帰宅して師から拝借したDVDを早速再生してみると…なんということでしょう。ついこの度、師家のお蔵の中から発見され、大喜びでデジタル化した、その16mmフィルムの映像が…そこには映っていました。
どういうこと???
そうして、そのあとに、さらにもう1本の映像が続けて記録されていました。タイトルは「HAGOROMO La robe de plumes de la fille du ciel」。内容は三保松原でのエレーヌ夫人の碑の除幕式と同じ『羽衣』ですが、今度は会場を東京の染井能楽堂に移しての上演です。こちらは式典がありませんで、やはり7分程度収録された映像のほとんどが能の上演の記録です。
…と思って見ていたら。あれ? 見所に三保松原でウルウルしていたエレーヌの夫君のマルセルさんがいるではありませんか。それどころか、演能が終わったところで、装束は着たまま、面だけを外した先代の故師が楽屋を訪問したマルセル氏に駆け寄って握手する場面も! さきほど伺った握手の場面とはこれか! おお、それのみならず、今度はマルセル氏に『羽衣』の装束を着せてあげています…
どういうことだろう…。これは推測の域を出ないのですが、この映像はおそらく三保松原での『羽衣』の上演の、東京での凱旋公演のようなものなのではないでしょうか。三保松原の「羽衣の碑」除幕式での演能というものは、当時としてもかなり大きな話題性を持ったイベントであったでしょう。戦後とはいいながら、まだまだ海外の国や人々と一般の日本人が交流する、などという機会は皆無の時代。そこに若くして世を去った薄倖の舞姫がいます。彼女は日本に、三保松原に、そして能『羽衣』に心焦がれて、独学でその世界に身を任せようと努力を重ね、そうしてまだ見ぬ日本に焦がれるような憧憬を持ったまま、志半ばにして世を去ったのでした。
彼女を愛した、これまたまだ若き夫は、せめて彼女の遺志をかなえてやろうと思い立ち、はるばると地球の反対側に、彼女の遺髪を携えてやって来ました。彼女が思い焦がれた三保松原。富士を遠く望む白い渚。まさに天女もうっとりと下界に降り立ち、水浴びをしたくなったのも頷ける美景…そこに佇み亡き美しい妻の幻を追想する若き異国の若者。をを~っ、まさに絵に描いたような美談。
…ところで、天女が水浴びをしていたって…よく考えると海水ですよねえ。髪がガビガビになってしまうんじゃ…ああ、いかん。浮き輪をもってキャッキャッとうれしそうに海水浴している天女を想像してしまった。
え~、話を戻して。σ(^◇^;)
この不幸な若者を見て、土地の古老が話しかけました。お前さん、なんだってそんなに悲しい眼をしていなさるんだ。不意に声を掛けられた失意の若者は、とまどったように答えました。…Pardon? Repetez, s’il vous plait… ああ、なんだかわからなくなってきました…
まあ、そんなこんなの経緯があって、地元ではエレーヌを顕彰するために「羽衣の碑」を建てることとなりました。その除幕式の日…彼女がひと目 見たがっていた本物の能の『羽衣』を上演することになったのです。まさに彼女が夢見ていた光景…それは能という芸能を超えて、まさに地上に、この三保松原に降り立った本物の天女の姿。碑のレリーフに能面を見つめる横顔の構図で刻まれたエレーヌ。その横顔からでも、ちょっと無理はあるかも、ですが、がんばって横目を使えば天女が舞う美しい光景を見ることができたでしょう。
この除幕式に出演し、『羽衣』を舞った先代師匠が、かどうかわかりませんが、心ある人がこの美しい話を広めるために、エレーヌを偲ぶための『羽衣』の上演を、東京で、本式の能楽堂で、再演したのではないか? その記録が三保松原とは別にフィルムに収められたのではないか? というのが ぬえの推測です。
どういうこと???
そうして、そのあとに、さらにもう1本の映像が続けて記録されていました。タイトルは「HAGOROMO La robe de plumes de la fille du ciel」。内容は三保松原でのエレーヌ夫人の碑の除幕式と同じ『羽衣』ですが、今度は会場を東京の染井能楽堂に移しての上演です。こちらは式典がありませんで、やはり7分程度収録された映像のほとんどが能の上演の記録です。
…と思って見ていたら。あれ? 見所に三保松原でウルウルしていたエレーヌの夫君のマルセルさんがいるではありませんか。それどころか、演能が終わったところで、装束は着たまま、面だけを外した先代の故師が楽屋を訪問したマルセル氏に駆け寄って握手する場面も! さきほど伺った握手の場面とはこれか! おお、それのみならず、今度はマルセル氏に『羽衣』の装束を着せてあげています…
どういうことだろう…。これは推測の域を出ないのですが、この映像はおそらく三保松原での『羽衣』の上演の、東京での凱旋公演のようなものなのではないでしょうか。三保松原の「羽衣の碑」除幕式での演能というものは、当時としてもかなり大きな話題性を持ったイベントであったでしょう。戦後とはいいながら、まだまだ海外の国や人々と一般の日本人が交流する、などという機会は皆無の時代。そこに若くして世を去った薄倖の舞姫がいます。彼女は日本に、三保松原に、そして能『羽衣』に心焦がれて、独学でその世界に身を任せようと努力を重ね、そうしてまだ見ぬ日本に焦がれるような憧憬を持ったまま、志半ばにして世を去ったのでした。
彼女を愛した、これまたまだ若き夫は、せめて彼女の遺志をかなえてやろうと思い立ち、はるばると地球の反対側に、彼女の遺髪を携えてやって来ました。彼女が思い焦がれた三保松原。富士を遠く望む白い渚。まさに天女もうっとりと下界に降り立ち、水浴びをしたくなったのも頷ける美景…そこに佇み亡き美しい妻の幻を追想する若き異国の若者。をを~っ、まさに絵に描いたような美談。
…ところで、天女が水浴びをしていたって…よく考えると海水ですよねえ。髪がガビガビになってしまうんじゃ…ああ、いかん。浮き輪をもってキャッキャッとうれしそうに海水浴している天女を想像してしまった。
え~、話を戻して。σ(^◇^;)
この不幸な若者を見て、土地の古老が話しかけました。お前さん、なんだってそんなに悲しい眼をしていなさるんだ。不意に声を掛けられた失意の若者は、とまどったように答えました。…Pardon? Repetez, s’il vous plait… ああ、なんだかわからなくなってきました…
まあ、そんなこんなの経緯があって、地元ではエレーヌを顕彰するために「羽衣の碑」を建てることとなりました。その除幕式の日…彼女がひと目 見たがっていた本物の能の『羽衣』を上演することになったのです。まさに彼女が夢見ていた光景…それは能という芸能を超えて、まさに地上に、この三保松原に降り立った本物の天女の姿。碑のレリーフに能面を見つめる横顔の構図で刻まれたエレーヌ。その横顔からでも、ちょっと無理はあるかも、ですが、がんばって横目を使えば天女が舞う美しい光景を見ることができたでしょう。
この除幕式に出演し、『羽衣』を舞った先代師匠が、かどうかわかりませんが、心ある人がこの美しい話を広めるために、エレーヌを偲ぶための『羽衣』の上演を、東京で、本式の能楽堂で、再演したのではないか? その記録が三保松原とは別にフィルムに収められたのではないか? というのが ぬえの推測です。