ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『自然居士』~「劇能」のおもしろさ(その3)

2010-06-18 01:19:55 | 能楽
雲居寺造営の札…まず以てこの言葉に引っかかりを覚えますね。

自然居士が七日の説法を行っている場所が雲居寺で、その門前に住む間狂言がいる。つまり雲居寺はすでに「造営が成っている」わけではあるまいか? これについて調べたところ、そもそも今はなき雲居寺の場所の特定がかなり詳細に研究されていることがわかりました。有力な説は現在の高台寺(豊臣秀吉の正室 ねねが秀吉の冥福を祈るために建てた寺。東山にある)の場所にあった、というものですが、これは実在の人物らしい自然居士在世のとき(鎌倉時代)には現存していた事がわかっています。ほかにも自然居士の法系をたどって、東福寺(京都駅から見て東南)の塔頭の一つではないか、とか、出身地ではないかと疑われる和泉国の故郷にあった、とか百論があって、この言葉の意味するところは明らかではありません。ここでは「堂塔の修理もしくは拡張」程度に考えておきたいと思います。

ところが。

この、シテが登場して橋掛リ一之松で止まってお客さまに呼び掛けるように、すなわちお客さまを説法の聴衆にすりかえてしまうような斬新な演出は、じつは観世流だけのものなのです。

観世流以外では、同じ上懸リである宝生流も含めて、狂言に呼び出されたシテは、まず狂言に対して 今日が結願の日と触れてあるか、と問い、狂言もそれに答えて説法を勧める、という段取りになります。雰囲気はずいぶん違いますが、『砧』の後ワキの登場場面と共通する演出ですね。観世流だけが違う演出ですので、おそらく観世流がいつの時代にか改変を加えたものだと感じられますが、さりとて、観世流のこの演出は面白いと思います(言葉自体に不審は残るとしても)。

そういえば書き損じていましたが、下懸リでは舞台の冒頭に登場するのは間狂言ではなく、ワキとワキツレです。最初に買い取った子に暇をやったがいまだに帰らないので探しに行く、という布石を敷いて後見座にクツロいで、それから狂言、さらにシテの順番に登場することになります。

ともあれ登場したシテは舞台の中央よりも常座寄りのあたり、太鼓座前などと言い習わしている場所に立ち、間狂言は後見座から床几を持ち出してシテを座らせます。

シテの装束付けは次の通りです。

面=喝食、喝食鬘、襟=白または白・浅黄、着付=白練(または無紅縫箔)、白大口または色大口(師家付ケには浅黄の類とあり)、黒水衣(または紫水衣)、無紅縫入腰帯、掛絡、黒骨金無地扇(師家付ケには無紅扇にもとあり)、水晶数珠

う~ん、着ているもの全体を見れば喝食の面を掛けるシテの類型の扮装とほぼ同じですが…『自然居士』で黒や紫の水衣を着たシテというのは…見たことがありませんね~。この曲のシテは、割と高僧然とした印象があって、着付が白練というのも そういう位の高さを表しているのだと思いますが、その上に黒や、ましてや紫の水衣となると、遊狂の芸尽くしの曲という気分からはかなり逸脱してきます。最初の説法の場面には似つかわしいかも知れませんが…。

これも考えようによっては、そういう真面目な禅僧が、人商人から女児を取り返すために 嫌々ながら芸を見せる、というこの能の台本に添って、わざわざ高い位の僧としての印象をお客さまに与えているのかも知れません。それが烏帽子を着けて鞨鼓を打ち鳴らして舞う違和感を狙っているのかも。しかし実際には『自然居士』ではシテは青色系の水衣を着ているのが実演上は多いように思います。

舞台で床几に掛かり、お客さまに向かって説法を始めると、すぐに子方が橋掛リから登場します。