中学の修学旅行は奈良・京都であった。
行きの新幹線で私はトラブルに巻き込まれ、そのせいで碌な思い出のない修学旅行であった。でも一つだけ忘れられない思い出が大徳寺であった。
このお寺の和尚さんは有名らしく、そのありがたい講話を拝聴することになった。その多くは忘れたが、とても有名な話があった。それは今でも覚えているし、ご存じの方も多いと思う。
曰く、冬の寒風吹き荒れる中、手袋を忘れたために両手は凍るように冷たい。右方向から吹き付けるため、右手のほうがより凍えている。そんな時は、右手で左手を擦ると良いと。
普通ならまだ多少は凍えていない左手で、右手を温めるのが普通だろう。でも、敢えて凍える右手で左手を温めることで、左右共に暖かくなるのだと。
この話は私の脳裏に深く刻まれた。納得のいく話であったため、大徳寺を出る時に売店で思わず土産として、その和尚さんの本を買ってしまった。今にして思うと、商売の巧い和尚だが別に後悔はしていない。
日本サッカー界のレジェンドであり、世界最年長のプロサッカー選手である三浦和良が、大徳寺の和尚の話を知っているかどうかは知らない。でも、私はカズが似たようなことをしているのを知っている。
三浦カズは毎年、ある障碍者施設を慰問している。手足に障害のある子供たちと一緒にサッカーをしているという。自由にボールを扱えない子供たちは、プロ選手であるカズのボールを奪おうと必死で駆け回る。でも、なかなかボールは取れない。意外にもカズは簡単にボールを取らせない。むしろ子供たち同様に必死でプレーしているかに思える。
ある記者が、その慰問を終えてカッコイイ高級車に乗り込み帰ろうとするカズに訊ねた「これはパフォーマンスですか」と。
するとカズは「僕が彼らに何かをしてあげてるって?逆に僕が何かをもらっているようには見えなかったかい?」と答えて、さっそうと帰っていった。質問した記者は故意に意地悪な質問をしたのだが、彼にも答えは分かっていた。
記者の撮った写真は最初こそカズの姿ばかりだが、途中から泥にまみれて必死でボールを追いかける子供たちばかりを撮っていた。長年の選手生活で身体はボロボロのはずのカズは、ここで手足の不自由な子供たちから元気と勇気をもらっていることが分る。
人は苦しくなると、心の視野が狭くなる。私もそうだ。近年、私の身体はボロボロだ。内臓に腫瘍がみつかったり、ポリープ除去手術を繰り返したり、はたまた心臓のトラブルで緊急入院して機械を体内に埋め込んだりと忙しない。
繰り返す病気と手術は身体を痛めつけ、体力を奪い、気力を萎えさせる。
だからこそ私は思い出さねばならない。私なんかよりも、もっと苦しんでいる人たちは沢山いる。絶望の底で屈辱に塗れて這い回る惨めさを味わっている人たちは確実にいる。
医者でもない私に出来ることは限られている。いや、ほとんど何も出来ずにいる。でも忘れずにいることを知らせることは出来る。社会から忘れ去られる苦しさを私は知っている。
キング・カズのように恰好良くは出来ないけれど、それでも自分に出来ることはやろうと思います。
行きの新幹線で私はトラブルに巻き込まれ、そのせいで碌な思い出のない修学旅行であった。でも一つだけ忘れられない思い出が大徳寺であった。
このお寺の和尚さんは有名らしく、そのありがたい講話を拝聴することになった。その多くは忘れたが、とても有名な話があった。それは今でも覚えているし、ご存じの方も多いと思う。
曰く、冬の寒風吹き荒れる中、手袋を忘れたために両手は凍るように冷たい。右方向から吹き付けるため、右手のほうがより凍えている。そんな時は、右手で左手を擦ると良いと。
普通ならまだ多少は凍えていない左手で、右手を温めるのが普通だろう。でも、敢えて凍える右手で左手を温めることで、左右共に暖かくなるのだと。
この話は私の脳裏に深く刻まれた。納得のいく話であったため、大徳寺を出る時に売店で思わず土産として、その和尚さんの本を買ってしまった。今にして思うと、商売の巧い和尚だが別に後悔はしていない。
日本サッカー界のレジェンドであり、世界最年長のプロサッカー選手である三浦和良が、大徳寺の和尚の話を知っているかどうかは知らない。でも、私はカズが似たようなことをしているのを知っている。
三浦カズは毎年、ある障碍者施設を慰問している。手足に障害のある子供たちと一緒にサッカーをしているという。自由にボールを扱えない子供たちは、プロ選手であるカズのボールを奪おうと必死で駆け回る。でも、なかなかボールは取れない。意外にもカズは簡単にボールを取らせない。むしろ子供たち同様に必死でプレーしているかに思える。
ある記者が、その慰問を終えてカッコイイ高級車に乗り込み帰ろうとするカズに訊ねた「これはパフォーマンスですか」と。
するとカズは「僕が彼らに何かをしてあげてるって?逆に僕が何かをもらっているようには見えなかったかい?」と答えて、さっそうと帰っていった。質問した記者は故意に意地悪な質問をしたのだが、彼にも答えは分かっていた。
記者の撮った写真は最初こそカズの姿ばかりだが、途中から泥にまみれて必死でボールを追いかける子供たちばかりを撮っていた。長年の選手生活で身体はボロボロのはずのカズは、ここで手足の不自由な子供たちから元気と勇気をもらっていることが分る。
人は苦しくなると、心の視野が狭くなる。私もそうだ。近年、私の身体はボロボロだ。内臓に腫瘍がみつかったり、ポリープ除去手術を繰り返したり、はたまた心臓のトラブルで緊急入院して機械を体内に埋め込んだりと忙しない。
繰り返す病気と手術は身体を痛めつけ、体力を奪い、気力を萎えさせる。
だからこそ私は思い出さねばならない。私なんかよりも、もっと苦しんでいる人たちは沢山いる。絶望の底で屈辱に塗れて這い回る惨めさを味わっている人たちは確実にいる。
医者でもない私に出来ることは限られている。いや、ほとんど何も出来ずにいる。でも忘れずにいることを知らせることは出来る。社会から忘れ去られる苦しさを私は知っている。
キング・カズのように恰好良くは出来ないけれど、それでも自分に出来ることはやろうと思います。
コメントありがとうございます。
ヌマンタさんのブログ 共感共鳴しております。
体調が芳しくないご様子。
私はサラリーマン時代
銀座4丁目 コアビルに職場がありました。
不躾なことですが失礼極まりないない相談です。
ブログでは書けないことがあります。
差し支えなければ
メールを頂きたいとのお願いです。
kikuchi@p¬-rism.nir.jp
メールしました。