【高畑裕太容疑者】について
あるブログのコメントに、
『まだ若い!ただそれだけじゃないのかなぁ~^^
20年30年前よりずっと環境豊かで、ずっと自由になっているからね。
成熟の延期も起きて当然なんだよ^^
法や道徳の緩和は重大な何かが起こらなくては変わらないけど、
個体の変異は常に起こっていることを心に止めておかなくてはならない。
社会に重要なものが常に起こっていると・・・・
その時代のレベルはその時代に似た時代でしか分からない。
常に新しいものが生まれ年老いたものが古くなる。
これは、高等な生き物に関わらず、
当然の自然の摂理だよ^^』
って書いちゃった^^けど、間違えかも知れない。
先祖返りを忘れていた・・・・。
環境や教育によって十分に人は動物としての『本能』だけを育てることができる。
与える側には愛情が満ちあふれているかも知れないけど、
血縁関係や共感度が濃いほどに愛情には道徳心や良心を失わせるきらいがある。
簡単に言って、『自由』は不自由があって成り立つもので、
もともとの『本能』には存在しない感情なんんだよ。
ランダムな愛情によって道徳心や良心は理解され受継がれるけど、
過剰な愛情は時に理解のないままに、野蛮な時代の『本能』を中心とした先祖返りをもたらす。
つまり、道徳感情や良心(共感)を失った勇気を持たない『本能』だけの状態さ。
『子孫の教育者』として指し示す方向は直近の経済や将来を考えるだけではなく、
再び現れてくる性格や性質が環境や教育に応じて反応してくるってことを、
心に止めておかなくてはいけない!
難しい方程式や、難しい漢字を骨格で覚えていられる知能を持っているなら、
もともとの(今ではモザイクがかった)『生命の由来』に基づいた 歴史のありかたも、
頭の片隅に知っておくことが必要なのかも知れないね^^
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