2030年代の原発稼働ゼロ信じますか?
なぜ、こんなアンケートがなされるのでしょう。
◎ 原発稼働ゼロを可能
◎ 原発稼働ゼロを不可能
◎ どちらともいえない
の三択です。
答える気がしないです。
野田首相への
餞(はなむけ)以外の何物でもないと考えるからです。
原発推進のため
この人は、全力投球でした。
それを隠すため
わざわざ白々しく掲げたのではないでしょうか。
「2030年代の原発稼働ゼロ」
という政策目標につき、
福井県の西川知事が
「国民的な議論による
方向性とはいかない」と述べ、
牧野副経産相から
「高速増殖原型炉『もんじゅ』が
研究炉とされ、
研究成果が出た後に
廃炉にする方向で
調整している」という説明を受けた点に触れ、
「高速増殖炉の
研究をやめるのか、やめないのか、
はっきりすべきだ。
矛盾したいろいろな問題を提示されては、
きわめて迷惑千万だ。
受け入れ難い状況にある」
とコメントしました。
とってつけたような批判という気がします。
強迫神経症を疑わせる、
ガラスをすり合わす音がしそうな反応でもあります。
次の批判も同じです。
経団連の
米倉弘昌会長は
2030年代の
原発稼働ゼロについて
「とてもじゃないが了承しかねる」と、
強い不快感を示したそうです。
しかし、
茶番にしか見えません。
そもそも
「原発稼働ゼロ」と言ったって、
ただの可能性に言及しただけでしょ。
しかも
2030“年代”ということで
期限は、なんと2039年。
今年は
2012年ですから、
27年も先の話です。
日本の原発なんて
どれもこれも老朽化していて、
いずれにせよ、
すべて廃炉にしてしまわないといけない
時期に来ているのです。
となると、
新規建設しなければ、
当然に
「原発稼働ゼロ」
の状態になるはずです。
原発事故の
想定外の被害の大きさを
思うとき、
「(原発稼働ゼロの状態となることを)
とてもじゃないが
了承しかねる」
という神経こそが
とてもじゃないですけれど、
了承しかねます。
そう思われないですか。
このニュースで
それらしいと感じるのは、
アメリカの反応です。
「原発ゼロ」
という政府方針は、
核燃サイクル政策の放棄に
つながりかねず、
そうなれば、
使用済み核燃料に含まれる
プルトニウムが
行き場を失い、
平和目的を前提に
保有を認める
日米原子力協定の見直し問題が浮上する、
というものです
(毎日新聞、2012年9月14日付朝刊「原発ゼロ政府方針」参照)。
原発をイギリスやフランス、
アメリカに求められるまま使わないのなら
核燃料を取り上げる――、
それがアメリカの主張だと言うのなら、
喜んで
プルトリウムと一緒に
高濃度汚染放射性廃棄物の
お引き取りを願ったらよいでしょう。
なぜ、こんなアンケートがなされるのでしょう。
◎ 原発稼働ゼロを可能
◎ 原発稼働ゼロを不可能
◎ どちらともいえない
の三択です。
答える気がしないです。
野田首相への
餞(はなむけ)以外の何物でもないと考えるからです。
原発推進のため
この人は、全力投球でした。
それを隠すため
わざわざ白々しく掲げたのではないでしょうか。
「2030年代の原発稼働ゼロ」
という政策目標につき、
福井県の西川知事が
「国民的な議論による
方向性とはいかない」と述べ、
牧野副経産相から
「高速増殖原型炉『もんじゅ』が
研究炉とされ、
研究成果が出た後に
廃炉にする方向で
調整している」という説明を受けた点に触れ、
「高速増殖炉の
研究をやめるのか、やめないのか、
はっきりすべきだ。
矛盾したいろいろな問題を提示されては、
きわめて迷惑千万だ。
受け入れ難い状況にある」
とコメントしました。
とってつけたような批判という気がします。
強迫神経症を疑わせる、
ガラスをすり合わす音がしそうな反応でもあります。
次の批判も同じです。
経団連の
米倉弘昌会長は
2030年代の
原発稼働ゼロについて
「とてもじゃないが了承しかねる」と、
強い不快感を示したそうです。
しかし、
茶番にしか見えません。
そもそも
「原発稼働ゼロ」と言ったって、
ただの可能性に言及しただけでしょ。
しかも
2030“年代”ということで
期限は、なんと2039年。
今年は
2012年ですから、
27年も先の話です。
日本の原発なんて
どれもこれも老朽化していて、
いずれにせよ、
すべて廃炉にしてしまわないといけない
時期に来ているのです。
となると、
新規建設しなければ、
当然に
「原発稼働ゼロ」
の状態になるはずです。
原発事故の
想定外の被害の大きさを
思うとき、
「(原発稼働ゼロの状態となることを)
とてもじゃないが
了承しかねる」
という神経こそが
とてもじゃないですけれど、
了承しかねます。
そう思われないですか。
このニュースで
それらしいと感じるのは、
アメリカの反応です。
「原発ゼロ」
という政府方針は、
核燃サイクル政策の放棄に
つながりかねず、
そうなれば、
使用済み核燃料に含まれる
プルトニウムが
行き場を失い、
平和目的を前提に
保有を認める
日米原子力協定の見直し問題が浮上する、
というものです
(毎日新聞、2012年9月14日付朝刊「原発ゼロ政府方針」参照)。
原発をイギリスやフランス、
アメリカに求められるまま使わないのなら
核燃料を取り上げる――、
それがアメリカの主張だと言うのなら、
喜んで
プルトリウムと一緒に
高濃度汚染放射性廃棄物の
お引き取りを願ったらよいでしょう。
しまくった日本ですから、後にはひけないのでしょう。
現実として日本の協力のもと原発を建設してしまった途上国や、
これから建設予定している途上国もあるみたいですし、
なんとか輸出しないと日本の顔が立たないってのが本音じゃあないでしょうか。
平和目的を前提にこういう事故を起こしてしまった以上、
潔く保有を放棄するという豪傑な持ち主の政治家はいるのでしょうか?
なんとなく何やかや理由つけて延ばされる可能性大のような気がします。
この首相は、なぜこのようなことをしでかしたのかと言うと、「原発輸出国事情」として誠意を尽くしたかったからでしょうか。ノンです。アメリカのご意向に逆らう度胸がなかったからに過ぎないです。日本は、独立国じゃないのです。そこを直視しないといけません。原発事故で唯一いいことがあったとしたら、日本の官僚もマスコミもすべてアメリカの方を向いて物申していることが白日の下にさらされたことでしょう。国を愛する気持ちがほんの少しでもあるなら似非愛国者の綿々と袂を分かつべきです。その決断ができたら、どの政治家を選ぶべきか、おのずと明らかであると思います。