ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第13次支援活動<気仙沼・石巻>(その18)~石巻3.11市民追悼の会

2013-06-06 08:05:57 | 能楽の心と癒しプロジェクト
【3月11日(月)】

一夜明けて、震災から2年目のその日。前夜遅くに気仙沼から石巻に到着して「チーム神戸」事務所に泊めて頂きました。ぬえたちと同じようにこの日、湊小学校(元避難所)で開催される「石巻3.11市民追悼の会」の運営に携わるスタッフが続々と集結。震災の年の10月に避難所が閉鎖されるまでの8ヶ月間、「チーム神戸」を中心にいろいろな形で支援活動を行ってきた方々ですが、ぬえには初対面の人の方が多かったです。ずっと石巻に住み続けて住民さんを応援する人、ぬえたちのように何ヶ月に1回ずつしか石巻を訪れることができない人。これらが一堂に会した瞬間でした。。というにはあまりに濃い「打ち合わせ」は深夜まで続くのでした。結婚話も出たけど、あれからどう進展したかなあ。

さて夜も明けて、湊小避難所にずっと安置されていた観音像を「チーム神戸」事務所から湊小学校に運びます。途中、以前まで使われていた旧「チーム神戸」事務所「ふれあいサロン」が解体される途中なのを見ました。震災で被害を受けた「内海歯科」さんの建物で、こちらにも ぬえらも何度もお邪魔させて頂いたり泊めて頂き、こちらを会場に住民さんに公演もご覧頂きました。思い出深い建物ですが、被災家屋ということでついに取り壊されることになったのです。



さて会場では ぬえたちが気仙沼で活動している間に、会場の湊小体育館はスタッフさんの協力によってすっかり準備が整っていました。宮城大学の学生ボランティアさんも加わり、避難所時代に各地から寄せられた激励の寄せ書きを壁に貼ったり、写真の展示など、この朝に少し作業があって、ぬえたちは例によって体育館のステージを楽屋に使わせて頂いて、上演の準備に取りかかります。昨年の追悼集会から1年、放置された体育館ステージは埃まみれでしたが、それを考えれば事前の準備では体育館のフロアの掃除も大変だったでしょうね~。笛のTさんは今回PA機器の提供をして、ぬえはBGM音源の担当もさせて頂きました。











山形県から来た曹洞宗のみなさんも例によって炊き出し隊として参加され、また今年は震災の時間に合わせた法要もこちらのお坊さん方が中心となって営まれます。やがて午前11時から追悼集会の開始。ぬえらプロジェクトとしては『龍田』『菊慈童』を勤めさせて頂きました。



震災当時この場所に避難され、その後自宅を再建されたり、仮設住宅に移られた住民さん方が続々と集まって来られます。久しぶりの対面に笑いあう顔・顔・顔。。



そして震災が起こったその時刻には今年も1分間防災サイレンが市内に響き渡り、市民のみなさんがそれぞれに犠牲となった方々へ黙祷を捧げました。

その直後、湊小体育館では法要が営まれました。毎回思うけれど、この時に唱和される山形県の曹洞宗のみなさんの読経のなんと美しいことか!ぬえは毎年感激して拝聴しております。



そうして参列者のみなさんもご本尊の前で焼香されます。地福寺さんとは違って、こちらは仮設の追悼会場ですから位牌もありません。追悼集会も午前11時から16時までと長い時間を取ってあるのも、避難所として湊小に集まった方々は近所の住民さんで、それぞれのご家庭や菩提寺さんで供養は行われておられるだろう、という配慮です。いわば追悼集会でもあり、避難所時代の、言葉は適切でないかもしれませんが、同窓会のような意味もあるのですね。

第13次支援活動<気仙沼・石巻>(その17)~地福寺「明日に向って」

2013-06-05 02:05:30 | 能楽の心と癒しプロジェクト
気仙沼市・階上(はしかみ)地区の地福寺さまで ぬえらプロジェクトが最初に活動させて頂いたのは震災の翌年の2月でした。震災の3ヶ月後にここを訪れていた ぬえは、当初はご紹介頂いた活動場所のお寺が「階上」にある、と聞いて我が耳を疑いました。それほどこの場所は津波によって目を覆うほどの被害があった場所なのです。まさかその場所でお寺が再建されていて、ぬえらの慰問活動を受け入れるほどにまで復興しているとは、にわかには信じがたかったです。

ところが半信半疑で訪れてみると、立派に本堂は修復されていました。ほんの少し海からは高台に建っていたとはいえ、地福寺さまより海側はガランとした空き地になっています。そうして、やはり地福寺さまも無傷ではなく、本堂は天井近く、梁のあたりまで浸水したとのこと。



それでも地福寺さまでは、震災の直後から和尚さんの片山秀光さんが積極的にイベントや法要を執り行って地域の人々を元気づける活動をなさっておられる、とのこと。弟さんがプロのジャズ・ドラマー バイソン片山さんだということもあり、コンサートなども度々行われていたようです。

ぬえたちは昨年2月にはじめて地福寺さまで活動させて頂きましたが、この日はたまたま震災11ヶ月目の「月命日」に当たっていて、ぬえたちも津波の到来時刻に合わせて弔いのために『江口』の謡と笛を奉納させて頂き、また終演後には和尚さまから夕食にお呼ばれして、かなり長い時間に渡って懇談させて頂きました。これが ぬえにはかなり深く印象に残りまして、片山和尚さまとはぜひ1度 ぬえらのプロジェクトの活動にご一緒して頂きたい、という願望を強く持ちました。

