このところ時間がなくてすみません。。新作はあるわ、シテの代役はあるわ、また新作はあるわ、伊豆では子ども創作能 がんばりました~、はあるわ、コミュニティFMへの出演はあるわ。。
とか言っているうちに来週はまた東北の活動に出かけるのでした~。これも準備段階でハプニング続出して対応に追われました。いろんな人に迷惑をお掛けしちゃったな。
そういうわけで、8月に行ったこちらの活動の報告をなんとかまとめなくてはなりませぬ。。
【8月16日(土)】
早朝に起床して早々に出発。この日は気仙沼で久しぶりの仮設住宅への訪問です。
今回は住民ボランティアの村上充さんのコーディネートによって実現した「五右衛門ヶ原運動場仮設住宅」での活動ですが、ここはJR大船渡線で気仙沼駅と、そのひとつ手前の新月(にいつき)駅との中間あたりに位置する運動公園に建てられた仮設住宅です。
新月といえば。。新月中学校には、じつは ぬえは震災前に訪れておりまして。。文化庁の事業で師匠はじめ同門一同で学校公演に訪れていたのでした。調べてみたら平成20年のことで、震災よりも3年も前なのですね。このときの事は鮮明に覚えております。高台に建つ学校に広々とした校庭。新しく立派な校舎。
そうしてなにより、子どもたちの印象的な鑑賞態度。校内に入ったところから帰りまで、顔を合わせれば元気な挨拶が交わされます。能の上演のときも熱心でしたし、上演後の質疑応答も活発。ははあ、気仙沼ってこういう子どもたちがいるのか、と妙に感心しました。それが、その後に震災が起こってしまって。
震災の3ヶ月後に ぬえはひとりで気仙沼を訪れ、この新月中にも足を運び、遠巻きに様子を窺っておりました。このとき体育館は避難所になっていて、外には仮設トイレが並び、体育館に沿う手すりには布団が干されてありました。校庭には自衛隊の車両が並び。。その後も機会があるたびに新月中の様子は見守ってますが、いまは校庭に仮設住宅が建っているようですね。
こんなわけで新月という場所には思い入れがある ぬえなのですが、五右衛門ヶ原運動場仮設住宅は、そこからもう少し山あいに入ったところに建っていました。なんでも気仙沼では最大規模の仮設住宅ということで、なるほど大きな仮設住宅です。
がんばって準備を整えて、朝10:00より上演開始。。なんと昨日の「星と能楽の夕べ」よりたくさんの住民さんが集まってくださいました!
まずは能『羽衣』の上演。
それからフルートの浩乃ちゃんによる演奏。この日は一人での演奏だったので、伴奏の音源を用意してもらって、小さなアンプで拡声しての上演となりました。
住民ボランティアでプロジェクトの良き協力者。。あ、気仙沼支部長かな? の村上緑さんもストラップなどプレゼントで協力してくださいました!
それから、仮設ではお待ちかね! 能楽ワークショップに名を借りた住民さんたちとの ふれあいコーナーです。
これは盛り上がったね! 近来まれに見る盛り上がり方でした。
鼓を打つ体験をして頂いたり。。
装束の着付け体験。
そうしたら、なんと観世流で仕舞のお稽古をしておられる、という上品なおばあちゃんが いらっしゃいました。早速『羽衣』の装束を着付けて仕舞の発表会です。うんうん、とっても品格のある美しい舞になりました。おばあちゃん、長絹着たらお嬢さんみたいに見えるし。
最後には、ホワイトボードに節を図説して住民さんみなさんで『高砂』を謡って頂きました。
これはね。今でこそよほど盛り上がったときとか、時間が余るときにしか出来ないのですが、避難所時代には しばしば行っていました。段ボールで仕切を作ってプライバシーを確保している状態の避難所では、住民さんは閉塞状態です。そうして、そういう状態が心と体を蝕んでいくのですよね。
大声を出すことは身体の内側にある筋肉を使う、という作業なのです。それは健康の元。身体を動かすのも不自由な避難所ですが、機会を見つけて大声を出しましょう! と ぬえはずっとお勧めしていました。
今回この五右衛門ヶ原仮設住宅での活動をコーディネートしてくださったのは住民ボランティアの村上充さんですが、この方は避難所のリーダーを経て、現在も医療支援ボランティアを募って積極的に仮設をまわり、住民さんの健康に細心の注意を払っておられます。。ご自分も避難所で ぬえと同じこと。。方法は違っても閉塞した避難所で、いかに住民さんの健康を守るかを考え続け、それが現在までの活動につながっておられます。それだからこそ、ぬえもここでは『高砂』を大声で謡う体験を盛り込みたかったのです。
正午頃にはこの仮設での活動も終わりましたが、荷物を車に積み込んでからも、居残った住民さんたちと いつまでも談笑させて頂きました。うん、ここだけでも今回の活動を実行した意味はある。そんな うれしい気持ちにさせて頂いた活動になりました。住民のみなさん、本当にありがとうございますっ!
