような素直な柔らかさ^^
何でも吸収してしまう『柔軟性』^^
つまり、
こどもに特徴的な柔軟な『吸収力と行動』をいつまで維持できるのかなんだよ^^
・・・・・年をいくたび^^
少しづつ『柔軟性』を失わせるような文字と意味をぶつけられることもあるだろう・・・・・
好奇心をおさえこめられてね(あきらめなのか?適応なのか?わからないけど)・・・・・
その不安定な気持ちは、
柔軟な『吸収力と行動』を封じられるからなんだよ。
それでもこどもは柔軟に学習する。
行動の慣習化や慣例的な考え方が進歩を不可能にする。
その結果、
代理戦争の火種をばらまくこともあり、
衰弱し危機を乗り越えられなくなることもある。
こんな危機的な状態の前では、
適当であることは正しくないんだよ。
『柔軟性』、つまり、
こどもに特徴的な『吸収力と行動』を失った結果なんだよ。
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