ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『井筒』~その美しさの後ろに(その14)

2007-09-02 00:31:12 | 能楽
地謡「名ばかりは。在原寺の跡古りて。在原寺の跡古りて。松も老いたる塚の草。これこそそれよ亡き跡の。一叢ずすきの穂に出づるはいつの名残なるらん。草茫々として露深々と古塚の。まことなるかな古への。跡なつかしき気色かな。跡なつかしき気色かな

とても淋しい、それでいて趣のある名文ですね~。この在原寺は、いまは廃墟となっている廃寺ですが、じつは作品の本文中にはその事ははっきりとは書かれていません。ワキの言葉にも「これなる寺を人に問へば」とか「我この寺に旅居して」と具体的な表現はなく、キリにも「在原の寺の鐘もほのぼのと」とありますから、そこに住まいする僧がいる現役の寺(?)のようにさえ読めるのですが、ここは廃寺でないと能が生きてこないでしょう。この上歌の中に「在原寺の跡古りて」と「跡」という言葉があるし、シテの上歌の中で「人目稀なる古寺」とか「月も傾く軒端の草」」と、人気がなく雑草の生えた有様が描かれていること、そして分けても生活の必需品である井戸の作物に薄が付けられていることで生活臭のなさ、人がこの井戸で水を汲む作業を長いこと行っていない事が暗示されている、と考えるべきでしょうね。

そういえば。。「暁ごと」に「閼伽の水」を運ぶこの前シテ。。それなのに井戸は薄が生える放題になっているんですね。「人」が毎日通って水を汲んでいるならば薄がはびこることもないはず。。ひょっとすると、こんなところにも作者の「仕掛け」というか暗喩が隠されているのかもしれない。。

この上歌で前シテはいよいよ動き始めますが、これまたひたすら静かな動作です。

「名ばかりは。在原寺の跡古りて」この打切で後見はシテが先に舞台の床に置いた木葉(あるいは水桶)を取り入れます。シテは「松も老いたる塚の草」より正面に出、「これこそそれよ亡き跡の」と先を見込みます。ワキとの問答の中で「さればその跡のしるしもこれなる塚の陰やらん」と正面を向いたときに見る場所と同じところで、業平の墓である塚は角柱の先の方、お客さまから見ると井筒の作物の左の方に塚がある、ということになります。「一叢ずすきの穂に出づるはいつの名残なるらん」と今度は作物の薄の方へ向いて少し近づき、ヒラキ。「草茫々として」と右へ斜に向いて右・左と荒れた庭を見、「露深々と古塚の」と正面の塚を見ます。それから「まことなるかな古への。跡なつかしき気色かな」と左へ小さく廻って常座へ戻り、「跡なつかしき気色かな」いっぱいに正面に向きトメます。

このあたりの型は何通りかあって、「松も老いたる塚の草」と右へウケる定型の型をしてもよいことになっていますが、これはあとで正面に出るところが忙しくなってしまうためか、あまり行っている演者を見ません。また「これこそそれよ亡き跡の」と正面へ出てヒラキをする型もあり、その場合は「一叢ずすきの穂に出づるはいつの名残なるらん」は作物に向いてそばに寄るだけにします。どちらが型が効くかを演者が選択するわけですが、ぬえはやはり作物にヒラキをする方が自然なように思います。

「草茫々として」ここで右へウケて見回す型が『朝長』ととっても似た風情が出るところですが、ぬえ、去年その『朝長』を演じたせいか、紅入唐織で若女を掛けた姿でこの型をするのは難しいな、と感じました。yはり人生の陰影を色濃く表した表情を持つ深井でならば効くところです。どうもこのへんから、ぬえは『井筒』の前シテを深井を掛けた中年女性で演じるやり方も有効なんじゃないかと思い始めました。

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