小田原の板橋エリアは 茶人の住居や 政治家の別荘等が多いというので、資料館でもらった地図を頼りに、迷いながら 歩いてみました。
■皆春荘
元首相清浦圭吾が建てたが、後に山縣有朋が古希庵(下で紹介します)の別庵として使用した数奇屋風の建物__だそうですが、非公開。(残念)
裏の竹林が涼やかでした。
■山月(跡)
旧大倉男爵別邸
つい最近まで割烹旅館として使われていたようです。(実は引っ越す前からここに来るのを楽しみにしていたのですがー 残念っ)
HPはまだ消されていないようなので、是非美しい館内をご覧下さい(???)
http://www.0465.net/omise/sangetsu/
■古希庵
山縣有朋が古希を記念し、小田原に建てた別荘、だそうです。震災で壊れたそうで、現在拝観できるのは庭のみ。(洋館は栃木の山縣農場で移築保存されているそうです)
傾斜地を利用した、色んな表情を持つ庭でした。
(山縣さんはもしかして川の流れる庭がお好きだったのでしょうか?)
竹林
山月の南側。
右も左も竹林・・・。
風情のある小道でした。
■松永記念館
電力王 松永耳庵が自身の蒐集品公開のために作ったもの、だそうです。
↑松永さんが晩年を過ごされた老欅荘(ろうきょそう)/廊下も全て畳敷きなので まるで迷路のようなお家でした。又茶室と水屋がいくつもあり、コーナー、コーナーが違ったテイストで、とても面白かった。
↑三越の社長をつとめた野崎幻庵の葉雨庵(よううあん)
隣に 付属棟 烏薬亭(うやくてい)も移築されており、なんとも「茶三昧」な場所でした。
パンフレットで知りましたが、この近くには あの鈍翁(どんのう)も住んでいたそうですね。(2万数千坪の敷地に家や茶室や畑をもっていたとか。すごい!)
ただ、鈍翁の住居跡は今は分譲住宅地となっており「当時の面影はない」・・・
ざ 残念です__。
北条氏が防衛目的で城の周りに寺を建てさせたり(壁を防壁として使えると考えた) 職人を住まわせたりしたため、板橋には 寺社や商家も多いそうです。
又改めて、寺社めぐり、商家めぐりをしたいと思います。
■皆春荘
元首相清浦圭吾が建てたが、後に山縣有朋が古希庵(下で紹介します)の別庵として使用した数奇屋風の建物__だそうですが、非公開。(残念)
裏の竹林が涼やかでした。
■山月(跡)
旧大倉男爵別邸
つい最近まで割烹旅館として使われていたようです。(実は引っ越す前からここに来るのを楽しみにしていたのですがー 残念っ)
HPはまだ消されていないようなので、是非美しい館内をご覧下さい(???)
http://www.0465.net/omise/sangetsu/
■古希庵
山縣有朋が古希を記念し、小田原に建てた別荘、だそうです。震災で壊れたそうで、現在拝観できるのは庭のみ。(洋館は栃木の山縣農場で移築保存されているそうです)
傾斜地を利用した、色んな表情を持つ庭でした。
(山縣さんはもしかして川の流れる庭がお好きだったのでしょうか?)
竹林
山月の南側。
右も左も竹林・・・。
風情のある小道でした。
■松永記念館
電力王 松永耳庵が自身の蒐集品公開のために作ったもの、だそうです。
↑松永さんが晩年を過ごされた老欅荘(ろうきょそう)/廊下も全て畳敷きなので まるで迷路のようなお家でした。又茶室と水屋がいくつもあり、コーナー、コーナーが違ったテイストで、とても面白かった。
↑三越の社長をつとめた野崎幻庵の葉雨庵(よううあん)
隣に 付属棟 烏薬亭(うやくてい)も移築されており、なんとも「茶三昧」な場所でした。
パンフレットで知りましたが、この近くには あの鈍翁(どんのう)も住んでいたそうですね。(2万数千坪の敷地に家や茶室や畑をもっていたとか。すごい!)
ただ、鈍翁の住居跡は今は分譲住宅地となっており「当時の面影はない」・・・
ざ 残念です__。
北条氏が防衛目的で城の周りに寺を建てさせたり(壁を防壁として使えると考えた) 職人を住まわせたりしたため、板橋には 寺社や商家も多いそうです。
又改めて、寺社めぐり、商家めぐりをしたいと思います。