弘田三枝子さんが21日に亡くなられていたというニュース。享年73。
所属事務所が今日になって発表したそうですが、ずいぶん遅い。ご親族での密葬が昨日だったということなので、それを終えてからということだったのでしょうか。
ラジオから流れてくる歌に興味をもち始めた頃から活躍されていたので、もっと年上かと思っていたのですが、4つしか違わない。14歳でデビュー、しかも、あの歌唱力。凄いです。
デビューシングルは「子供ぢゃないの」(1961)。
このタイトル。「子供じゃないの」と書き入れたはずなんだけど、という担当ディレクターの言葉を読んだ記憶があります。
家の人は、今でも時々「とぉホなりぃの おぢさぁん すてきぃだけどぉホ~♪」と歌ったりします。デビューの頃のミコちゃんはブレンダ・リーの影響を受けていたんだと思いますが、シャウトする歌唱はとても気持ちが良かった。
個人的には筒美京平さんが曲を提供した1967~68年当時のものが大、大、大好き。特に「渚のうわさ」と「枯葉のうわさ」の二部作は日本ポップス史上の最高峰だと信じて疑いません(詞はどちらも橋本淳さん)。
ただ「渚のうわさ」こそヒットしたものの、つづくいくつものポップス系作品は売れ行きが低迷。1969年の「人形の家」で路線を転換してしまいます。
無理もなかったのかもしれません。当時、世間の関心はポップス系のものから、フォークやロック、グループサウンドなどに移り、ポップな楽曲はその後、アイドル路線に引き継がれて、別のジャンルをかたちづくることになります。
初期のものでは、永六輔・詞、中村八大・曲の「寝不足なの」や、安井かずみ・詞、宮川泰・曲の「ひとつぶの真珠」も忘れがたいですね。
亡くなられてしまいましたが、歌声は永遠。これからもミコちゃんの歌を聞きつづけてゆきます。ありがとうございました!
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