ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

東北公演、その後(その5)

2008-10-26 12:47:50 | 能楽
すみません、ちょっと更新が滞りました。。

益田鈍翁の写真を美術雑誌に見つけた ぬえは、早速、その出版社に電話を掛けて事情を説明して、その写真を ぬえの師家の機関誌『橘香』(きっこう)に転載する許可をお願いしてみたところ、お答えは、その写真の所有者に直接許可を求めるように、ということで、銀座のある画廊を紹介されました。

で、今度は画廊に電話を掛けて、お邪魔してご挨拶させて頂き、その場で写真の転載をお願いすることにしました。今考えれば突然の電話でお願いごとばかり。よくまあ無礼なことができたと思います。その時は ぬえはまだ書生をしていて、月刊の機関誌の発行も重要な責任がありましたし、自分の好きな調査のことで熱が入っていた事もあったでしょう。画廊にはおみやげのお菓子ぐらいは持参したと思いますが、なんとも無鉄砲な闖入者ではあったと思います。。

さて画廊の社長さんにお会いして、ぬえがいま師家の「高輪舞台」について調査していること、その舞台や、そこでの演能活動には益田鈍翁の多大な後援があってこそ維持されてきたことなどをお話し、鈍翁について『橘香』誌に記事を書き、そこに美術雑誌で見つけた鈍翁の写真を転載したいことをお願いしました。

社長さんは興味を持って ぬえのお話を聞いてくださり、写真の転載許可もすぐに承諾してくださいました。ところが、その写真のオリジナルの拝借を熱っぽくお願いすると。。現物はどこにあるかわからない、見つけ出すには時間が掛かるし、そんな時間もない、とのこと。「だいたい、私はアンタとは何の関係もないんだしね~」笑って答えられたが。。そりゃそうでした。(・_・、)

でも社長さんは ぬえがお見せした美術雑誌の鈍翁の写真をお目に掛けると「ほおっ、これは良い写真だねえ」と相好を崩されて。そして「よしっ」とおっしゃると、こう続けられました。「先ほども言ったように、写真の現物を見つけだす事はできない。だがこの雑誌に写真が載っているからには、編集部に写真のコピーがあるのだろう。それを編集部に言って借り出して使いなさい。もしも貸さない、と編集部が言ったら、それならば今後は編集部に資料を貸し出すなどの便宜はしない、と私が言ったと言いなさい」

ちょっと過激な。。でも、とっても嬉しいお言葉でした。男気っていうのかな。ぬえはとっても感動したのでした。

結局、美術雑誌の編集部としても部外者に資料を貸し出すのには難しい問題もあるでしょうし、ご迷惑にもなる。。画廊の社長さんとお話をした ぬえは、ようやく、自分の行動が身勝手な面もあるのだと気がついたのでした。そこでぬえは編集部に電話を掛けて、画廊の社長さんとお話をして、写真の使用は許可を頂いた事は申し上げましたが、写真自体は編集部から借り受けるのではなく、雑誌の誌面をコピーして転載させて頂きたい、とお願いしました。この許可はすぐに頂けて、そうして、雑誌誌面からの転載、という形で師家の機関誌『橘香』に鈍翁の写真入りの記事を書くことができた、というわけです。

もう、ずいぶん前の話になりますが、いろいろな方の好意。。師家のご家族や門人、図面を引いてくださった建築家、高輪舞台の跡地にお住まいになっておられる住民の方、雑誌の編集部、画廊の社長さん。。こういった方々のお気持ちがあって、記事が書けたし、また大仰に言えば後世に残す資料ができたのだと思います。