ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

里見八犬伝

2021-02-08 11:46:00 | 映画

これ、劇場で観たかったな。

そう後悔したのが表題の映画。1983年公開の邦画だが、その年のぶっちぎりヒット作品だったらしい。

その頃は大学生であったが、実のところほとんど覚えていない。あの頃は公私ともに多忙を極め、映画どころかTVでさえあまり観ていない。

特に部活が忙しかった。私の大学4年間は体育会ワンダーフォーゲル部での活動がほぼ7割を占める。当時2年生であったが、我が部では3年生がリーダーであり、リーダーの力量を上げることに重点が置かれていた。

なにせ過去に2名の遭難事故死があったクラブだけに、リーダーの育成は最重要事項であった。従って2年生は次期リーダーとして重点的にしごかれる。体育会であるからトレーニング等が厳しいのは当然だが、これは1年生の頃の話。

2年になると、山の知識、リーダーとして必要な技量、責任、その他もろもろを徹底的にしごかれる。通称リーダー養成は、精神的なプレッシャーが半端なく、2年生は毎日毎晩学内で頭を抱える羽目に陥る。

私はこれを必要なことだと認識はしていたが、内心えらく迷惑に思っていた。当時、私はある女性に恋をしていて、彼女との時間をつくることに必死だった。だから大学でのミーティングが終わると、急いで帰宅して車で彼女の家まで急行。

既に社会人であった彼女を連れ出して、車を飛ばして二人だけになれる場所で短時間のデートを楽しむことに躍起になっていた。もちろん深夜には彼女を家に送るが、ご両親の目線がきつかった。

本来ならば週末にするべきだと分かっていたが、どうせ部活動で潰れてしまうので、デートを平日にやらざる得なかった。ただ如何せん無理がたたり、彼女とは上手くいかなくなってしまった。

断腸の思いで、しばらく冷却期間をおくことにしたのは、今思い出しても下策だった。若い私は、あまりに不器用過ぎたと思う。あの頃は精神的に余裕がなかったのだろう。

だから表題の映画のことも全くといって良いほど覚えていない。だからDVDをレンタルして、この作品が1983年公開と知って、むしろ驚いたぐらいだ。

以前にも書いたが、私は滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」に良い印象がない。水滸伝を日本流に換骨奪胎した作品ではあるが、江戸時代にあっては水滸伝のようなエンディングは書けるはずがない。

だから馬琴の原作は、えらく中途半端な終わり方をしている。それゆえに、映画化されても強い関心が湧かなかったのも一因であろう。しかし、この映画は原作とはだいぶ終わり方を変えている。

それは馬琴が書きたかったはずの終わり方ではないと思うが、主演の薬師丸ひろ子を活かすには最適なエンディングであった。実際、映画のエンディングは、原作よりもはるかに爽快。

この時代の映画はCGではなく、特撮技術が全盛を誇っていたので、未見の方がいらしたら是非ともご鑑賞のほどを。いや、これホントお薦めです。

コメント (6)
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