ぬえの能楽通信blog

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『砧』~夕霧とは何者か(その2)

2013-03-28 09:24:43 | 能楽
ワキが退場するとツレ夕霧は立ち上がり、大小鼓が打切の手を打って「道行」を謡います。

ツレ「この程の。旅の衣の日も添ひて。旅の衣の日も添ひて。幾夕暮の宿ならん。夢も数そふ仮枕。明し暮して程もなく。芦屋の里に着きにけり。芦屋の里に着きにけり。

「道行」は能では言葉通り旅行を表す紀行文で、登場人物が一人の場合の定型として、中ノ打切(夢も数そふ仮枕、のあと)で右へウケ、三足ほど出てから再び元の座に立ち戻る型を致します。都合たった六歩で都から九州に到着するのですから新幹線よりも飛行機よりも速い!

「道行」を謡いきったツレは正面に向き直り、「着きゼリフ」を述べます。

ツレ「急ぎ候程に。芦屋の里に着きて候。やがて案内を申さうずるにて候。

これで九州蘆屋へ到着したことになり、ツレは早速ワキ「蘆屋の某」の屋敷に向かいます。ツレは橋掛リ一之松に立って幕に向かい呼び掛けます。

ツレ「いかに誰か御入り候。都より夕霧が参りたるよし御申し候へ。

これを聞いて大小鼓が「アシライ」を打ち出します。笛が森田流の場合は大小鼓にお付き合いして吹きますが、一噌流の場合は吹かない定めになっています。

「アシライ」は拍子に合わない打ち方で、大鼓は「コイ合」、小鼓は「三地」と呼ばれる最も基本的で音数の少ない手を交互にずっと打ち行くもので、言葉の通り役者のセリフの中~たとえばシテとワキの問答の中などに修飾的に彩りを添えるものです。これをあえて人物の登場に用いるのが「アシライ出シ」で、この『砧』のシテの登場場面もそれにあたります。人物の登場のしかたとしては最も淋しいものの一つで、『砧』では登場する人物が不安に悩んでいる象徴として効果的に使われています。

蛇足ながら「アシライ出シ」とは反対に登場人物の退場に「アシライ」が演奏される場合は「アシライ込ミ」といいます。これもやはり人物の淋しい心の象徴として使われるのがほとんどで、とぼとぼと歩み行く状態の表現ですね。子どもを失った母親が泣く泣くその行方を尋ねて歩み出す場面~狂女物の能の前シテの中入などに多く使われます。このように「アシライ」での登退場は多く淋しさの表現ですから、例外はありますがほとんどの場合シテの動作について打たれる囃子事であるといえます。

シテは幕の内でこの「アシライ」を聞き、大小鼓の「コイ合」「三地」の繰り返しを3つ聞いたところで幕を揚げて登場するのが定めとなっていますが、現実にはそれではちょっと間が延びてしまうので、2つくらいを聞いて出ることもあります。

ところで、このツレの「道行」か一之松での幕への呼び掛け、そしてアシライ出シでシテが登場、という展開は『熊野』とまったく同じ演出ですね。どちらかの作者がもう片方の能の演出を取り入れたのかもしれません。能としては『砧』の方が作は古いので『熊野』が『砧』を参考にしたと考えるのが自然でしょうが、長い上演のブランクがあって再興され、そのときに演出が練り直された『砧』の特殊な事情もあるので、一概にそうとも言い切れないかも。

ちなみに冒頭にワキが登場しない喜多流の場合では、最初にツレが「次第」の囃子で登場して名宣リ、道行と続くので、さらに『熊野』と同じ演出になっています。