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勝堂古墳群「行者塚古墳」(東近江市勝堂町)

↑行者塚古墳

 3月25日(水)午前、赤塚古墳、弁天塚古墳、おから山古墳と共に「行者塚古墳」を訪れた。この古墳は現在は住居に囲まれ、街角の小さな古墳の様相である。

この古墳もこの辺り一帯を支配していた「依智泰氏」一族の墓であろうか。

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勝堂古墳群「行者塚古墳

所在地: 東近江市勝堂町(旧愛知郡湖東町)

行者塚古墳」(古墳時代後期・6世紀末)は48基あったとされる勝堂古墳群のうちの一つである。後世に、墳頂部に行者堂が建造されていたことからその名が呼ばれるようになったとされる。

現在の大きさは、墳頂が平坦な方形を成すため一辺23m、高さ5.3mの方形状となっているが、後世に道路などで削られ、築造当初は30m以上で、円墳であった可能性もあるという。

埋葬施設は横穴式石室で、天井石5枚、側壁4段、奥壁は一枚石で組まれた石室(玄室)は、奥行き約6m、幅約2mと長大である。
このことから平成25年3月19日に滋賀県史跡に指定している。

東近江市勝堂町には、『淡海記』などの江戸時代の文献に48基の古墳があったと記録されている。
現在は、墳丘の形態や石室の構造から古墳時代後期の6世紀後半頃に造られたと考えられる赤塚古墳、弁天塚古墳、行者塚古墳おから山古墳、骨塚(北浦)古墳、朝日塚(山上塚)古墳の6基の古墳が残っており、愛知川中流域の右岸で最も規模の大きな古墳群である。

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