コメント
Unknown
(
教会員R
)
2016-06-10 03:14:49
その単語にやりかた・ふさわしさという意味が二重に含まれているなら、武士道などでも使われている「道」の起用もありではないでしょうか。
アルマ書の場合、
5:44 「神の聖なる道に従って、このように語る」、
49節 「これが私が召された道である」
7:22 「神の聖なる道に従って歩む」
なるほど
(
NJ
)
2016-06-10 09:34:58
「ふさわしさ」も可能でよく文章になじむ場合があると思います。
「道」の起用はいい案であると感じます。ありがとうございます。
order っていろんな意味ありますよね
(
ジョン・ドゥ
)
2016-06-10 09:50:09
聖書でイエスが「あなたがたに平和があるように」と言ってますが、あれって「シャローム」ですよね?
だったら「こんにちは」と訳したらいいんじゃないかな、と思う初夏の昼下がり。
昼下がりのたりのたりの閃き!
(
NJ
)
2016-06-10 18:12:39
素晴らしい、その通りなのですが、ルカ24:36, ヨハネ20:19, 26 では、不安のうちに集まっている弟子たちによみがえったイエスが現れて語る場面です。
それで、パラフレース訳のリビングバイブルでさえ「平安があるように」と訳しています。場面から言ってそう訳すのが自然だろうと思います。しかし、そう「挨拶し」と、この言葉を「挨拶」と見ています。
今日のイスラエルの「シャローム」、アラビア語の「サラーム」そのもので「こんにちは」に相当します。(もっともイエスはアラムを話していたと思われるのに新約ではギリシャ語で eirene となっています)。
まぁ order の訳出は何でもいいですよ。でも
(
ジョン・ドゥ
)
2016-06-10 20:26:48
Black を、Dark に変えちゃあアカンでしょ。
翻訳というより改訂
(
NJ
)
2016-06-10 21:58:04
末日聖典の場合、翻訳というより本文(テキスト)の改訂(revise)ですね。
1N 12:23 は初めから dark, IIN5:21 は初めから blackness だったようです。(今調べてみました)。
私も black -> dark の変更は記憶していますが、変えたのはどこでしたでしょうか。
失礼しました、間違えましたぁ~!
(
ジョン・ドゥ
)
2016-06-11 07:59:12
White を Pure に変えたらアカンでしょって言うつもりでした。
白い → 清い
(
NJ
)
2016-06-11 17:42:39
次の改訂ですね。
2N30:6
they (Lamanites) shall be a white and delightsome people [印刷業者渡し、1830, 1837, 1920版]
↓
they shall be a pure and delightsome people [1840, 1981年版]
邦訳では、明治訳、昭和訳が「白い」、平成訳(1995, 2009年)で「清い」となっています。
Unknown
(
Unknown
)
2016-06-11 17:51:27
第2ニーファイ30章6節について、十二使徒(後の大管長)のスペンサー・W・キンボールは1960年の総大会で以下のように述べています。
----------------------------------------------
「レーマン人の時代は近い。何年もの間、レーマン
人は喜ばしい成長を遂げ、今や約束されたように、
『皮 膚の色が白くて喜ばしい民』になりつつある。
・・・20名のレーマン人宣教師の写真を見ると、
その中の15名は非ラテン系の白人のように皮膚が白く、
残りの5名は褐色であるが同じく喜ばしい民である。
ユタの里親プログラムに参加している子供たちは、
インディアン指定居住地のホーガン(土と木の枝で
作り、泥や芝でおおったインディアンの住居)に住む
自分の兄弟や姉妹たちよりも、白い皮膚をしている
ことがよくある。
・・・ユタの町のある医者はインディアンの少年を
2年間自宅に預かったが、その少年は居住地から里子
として来たばかりの弟よりもいくらか白くなっていた
とのことである。これらの若い教会員は、『皮膚の
色が白くて喜ばしい民』へと変わりつつある」
----------------------------------------------
宗教コース121-122 モルモン経 生徒用資料
教会教育部編 p.112 より引用
(1987年2月16日発行)
Unknown
(
教会員R
)
2016-06-13 04:22:36
>白い皮膚
今時こんなものは信用する価値のないメッセージのたぐいです。
キンボール大管長は大好きなのですが、時たまたわ言を言うのが残念でなりません。
確かに
(
NJ
)
2016-06-13 07:51:59
> キンボール大管長は大好きなのですが、時たまたわ・・
実は同感です。
あれっ?
