惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

永六輔さん

2016-07-12 21:30:47 | ひと

 朝は曇ってましたが、午後からは青空がひろがった。最高気温 31.9℃(隣町アメダス)。
 今月10日にオープンした市民プールに、昨日から通っています(10日はSF大会だったので行けず)。今年から「シルバー登録カード」を作ってもらい、料金は70円。昨年までは150円だったので、半額以下です。これはありがたい。

 プールへ行く途中の道端、数日前までは参院選のポスター掲示板があったところに、今日からは都知事選の掲示板が立ちました。あわただしいことです。

 昨日、訃報に接した永六輔さん(亡くなられたのは今月7日)。肩書をなんとすればいいのか、迷いますね。作詞家、放送作家、作家、ラジオパーソナリティー、……。

 私の生きてきた時代を、楽しく、希望あるものにしてくれた人のひとりだと思っています。
 その仕事に最初に接したのは、テレビの「夢であいましょう」の構成作家としてだったか、水原弘の歌った「黒い花びら」の作詞家としてだったか。いずれにせよ、まだ小さかったので、その名前までは意識しませんでした。でも、すぐに六八九(永六輔・中村八大・坂本九)トリオの名はいやでも耳に入ってくるようになりました。「夢であいましょう」の「今月の歌」では、西田佐知子の歌った「故郷のように」が特に好きだった。ポップス歌謡の世界を切り拓いた作詞家としては、漣健児さんと並ぶでしょう。

 別の分野の仕事で凄いなと思ったのは、雑誌〈話の特集〉に連載していた聞き書き。ベテラン芸人や老人の言葉を拾い集めたもので、パッと読める言葉から、奥深い世界が広がりました。今でいえば、お気に入りのツイート集のようなものかな。『芸人 その世界』などの著書にまとめられています。

 大学に入って、ラジオを意識的に聴くようになった時、聴き逃さないようにしていたのはTBSの「土曜ワイド・ラジオ東京」でした。スタジオでの司会は永さん。街角からのレポーターに久米宏さんがいて、これを聴くうちに、私は、卒業後の仕事はラジオにしたいと思ったのでした。

 その頃、一度だけ、ナマの永さんを見かけたことがあります。日本橋あたりでの地下鉄車内でしたが、籐(?)で編んだ買い物籠を肩から提げて、吊革につかまってました。
 永さんのことを「男のおばさん」と呼ぶようになったのは、もっと後だったと思いますが、地下鉄車内での、その姿はいかにも「男のおばさん」。でも、それがカッコ良かった。世間の常識に縛られないスタイル(恰好も、意見も、生き方も)は、実にお見事。

 永六輔さんの出発点は、三木鶏郎さんのラジオ番組への投稿。反骨精神をユーモアに包んで提供する姿勢は、その時からずっと変わらなかったのではないでしょうか。
 たくさん良いものをいただきました。ありがとうございました。安らかにお休みください。



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