とか言っているうちに来週はまた東北の活動に出かけるのでした~。これも準備段階でハプニング続出して対応に追われました。いろんな人に迷惑をお掛けしちゃったな。
そういうわけで、8月に行ったこちらの活動の報告をなんとかまとめなくてはなりませぬ。。
【8月16日(土)】
早朝に起床して早々に出発。この日は気仙沼で久しぶりの仮設住宅への訪問です。
今回は住民ボランティアの村上充さんのコーディネートによって実現した「五右衛門ヶ原運動場仮設住宅」での活動ですが、ここはJR大船渡線で気仙沼駅と、そのひとつ手前の新月(にいつき)駅との中間あたりに位置する運動公園に建てられた仮設住宅です。
新月といえば。。新月中学校には、じつは ぬえは震災前に訪れておりまして。。文化庁の事業で師匠はじめ同門一同で学校公演に訪れていたのでした。調べてみたら平成20年のことで、震災よりも3年も前なのですね。このときの事は鮮明に覚えております。高台に建つ学校に広々とした校庭。新しく立派な校舎。
そうしてなにより、子どもたちの印象的な鑑賞態度。校内に入ったところから帰りまで、顔を合わせれば元気な挨拶が交わされます。能の上演のときも熱心でしたし、上演後の質疑応答も活発。ははあ、気仙沼ってこういう子どもたちがいるのか、と妙に感心しました。それが、その後に震災が起こってしまって。
震災の3ヶ月後に ぬえはひとりで気仙沼を訪れ、この新月中にも足を運び、遠巻きに様子を窺っておりました。このとき体育館は避難所になっていて、外には仮設トイレが並び、体育館に沿う手すりには布団が干されてありました。校庭には自衛隊の車両が並び。。その後も機会があるたびに新月中の様子は見守ってますが、いまは校庭に仮設住宅が建っているようですね。
こんなわけで新月という場所には思い入れがある ぬえなのですが、五右衛門ヶ原運動場仮設住宅は、そこからもう少し山あいに入ったところに建っていました。なんでも気仙沼では最大規模の仮設住宅ということで、なるほど大きな仮設住宅です。
がんばって準備を整えて、朝10:00より上演開始。。なんと昨日の「星と能楽の夕べ」よりたくさんの住民さんが集まってくださいました!
まずは能『羽衣』の上演。
それからフルートの浩乃ちゃんによる演奏。この日は一人での演奏だったので、伴奏の音源を用意してもらって、小さなアンプで拡声しての上演となりました。
住民ボランティアでプロジェクトの良き協力者。。あ、気仙沼支部長かな? の村上緑さんもストラップなどプレゼントで協力してくださいました!
それから、仮設ではお待ちかね! 能楽ワークショップに名を借りた住民さんたちとの ふれあいコーナーです。
これは盛り上がったね! 近来まれに見る盛り上がり方でした。
鼓を打つ体験をして頂いたり。。
装束の着付け体験。
そうしたら、なんと観世流で仕舞のお稽古をしておられる、という上品なおばあちゃんが いらっしゃいました。早速『羽衣』の装束を着付けて仕舞の発表会です。うんうん、とっても品格のある美しい舞になりました。おばあちゃん、長絹着たらお嬢さんみたいに見えるし。
最後には、ホワイトボードに節を図説して住民さんみなさんで『高砂』を謡って頂きました。
これはね。今でこそよほど盛り上がったときとか、時間が余るときにしか出来ないのですが、避難所時代には しばしば行っていました。段ボールで仕切を作ってプライバシーを確保している状態の避難所では、住民さんは閉塞状態です。そうして、そういう状態が心と体を蝕んでいくのですよね。
大声を出すことは身体の内側にある筋肉を使う、という作業なのです。それは健康の元。身体を動かすのも不自由な避難所ですが、機会を見つけて大声を出しましょう! と ぬえはずっとお勧めしていました。
今回この五右衛門ヶ原仮設住宅での活動をコーディネートしてくださったのは住民ボランティアの村上充さんですが、この方は避難所のリーダーを経て、現在も医療支援ボランティアを募って積極的に仮設をまわり、住民さんの健康に細心の注意を払っておられます。。ご自分も避難所で ぬえと同じこと。。方法は違っても閉塞した避難所で、いかに住民さんの健康を守るかを考え続け、それが現在までの活動につながっておられます。それだからこそ、ぬえもここでは『高砂』を大声で謡う体験を盛り込みたかったのです。
正午頃にはこの仮設での活動も終わりましたが、荷物を車に積み込んでからも、居残った住民さんたちと いつまでも談笑させて頂きました。うん、ここだけでも今回の活動を実行した意味はある。そんな うれしい気持ちにさせて頂いた活動になりました。住民のみなさん、本当にありがとうございますっ!