気仙沼市・階上(はしかみ)地区の地福寺さまで ぬえらプロジェクトが最初に活動させて頂いたのは震災の翌年の2月でした。震災の3ヶ月後にここを訪れていた ぬえは、当初はご紹介頂いた活動場所のお寺が「階上」にある、と聞いて我が耳を疑いました。それほどこの場所は津波によって目を覆うほどの被害があった場所なのです。まさかその場所でお寺が再建されていて、ぬえらの慰問活動を受け入れるほどにまで復興しているとは、にわかには信じがたかったです。
ところが半信半疑で訪れてみると、立派に本堂は修復されていました。ほんの少し海からは高台に建っていたとはいえ、地福寺さまより海側はガランとした空き地になっています。そうして、やはり地福寺さまも無傷ではなく、本堂は天井近く、梁のあたりまで浸水したとのこと。
それでも地福寺さまでは、震災の直後から和尚さんの片山秀光さんが積極的にイベントや法要を執り行って地域の人々を元気づける活動をなさっておられる、とのこと。弟さんがプロのジャズ・ドラマー バイソン片山さんだということもあり、コンサートなども度々行われていたようです。
ぬえたちは昨年2月にはじめて地福寺さまで活動させて頂きましたが、この日はたまたま震災11ヶ月目の「月命日」に当たっていて、ぬえたちも津波の到来時刻に合わせて弔いのために『江口』の謡と笛を奉納させて頂き、また終演後には和尚さまから夕食にお呼ばれして、かなり長い時間に渡って懇談させて頂きました。これが ぬえにはかなり深く印象に残りまして、片山和尚さまとはぜひ1度 ぬえらのプロジェクトの活動にご一緒して頂きたい、という願望を強く持ちました。
これがこの前日、今年(2013年)3月9日にプロジェクトがリアス・アーク美術館で行った『星と能楽の夕べ』にて片山和尚さまが黙祷を捧げる、という形でついに実現したのでした。
その翌日3月10日には地福寺さんの主催で「明日に向って」という震災メモリアル・コンサートと、それに引き続いて法要が営まれることになっていまして、ここに ぬえらも出演させて頂くことになっていたのです。
ぬえらが地福寺さまに到着した頃には、コンサートも佳境で、お寺の中も出演者とお客さまでごった返すような有様でした。それでも ぬえらの到着を告げると、片山さんは ぬえらのために わざわざ別室の着替え室を用意くださって。。ありがたいことです。
コンサートでは、とくに歌手の庄野真代さんが出演されたのが印象的でしたね。聞けば庄野さんは仮設住宅なども訪問して活動しておられる、とのこと。なんて立派なんでしょ!
ぬえたちはこのコンサートの中ではなく、その後の法要の中での参加が和尚さまからの提案でした。これは破格の扱いですね。
強風のため境内での上演は諦められたようでしたが、法要の中で、韓国の民俗舞踊の方と ぬえらプロジェクトだけが上演を許されました。
壁にそびえるように立つのは地福寺さんの周囲で亡くなった方々の供養のためのご位牌です。ぬえは心を込めて『羽衣』を上演させて頂きました。『羽衣』はめでたい曲ではありますけれども、この日は天界から紫雲に乗って衆生をお救いに下りて来られる普賢菩薩のつもりで。。このときの模様は『河北新報』さんで取り上げて頂きました!
終演後、参加者一同にお食事のご用意を頂いていたようでしたけれども、この日中に石巻に到着しておかねばならず、それは80km離れている距離を思うと、残念ながら和尚さまとの懇親の機会は諦めて出発することに致しました。
こちら、本来ならば法要は境内で行われるはずで、それは強風のため中止になったのですが、大勢のボランティアさんのお力で、竹灯籠やキャンドルが境内に用意されていたのでした。実現すればさぞ幻想的な光景になったのだろうと思います。
で、このリベンジというか。今年の夏に地福寺さまの境内で改めて能を上演する機会を片山和尚さまから頂きました! 今からとっても楽しみにしております~~!
ところが半信半疑で訪れてみると、立派に本堂は修復されていました。ほんの少し海からは高台に建っていたとはいえ、地福寺さまより海側はガランとした空き地になっています。そうして、やはり地福寺さまも無傷ではなく、本堂は天井近く、梁のあたりまで浸水したとのこと。
それでも地福寺さまでは、震災の直後から和尚さんの片山秀光さんが積極的にイベントや法要を執り行って地域の人々を元気づける活動をなさっておられる、とのこと。弟さんがプロのジャズ・ドラマー バイソン片山さんだということもあり、コンサートなども度々行われていたようです。
ぬえたちは昨年2月にはじめて地福寺さまで活動させて頂きましたが、この日はたまたま震災11ヶ月目の「月命日」に当たっていて、ぬえたちも津波の到来時刻に合わせて弔いのために『江口』の謡と笛を奉納させて頂き、また終演後には和尚さまから夕食にお呼ばれして、かなり長い時間に渡って懇談させて頂きました。これが ぬえにはかなり深く印象に残りまして、片山和尚さまとはぜひ1度 ぬえらのプロジェクトの活動にご一緒して頂きたい、という願望を強く持ちました。
これがこの前日、今年(2013年)3月9日にプロジェクトがリアス・アーク美術館で行った『星と能楽の夕べ』にて片山和尚さまが黙祷を捧げる、という形でついに実現したのでした。
その翌日3月10日には地福寺さんの主催で「明日に向って」という震災メモリアル・コンサートと、それに引き続いて法要が営まれることになっていまして、ここに ぬえらも出演させて頂くことになっていたのです。
ぬえらが地福寺さまに到着した頃には、コンサートも佳境で、お寺の中も出演者とお客さまでごった返すような有様でした。それでも ぬえらの到着を告げると、片山さんは ぬえらのために わざわざ別室の着替え室を用意くださって。。ありがたいことです。
コンサートでは、とくに歌手の庄野真代さんが出演されたのが印象的でしたね。聞けば庄野さんは仮設住宅なども訪問して活動しておられる、とのこと。なんて立派なんでしょ!
ぬえたちはこのコンサートの中ではなく、その後の法要の中での参加が和尚さまからの提案でした。これは破格の扱いですね。
強風のため境内での上演は諦められたようでしたが、法要の中で、韓国の民俗舞踊の方と ぬえらプロジェクトだけが上演を許されました。
壁にそびえるように立つのは地福寺さんの周囲で亡くなった方々の供養のためのご位牌です。ぬえは心を込めて『羽衣』を上演させて頂きました。『羽衣』はめでたい曲ではありますけれども、この日は天界から紫雲に乗って衆生をお救いに下りて来られる普賢菩薩のつもりで。。このときの模様は『河北新報』さんで取り上げて頂きました!
終演後、参加者一同にお食事のご用意を頂いていたようでしたけれども、この日中に石巻に到着しておかねばならず、それは80km離れている距離を思うと、残念ながら和尚さまとの懇親の機会は諦めて出発することに致しました。
こちら、本来ならば法要は境内で行われるはずで、それは強風のため中止になったのですが、大勢のボランティアさんのお力で、竹灯籠やキャンドルが境内に用意されていたのでした。実現すればさぞ幻想的な光景になったのだろうと思います。
で、このリベンジというか。今年の夏に地福寺さまの境内で改めて能を上演する機会を片山和尚さまから頂きました! 今からとっても楽しみにしております~~!