・・・・・・例えば「サラリーマン」「OL]というそれ自体に都合のいい意味を含ませたコード化だ。私たちが成熟し今の過程の状況を今の概念で実況することと同じように、都合のいい意味合いを持たせた概念である。他者には指示と目的により攪乱による変化を求める。
言語そのものは、基本的に観察者により発明された居心地のよいコードである。そして、都合のいい可変プログラムである。しかし、それに対して環境や自然は反論も合意もしてはいない。反論や合意を含むのはその世界(社会)の合意された言語に対してである。そして、環境や自然が語っているように受けるのは、合意されたマニュアルによる観察者の偏りすぎた実験の証明という領域から起こる、不十分な概念から必然的に導き出した幻術、つまりコード化である。
新しい言語も、構成、特定、秩序という関係の三つの段階を踏む。どんな概念にも属さない単一の契機より産出され個の領域としての構成を果たすだけであり、個の領域としての意味があるだけで表現はない。観察の説明をすることによる合意された表現により特定される。合意された表現(概念)には様々な指示的な目的物が含まれ、生得的な快、不快、無視という選択が含まれるため特定の背後関係に変化が生じる。変化とは合意の中でしか変化とは認められず、変化も実は合意であるため、秩序が生じる。変化に対して感じるものすべてが秩序なのである。・・・・つづく。
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