「紐付け」というほどでなく間接的な影響関係はあるように思われます。古屋安雄は近代日本史においてキリスト教が流行し歓迎された「良い時」と歓迎されず流行しない「悪い時」が20年周期で交代してきたようである、それは日本の国際主義的な時代と国粋主義的な時代の入れ替わりに符号していた、と観察しています(「日本伝道論」1995 p. 74~)。一時、モルモン教とコカコーラはアメリカの代表的な文化と言われたことがありました。アメリカが好感をもって見られているとき、モルモン教も受け入れられやすかったと考えられます。例、1945-1965 戦後のキリスト教ブーム 国際キリスト教大学が開学し、教会はどこも満員になった、と古屋は書いています。その背後にあったのはもちろんアメリカでした。私もこの時期に改宗した一人でした。(コカコーラが好きなわけではありませんでしたが)。
実態としては日本人の中で対アメリカ観が変化してきていることが日本のモルモン教の教勢に影響している点は観察の通りかと思います。
が、考えるとある国家(文化)に対する憧憬と宗教とが紐付けになっている事ってすごく違和感がありますね。
パスタに憧れてカトリックに入信した人など周りを見回しても誰もいない。少なくとも私の世代では。
>教会指導者は少なくとも非伝統的情報についても承知
承知するだけでは意味がありません。
非伝統的情報に対してどのような見解を持つか解釈するかです。
「あれはサタンから来た情報です」なんて事を言い出す指導者が続出しそうですし、またそう言わなければ現状は物議を醸してしまう。
この物議を醸してしまう雰囲気こそ問題かと・・・。
日本のモルモンはそういう体質に出来てしまっている。
それは組織体制の問題であって会員個人は単に無条件の忠実であっただけで個々人の努力で変わるファクターは小さいのではないかというのが私の観察です。
敢えて個人の問題点を挙げるなら忠実であるにあたり「無条件に」であった点でしょうか。
> 考えるとある国家(文化)に対する憧憬と宗教とが紐付けになっている事ってすごく違和感がありますね。
パスタに憧れてカトリックに入信した人など周りを見回しても誰もいない。少なくとも私の世代では。
「紐付け」というほどでなく間接的な影響関係はあるように思われます。古屋安雄は近代日本史においてキリスト教が流行し歓迎された「良い時」と歓迎されず流行しない「悪い時」が20年周期で交代してきたようである、それは日本の国際主義的な時代と国粋主義的な時代の入れ替わりに符号していた、と観察しています(「日本伝道論」1995 p. 74~)。一時、モルモン教とコカコーラはアメリカの代表的な文化と言われたことがありました。アメリカが好感をもって見られているとき、モルモン教も受け入れられやすかったと考えられます。例、1945-1965 戦後のキリスト教ブーム 国際キリスト教大学が開学し、教会はどこも満員になった、と古屋は書いています。その背後にあったのはもちろんアメリカでした。私もこの時期に改宗した一人でした。(コカコーラが好きなわけではありませんでしたが)。
>> 教会指導者は少なくとも非伝統的情報についても承知
>承知するだけでは意味がありません。
この部分、同感です。反動的な対応でなく、理解と包容力のある対応を期待した私の文でした。これがなかなか隔たりが大きく難しいことは承知しています。信仰の二次的段階は潜在的には成長しつつあると思いますが、モルモン教会はまだまだ直解主義的(literarism)な組織に留まっています。特に日本など伝道地においてそのようです。(一例、台湾。)
ダイアログ誌の小生の記事に対して、ダイアログのブログで多数の反応がありました。近くまとめてこのブログに掲載したいと思っています。