我ながら情けない。
>重度のギラン・バレー症候群と診断されたドジャースのフレディ・フリーマン内野手(34)の三男・マキシムス君の退院に暖かいコメントが寄せられた。
私は母をギランバレー症候群で亡くしている。活動的な人で、私のようなナマケグマと違い、いつも動き回っていた。だからこそ全身麻痺で動けなくなった自分を理解できず、病院で騒ぎ立てる有様であった。
だが時間とともに受け入れたかにみえたが、今度は極度に人嫌いになり家族以外を受け入れなくなってしまった。だから葬儀は身内でしかやっていない。随分と不平も言われたが母の最期の頼みだと突っぱねた。
ただ、それが正しかったのかは今も少し疑問に残る。別に親戚に不満がある訳ではない。ただ母の最期の頼みに忠実でいたかっただけだ。それでも心の中で消化しきれぬ思いはある。
フリードマン選手の息子さんが回復した記事を読み、あぁ回復することもあるのだと思ったが、そこからのリハビリは大変だろうと思う。何故に母も回復できなかったとの思いも、今更ながら私を悩ませる。
私はどうも器の小さい人間みたいだ。
後悔すると言うのは、それだけ思いが深いと言うこと。充分親思いだと思います。
私は実母の時、突然癌が発覚して、しかも余命が持って半年、早ければ3カ月と言われて、急遽見舞いに駆けつけましたが、新型コロナの影響もあり、面会時間は設定されてはいるものの基本的には難しく、事前に病院の許可が要り、面会できたとしても15分と時間制限がありました。
遠く離れて住んでいて、同居する弟からはそれまで元気にデイサービスに通っていると聞いていたので、癌発覚は突然過ぎてショックでした。
私は3回面会して生前の母と話せたけれど、私の1週間後に愛知から駆けつけた妹は、母がずっと寝ていて会話もできなかったそうです。
そして、その翌週の面会時間外の深夜に、兄弟の誰にも看取られることなく母は急逝してしまいました。近くに住んでいても死に目に間に合わなかった弟や末妹の後悔はいかばかりか。
癌発覚から僅か1カ月でした。
親の死に際して後悔がないと言うのはレアケースだと思います。誰もが何らかの後悔の念を抱くものだと思います。
こればかりは仕方のないことなのかもしれません。
ブログ記事を拝見する限り、ヌマンタさんは優しい孝行息子さんだったと思います。