東京五輪アーティスティックスイミング(AS)チーム決勝で、日本は4位に終わり、メダル獲得はならなかった。
エースとして日本代表を支えてきた「乾友紀子」選手(近江八幡市北之庄町出身)を知る地元の人たちは、ねぎらいの言葉を送った。
エースとして日本代表を支えてきた「乾友紀子」選手(近江八幡市北之庄町出身)を知る地元の人たちは、ねぎらいの言葉を送った。
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↑写真:中日新聞より(中央が乾選手)
乾選手の母校近江兄弟社高校で担任だった眞弓寛文さんは7日夜、フリールーティンをテレビで見守った。
「いい表情で演技をしていた。できる限りの力を出し切ったと思う。テレビ画面からチームメートへの気遣いを感じ、人間的に大きくなったなあと実感した」と話した。
乾選手は幼稚園の時、シンクロの五輪メダリスト立花美哉さん(大津市出身)の演技を見て感動し、小学校1年から競技を始めた。
眞弓寛文さんは「長い間、日本代表の中心選手として活躍し、次の世代にアーティスティックスイミングの素晴らしさを伝えてくれた。背負ってきた重荷を下ろし、ゆっくり体を休めてほしい」とねぎらった。
乾選手と親戚の辻権司さんは「デュエットの4位は悔しさもあったと思うが、チームは同じ4位でもやり切ったという充実感を感じた」という。「五輪に3大会続けて出場し、苦しいときもチームを引っ張ってきた。多くの人に感動を与えてくれたと思う」とたたえた。
<中日新聞より>
<中日新聞より>