麻疹という感染症は、1世代前にはほとんどの学童が罹患しました。しかし、麻疹による死亡はきわめてまれでした。19世紀には、麻疹は幼い子どものおもな死因でした。そして、現在も多くの国々では、麻疹で多くの子どもが死亡しています。麻疹は支持療法以外の医学的な対処法がまったくないのですが、先進国の子どもにはすっかり致命的な病気ではなくなりました。
感染症の死亡率が低下したのは、現代のような衛生設備が充実したことによるものではありません。なぜなら、19世紀の主要な死因であった病気は呼吸器系のものであり、飲料水を介したものではなかったからです。現在では空調設備による特殊な管理方法により隔離することができ密集地での感染がまれですが、当時にそんなものはありません。感染症による死亡率が低下してきたのは、栄養の全般的な改善の結果によるものでした。また、この死亡率の低下が実質賃金の増加と関係していることです。ある国では、最低賃金が減少するか増加すると、これに応じて乳児死亡率は増加するか低下します。海外だけではなく、日本でもバブル崩壊後の出生率の低下、結婚率の低下、そして、中絶率の上昇、離婚率の上昇、未婚率の上昇が見受けられ、またそれを文化としつつある傾向がうかがわれます。
ヨーロッパで肺結核が男性よりも女性の方で高い割合で減少したことも、栄養の改善によって説明できます。19世紀には、労働する男性は過程に縛られた女性よりもはるかに良い食べ物を食べていました。イギリスでは、都市の労働者階級の家庭の食卓に食肉を供する余裕があれば、多くの場合それは男性のために取っておかれました。大多数の人々の実質賃金の増加をもたらした社会の複雑な変化(例えばブルジョア革命や明治維新、つまり市民革命)が起こり、それは部分的には人々の栄養の改善に反映し、この栄養の改善が寿命の延命と感染症による死亡率の低下の基盤にあるのです。
結核菌が肺結核を引き起こすと言うことはできるのですが、肺結核の原因は、恣意的で無秩序な機構の操作と19世紀の偏った資本主義の競争状態であったと言うのが、真実にはるかに近いでしょう。しかし未だに医学生たちには、肺結核の原因は結核菌であると相変わらず教えられています。
さらに、感染症が減少したことによって順番待ちをしていた病気の犯人として登場してきたのが、ガンやうつ病などです。実際、ガンなどの直接的で生理的な原因は、汚染物質と産業廃棄物です。さらに、最良の食べ物と飲料水にさえ微量の発ガン物質があることもまぎれもない事実です。しかし、それらが死に至る原因だと主張するのは、ただの、生命をもたないものへの擦り付けでしかありません。作用因と原因のすり替えでしかありません。
汚染物質、産業廃棄物、微量の発ガン物質は、病気と健康障害の作用因です。この特定の物質を取り除けば病気がなくなると思うのは錯覚でしかありません。その他にも順番待ちをしている病気の犯人が待ち構えているからです。少々、感染症からや、ガンになる率よりは劣りますが、必ずとってかわります。あらゆる事業がとってかわる病気を発生させるのは確実です。そして、それに対して病名を与えれば立派な病気となり個人を襲います。生産からの利益の最大化、効率化、あるいは手段をかまわず中央で計画された生産基準を満たすことが、生産の動機づけである限り、あるいは私たちが経済的な必要性や、何らかなものの生産と消費への恣意的で無秩序な機構による調整に捉われている限り、ある汚染物質は別の汚染物質に順番を譲ることのなるでしょう。
アスベストやPVC(ポリ塩化ビニル)は、ガンの原因ではありません。これらは、社会的な原因の作用因です。これらは生産と消費を社会的立場に制約された考え方を反映した多くの偏見からの作用因です。結局は、この偏見を変えることを通してのみ、健康問題の根本的な原因に『反応』するのですね。社会的な関係から、生命をもたない作用因に原因を擦り付け、それによって作用因がそれら自身の影響力と活力を持つように思わせるのは、偏見による操作です。
全体からできている、個の特徴を見つけビジネスに採用するのは確実に成功する秘訣です。でもこれを、ビジネスという限定されたことに採用すると悪しきビジネスも生まれてくるのですね。「オレオレ詐欺」のように・・・・・。私は、生命の繁栄のために、平和のために、採用したいと思っています(^^)
・・・・道草はほどほどにして「協調」の世界へ戻ります(^^;A)
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