これがこの前日、今年(2013年)3月9日にプロジェクトがリアス・アーク美術館で行った『星と能楽の夕べ』にて片山和尚さまが黙祷を捧げる、という形でついに実現したのでした。

その翌日3月10日には地福寺さんの主催で「明日に向って」という震災メモリアル・コンサートと、それに引き続いて法要が営まれることになっていまして、ここに ぬえらも出演させて頂くことになっていたのです。

ぬえらが地福寺さまに到着した頃には、コンサートも佳境で、お寺の中も出演者とお客さまでごった返すような有様でした。それでも ぬえらの到着を告げると、片山さんは ぬえらのために わざわざ別室の着替え室を用意くださって。。ありがたいことです。

コンサートでは、とくに歌手の庄野真代さんが出演されたのが印象的でしたね。聞けば庄野さんは仮設住宅なども訪問して活動しておられる、とのこと。なんて立派なんでしょ!

ぬえたちはこのコンサートの中ではなく、その後の法要の中での参加が和尚さまからの提案でした。これは破格の扱いですね。

強風のため境内での上演は諦められたようでしたが、法要の中で、韓国の民俗舞踊の方と ぬえらプロジェクトだけが上演を許されました。

壁にそびえるように立つのは地福寺さんの周囲で亡くなった方々の供養のためのご位牌です。ぬえは心を込めて『羽衣』を上演させて頂きました。『羽衣』はめでたい曲ではありますけれども、この日は天界から紫雲に乗って衆生をお救いに下りて来られる普賢菩薩のつもりで。。このときの模様は『河北新報』さんで取り上げて頂きました!







終演後、参加者一同にお食事のご用意を頂いていたようでしたけれども、この日中に石巻に到着しておかねばならず、それは80km離れている距離を思うと、残念ながら和尚さまとの懇親の機会は諦めて出発することに致しました。

こちら、本来ならば法要は境内で行われるはずで、それは強風のため中止になったのですが、大勢のボランティアさんのお力で、竹灯籠やキャンドルが境内に用意されていたのでした。実現すればさぞ幻想的な光景になったのだろうと思います。



で、このリベンジというか。今年の夏に地福寺さまの境内で改めて能を上演する機会を片山和尚さまから頂きました! 今からとっても楽しみにしております~~!

第13次支援活動<気仙沼・石巻>(その16)~復興屋台村 気仙沼横丁

2013-06-03 11:26:39 | 能楽の心と癒しプロジェクト
出船を遠く送り出して、さてさて、急いで屋台村に戻りまして、出演の準備。毎度プロジェクトの上演チラシにはなにかとアイデアを出す笛のTさんですが、今回は出色の出来でしたね。

いわく「ランチのあとはお能をどうぞ」。

はは。なるほど~。会場が仮設商店街であり、開演時刻が昼食後の時間帯にあたる午後1時だからからか。でも、このキャッチフレーズは ぬえの心に深く響きました。近来、いろいろな事情がありますが、ぬえらプロジェクトの思いとは別に仮設住宅での活動がめっきり減っている事実。そんな中で仮設商店街での公演が商店街の振興のための上演という意味を事実上負っていること。このメッセージはそんな ぬえの思いを払拭して、仮設商店街での活動の意義を本質的に表した言葉だったと思います。



楽屋ではTさんが、いまさっきこの前で ひょっとこ踊りをやっていたよ~と。ぬえらプロジェクトのほかにもなにやらイベントがあった模様。こちらも開演時刻が迫っていたので急いで装束を着けて、やがて上演となりました。

仮設商店街では商店の振興が主な活動目的です。そこで、今回はじめて上演前に各商店さんを廻ってご挨拶をしてみました。お客さまには「ランチのあとはお能をどうぞ~」「あ、お食事済んでからで結構ですよ」なんて言って廻るのです。商店街を歩いているお客さまには「お買い物なさってくださいね~」とお声がけをして。これが意外に好評でして、以後仮設商店街での上演の際の定番の作業になりました。どうしても ぬえたちは2人だけで活動している事も多いので、上演にももうひとつインパクトを持たせたいな、とは思っていましたので、これは面白いアイデアだったと思います。





さてステージで『羽衣』を上演しました。仮設商店街ではほとんどイベント・ステージが設けられていますね。ボランティア団体さんなどが、さすがに数は少なくなってきている、とは聞いていますが、それでも たびたびイベントなどを催すのでステージが必須になったのでしょう。思えば仮設商店街が設置された最初の頃は、あまりステージやスペースのある商店街は少なかったように思います。ぬえも何度か駐車場を会場に舞っていました。時が進むにつれてだんだんと上演の条件が良くなってきたような。



終演後はこれまた恒例になったお客さまとの撮影会。なんだかエラそうですけれども、これも意外に好評なのです。装束を間近に見る機会がなかなかないので、喜ばれるのかも。

こちらは岐阜から見えた学生さん



こちらはお店の方です。「負げねぇぞ気仙沼」Tシャツも凛々しい。



お客さまのお子さんには、ちょっと怖がられました。。



かくして屋台村さんでの公演を終えて、次の公演地である階上地区の地福寺さんに向かいました。