【3月11日(月)】
一夜明けて、震災から2年目のその日。前夜遅くに気仙沼から石巻に到着して「チーム神戸」事務所に泊めて頂きました。ぬえたちと同じようにこの日、湊小学校(元避難所)で開催される「石巻3.11市民追悼の会」の運営に携わるスタッフが続々と集結。震災の年の10月に避難所が閉鎖されるまでの8ヶ月間、「チーム神戸」を中心にいろいろな形で支援活動を行ってきた方々ですが、ぬえには初対面の人の方が多かったです。ずっと石巻に住み続けて住民さんを応援する人、ぬえたちのように何ヶ月に1回ずつしか石巻を訪れることができない人。これらが一堂に会した瞬間でした。。というにはあまりに濃い「打ち合わせ」は深夜まで続くのでした。結婚話も出たけど、あれからどう進展したかなあ。
さて夜も明けて、湊小避難所にずっと安置されていた観音像を「チーム神戸」事務所から湊小学校に運びます。途中、以前まで使われていた旧「チーム神戸」事務所「ふれあいサロン」が解体される途中なのを見ました。震災で被害を受けた「内海歯科」さんの建物で、こちらにも ぬえらも何度もお邪魔させて頂いたり泊めて頂き、こちらを会場に住民さんに公演もご覧頂きました。思い出深い建物ですが、被災家屋ということでついに取り壊されることになったのです。
さて会場では ぬえたちが気仙沼で活動している間に、会場の湊小体育館はスタッフさんの協力によってすっかり準備が整っていました。宮城大学の学生ボランティアさんも加わり、避難所時代に各地から寄せられた激励の寄せ書きを壁に貼ったり、写真の展示など、この朝に少し作業があって、ぬえたちは例によって体育館のステージを楽屋に使わせて頂いて、上演の準備に取りかかります。昨年の追悼集会から1年、放置された体育館ステージは埃まみれでしたが、それを考えれば事前の準備では体育館のフロアの掃除も大変だったでしょうね~。笛のTさんは今回PA機器の提供をして、ぬえはBGM音源の担当もさせて頂きました。
山形県から来た曹洞宗のみなさんも例によって炊き出し隊として参加され、また今年は震災の時間に合わせた法要もこちらのお坊さん方が中心となって営まれます。やがて午前11時から追悼集会の開始。ぬえらプロジェクトとしては『龍田』『菊慈童』を勤めさせて頂きました。
震災当時この場所に避難され、その後自宅を再建されたり、仮設住宅に移られた住民さん方が続々と集まって来られます。久しぶりの対面に笑いあう顔・顔・顔。。
そして震災が起こったその時刻には今年も1分間防災サイレンが市内に響き渡り、市民のみなさんがそれぞれに犠牲となった方々へ黙祷を捧げました。
その直後、湊小体育館では法要が営まれました。毎回思うけれど、この時に唱和される山形県の曹洞宗のみなさんの読経のなんと美しいことか!ぬえは毎年感激して拝聴しております。
そうして参列者のみなさんもご本尊の前で焼香されます。地福寺さんとは違って、こちらは仮設の追悼会場ですから位牌もありません。追悼集会も午前11時から16時までと長い時間を取ってあるのも、避難所として湊小に集まった方々は近所の住民さんで、それぞれのご家庭や菩提寺さんで供養は行われておられるだろう、という配慮です。いわば追悼集会でもあり、避難所時代の、言葉は適切でないかもしれませんが、同窓会のような意味もあるのですね。
一夜明けて、震災から2年目のその日。前夜遅くに気仙沼から石巻に到着して「チーム神戸」事務所に泊めて頂きました。ぬえたちと同じようにこの日、湊小学校(元避難所)で開催される「石巻3.11市民追悼の会」の運営に携わるスタッフが続々と集結。震災の年の10月に避難所が閉鎖されるまでの8ヶ月間、「チーム神戸」を中心にいろいろな形で支援活動を行ってきた方々ですが、ぬえには初対面の人の方が多かったです。ずっと石巻に住み続けて住民さんを応援する人、ぬえたちのように何ヶ月に1回ずつしか石巻を訪れることができない人。これらが一堂に会した瞬間でした。。というにはあまりに濃い「打ち合わせ」は深夜まで続くのでした。結婚話も出たけど、あれからどう進展したかなあ。
さて夜も明けて、湊小避難所にずっと安置されていた観音像を「チーム神戸」事務所から湊小学校に運びます。途中、以前まで使われていた旧「チーム神戸」事務所「ふれあいサロン」が解体される途中なのを見ました。震災で被害を受けた「内海歯科」さんの建物で、こちらにも ぬえらも何度もお邪魔させて頂いたり泊めて頂き、こちらを会場に住民さんに公演もご覧頂きました。思い出深い建物ですが、被災家屋ということでついに取り壊されることになったのです。
さて会場では ぬえたちが気仙沼で活動している間に、会場の湊小体育館はスタッフさんの協力によってすっかり準備が整っていました。宮城大学の学生ボランティアさんも加わり、避難所時代に各地から寄せられた激励の寄せ書きを壁に貼ったり、写真の展示など、この朝に少し作業があって、ぬえたちは例によって体育館のステージを楽屋に使わせて頂いて、上演の準備に取りかかります。昨年の追悼集会から1年、放置された体育館ステージは埃まみれでしたが、それを考えれば事前の準備では体育館のフロアの掃除も大変だったでしょうね~。笛のTさんは今回PA機器の提供をして、ぬえはBGM音源の担当もさせて頂きました。
山形県から来た曹洞宗のみなさんも例によって炊き出し隊として参加され、また今年は震災の時間に合わせた法要もこちらのお坊さん方が中心となって営まれます。やがて午前11時から追悼集会の開始。ぬえらプロジェクトとしては『龍田』『菊慈童』を勤めさせて頂きました。
震災当時この場所に避難され、その後自宅を再建されたり、仮設住宅に移られた住民さん方が続々と集まって来られます。久しぶりの対面に笑いあう顔・顔・顔。。
そして震災が起こったその時刻には今年も1分間防災サイレンが市内に響き渡り、市民のみなさんがそれぞれに犠牲となった方々へ黙祷を捧げました。
その直後、湊小体育館では法要が営まれました。毎回思うけれど、この時に唱和される山形県の曹洞宗のみなさんの読経のなんと美しいことか!ぬえは毎年感激して拝聴しております。
そうして参列者のみなさんもご本尊の前で焼香されます。地福寺さんとは違って、こちらは仮設の追悼会場ですから位牌もありません。追悼集会も午前11時から16時までと長い時間を取ってあるのも、避難所として湊小に集まった方々は近所の住民さんで、それぞれのご家庭や菩提寺さんで供養は行われておられるだろう、という配慮です。いわば追悼集会でもあり、避難所時代の、言葉は適切でないかもしれませんが、同窓会のような意味もあるのですね。