森田 浩之氏が
「東京五輪を開く理由」と題する記事を
書いている。
☆ 記事URL:http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52547
確かに?感があるな。
戦争を知らない世代が作る「戦争映画」において、
かつての名作と競い合うような――。
たとえば、
大岡昇平原作の「野火」のような作品において
戦中世代がたくさん生きていた頃の映像と今の時代のリバイバル作品が
競争関係に立つか。
優劣を決めてやろうというその発想が変なんだよ。
時代が違うんだから
勝ち負けの問題は生じないだろう。
なぜ、そう思えんのだろう。
柳の下の
二匹目のドジョウを金目当てでしか狙っていないから
競争しているような
白昼夢を見るのではないか。
比較はされるだろうけど、
ライバルの関係になっていない。
国民参加型かどうかで
比較する場合、
ボランティアの数が目安になるとは
一応は言える。
しかし、1964年、オリンピックが開かれたのは
10月10日~24日だ。
対するに、
2020年のオリンピックは、
7月24日から8月9日まで行われる。
酷暑の中、
熱中症で死ぬ人が多発することが予測されるにもかかわらずだ。
1964年段階だったら、
国立競技場が破壊されることはなかったろう。
然るに、
2020年のオリンピックでは、
伝統に唾が吐かれ、
無意味な建造物が建設会社の利益ため林立する。
オリンピック招致の発端からして
贈賄疑惑に塗れ、
嘘が当たり前のように付かれた。
福島の復興さえ出汁にされた。
すべては、安倍晋三とその仲間を喜ばす観点から
実質的な治安維持法である
共謀罪も
創設、運用されようとしている。
いわば、国民総締め出しのイベントだ。
ただ、それでも
ボランティア、ボランティアと
1964年当時では言われなかったことが今盛んに言われている。
それは、
国民のただ働きで
甘い汁を吸おうという
労働者派遣制度と発想が同じと言うしかない。
どこまで
国民を愚弄するつもりか。
オリンピックを開く年には
我が国首相・安倍晋三が敬服するCIAのスパイ・岸信介の悲願である憲法改正をして
あたかも日本が戦争に負けなかったことにしてしまおうとする
歴史修正の動きもある。
ほらを吹いて世界の中心で輝く?
一体、
世界のどの国が
そんな茶番に付き合ってくれるだろうか。