(
ジョン・ドゥ
)
2016-06-13 11:21:38
キンボール大管長が悪いの?モルモン書にそう書いてあったからしかたないよね。
当時の末日聖徒の誰もが、皮膚は白くなるって信じてたんじゃないの?BYUの宗教コースでも使われているインスティチュートのテキストにも書かれていたし。
今になって分かってきたことで昔の人を悪し様に言ったところで反論は帰ってきませんわな、死人に口無しとは言うけれど。
白い肌
(
落伍者
)
2016-06-18 12:25:24
キンボール長老の発言ですが、ごまかしようがないことで、当時はみんなそう思っていたということです。
このような事実があっても、教義ではなかったと言い張ることは潔くないと感じています。
この点で教会に対して大いに失望を感じています。
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アルマ書の場合、
5:44 「神の聖なる道に従って、このように語る」、
49節 「これが私が召された道である」
7:22 「神の聖なる道に従って歩む」
「道」の起用はいい案であると感じます。ありがとうございます。
だったら「こんにちは」と訳したらいいんじゃないかな、と思う初夏の昼下がり。
それで、パラフレース訳のリビングバイブルでさえ「平安があるように」と訳しています。場面から言ってそう訳すのが自然だろうと思います。しかし、そう「挨拶し」と、この言葉を「挨拶」と見ています。
今日のイスラエルの「シャローム」、アラビア語の「サラーム」そのもので「こんにちは」に相当します。(もっともイエスはアラムを話していたと思われるのに新約ではギリシャ語で eirene となっています)。
1N 12:23 は初めから dark, IIN5:21 は初めから blackness だったようです。(今調べてみました)。
私も black -> dark の変更は記憶していますが、変えたのはどこでしたでしょうか。
2N30:6
they (Lamanites) shall be a white and delightsome people [印刷業者渡し、1830, 1837, 1920版]
↓
they shall be a pure and delightsome people [1840, 1981年版]
邦訳では、明治訳、昭和訳が「白い」、平成訳(1995, 2009年)で「清い」となっています。
----------------------------------------------
「レーマン人の時代は近い。何年もの間、レーマン
人は喜ばしい成長を遂げ、今や約束されたように、
『皮 膚の色が白くて喜ばしい民』になりつつある。
・・・20名のレーマン人宣教師の写真を見ると、
その中の15名は非ラテン系の白人のように皮膚が白く、
残りの5名は褐色であるが同じく喜ばしい民である。
ユタの里親プログラムに参加している子供たちは、
インディアン指定居住地のホーガン(土と木の枝で
作り、泥や芝でおおったインディアンの住居)に住む
自分の兄弟や姉妹たちよりも、白い皮膚をしている
ことがよくある。
・・・ユタの町のある医者はインディアンの少年を
2年間自宅に預かったが、その少年は居住地から里子
として来たばかりの弟よりもいくらか白くなっていた
とのことである。これらの若い教会員は、『皮膚の
色が白くて喜ばしい民』へと変わりつつある」
----------------------------------------------
宗教コース121-122 モルモン経 生徒用資料
教会教育部編 p.112 より引用
(1987年2月16日発行)
今時こんなものは信用する価値のないメッセージのたぐいです。
キンボール大管長は大好きなのですが、時たまたわ言を言うのが残念でなりません。
実は同感です。
当時の末日聖徒の誰もが、皮膚は白くなるって信じてたんじゃないの?BYUの宗教コースでも使われているインスティチュートのテキストにも書かれていたし。
今になって分かってきたことで昔の人を悪し様に言ったところで反論は帰ってきませんわな、死人に口無しとは言うけれど。
このような事実があっても、教義ではなかったと言い張ることは潔くないと感じています。
この点で教会に対して大いに失望を感じています。