4月28日、奈良・ビバリーヒルズで行われた細坪基佳さんのライブの思い出をダラダラと綴っています
白い冬
ふきのとうのデビュー曲です。歌い続けて早40年ってことになりますね
この辺で、私の記憶力はかなり怪しくなっていまして、お話の順序が違っているかもしれません
更に、前に聞いたことがあるお話とごちゃまぜになっているかもしれません
そこら辺を、やさしーい目で見て頂けると、ありがたいのですが。。。
坪さんと山木さんが出会ったのは、札幌にある北海学園大学
たぶん当時は、学園と呼ばれていて、男子ばっかりの大学だったような。。。
私立の大学では、男子は学園、女子は藤、というのが当時、と言われていたんですよ
大学に進学する人が、まだそれ程多いとはいえなかった時代で、私立の大学に通う人は、頭も良いし経済的にもって感じでかな。
そんなんで、学園卒の人で北海道の経済界をリードしてきた人は、けっこう多いんですよ。
そんな事情を、プチ情報として頭の片隅に入れておいてくださいね
志望校を落ちてしまった細坪少年は、即効で札幌の予備校に手続きに行ったそうな
細坪少年が、札幌へ予備校の手続きに行って留守のへ、高校の先生が来たそうな
家にいたご両親に先生は言ったそうな。「生徒に2通りいる。予備校に行って学力が伸びて大学に受かる者と、予備校に行って学力が落ちてまた落ちる者と。お宅の息子さんは、後者、予備校へ行ってダメになるタイプです。よって、予備校へ行かせるのではなく大学へ行かせた方が良い。願書を置いて行くので、ココを受験させてください」
帰宅して細坪少年は、両親から話を聞き、受験を勧められたそうだが、本人は札幌の予備校に通う気マンマンだったため、受けないよと拒否
しかし色々と説得され、受験だけすることにしたけど、受かろうとする気はさらさらなく。。。
がしかし、この時、一緒に5人が受験することになり、他の4人は合格に向けて
狭い町で、5人のうち1人だけ落ちれないじゃない・・・って、それなりに受けたら、受かって。。。なんですって。
そして、学園でフォーク同好会で山木さんに出会って・・・ってなるんですよね
デビュー曲候補は、「夕暮れの街」「帰り道」「白い冬」の3曲で、自分たちは「夕暮れの街」が良いんじゃないかな~って思っていたのに「白い冬」になったことも
高校の友だち・でんすけさんに教えて貰ったジローズの歌。その歌をフォーク同好会で歌っていたら、ヴォーカルの人が、メロディーでもハモリでも坪さんに釣られて、それをみていた山木さんが、その歌なら俺も知っているからちょっと一緒に歌ってみようかって歌ったらバッチリで
そこから二人で歌うようになった・・・とか
『ふきのとう』 結成のいきさつというか、坪さんの昔語りが詳しくなってきたような気がします
何度も聞いたことがある話でも、聞く度にエピソードが1つ2つ多くなっていて。
坪さんも、お話する度に、当時の思い出が甦ってくるのかしら
歳を重ねると、今より昔の事の方が鮮明に思い出せるというか、忘れていた記憶が噴き出してくるというか
坪さんのお話を聞いていると、失敗だったり道を間違えてしまったりしたと思った事も、こうして振り返ってみると、ちっとも失敗じゃないし間違ってもいなかった
全部、1本今の道に繋がっている、なんて思えてしまって不思議な気がします
辛かった涙も苦しかった涙も、笑顔で話せる今になるといいですね
そうなるためにも、今を大切に生きるナーンチャッテネ
坪さんが「心して聞いてね」って言うから、白い冬を心して聞かせていただきました
いつにも増して、伸びやかなロングトーンが会場をぐるりと1周したのが見えた気がしましたよ
関さんのソロパートも、新鮮で関味がにじみ出ていて、結構な余韻でした
さて、たぶんこの曲の時だったと思うのですが。。。
演奏を終えて坪さんが関さんへ一言
細坪:最後の方の間奏でポロンポロンポロンって、いつもは久保田が弾くんだけど、関が弾く気配がないので、自分でやったよ
関さん:あっ、そうでしたすみません、引き継ぎになかったです 細坪君と~の時は、たしか坪さんがやってましたよね
細坪:うん、あの時は俺がやっていた
なんとなーく、以上の会話が気になって、家に帰ってから手持ち&動画の白い冬くんを聞いてみました
するとどうでしょ、いつも耳に馴染んでいたポロンポロンポロンがない演奏がとっても多いのです
ってゆうか、沢山の白い冬くんがあってビックリしました
あ~~、これが40年間の重みなんだな~と思いながら、坪さんの歌声だけはいつも同じで
なんだか、それも凄いことだな~~なんて改めてビックリして感動しちゃいました
細坪君と三浦君のユニットの時で、関さんが伴奏されている白い冬です
細坪君と三浦君『白い冬(ふきのとう)』