4 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 米国でもそうなのかな? (wasatch_15) 2007-12-05 18:07:48 13 男性中心的、保守的 ←→ 実際には女性がしっかり・元気教会の結婚祝賀会で扶助協会会長の指示で兄弟たちが教会を走り回っている姿を思い出してしまいました。モルモンが生み出した絶妙なバランスなのかもしれません。(笑) 返信する そう言えば (トゥゲザー) 2007-12-06 01:25:22 モルモン教会はその創始者からして、 男性中心的、保守的 ←→ 実際には女性がしっかり・元気という人物でしたね。家政婦に手を出したのを皮切りに50人もの女性を多妻結婚の相手にしたかと思えば、実は大変な恐妻家で本妻のエマには頭が上がらなかったということです。 返信する 部外者から見て感じていること (トマ2) 2008-02-17 19:29:52 1-15は一般的なひと達により自然に遂行されている事柄だと感じますが?末日聖徒と名が付いている意味を理解ていますか?「末日聖徒」これがあなた方の価値観ではないでしようか?意味はヨハネ黙示録にも書いていますが?ところで、部外者から見て感じたことですが(1)キリスト教辞典の解説では→教義の中に「幻を信じる」と記されている。確かに幻は、神からのお告げの場合がある。神の言葉は聖書だけのもの、聖書時代だけのものではない。ということで、前向きな姿勢が感じられますね。(2)他の教団と手を組まない→保守的等が思い浮かびますが、もう1つは(1)の「幻を信じる」に価値観を持つことが末日聖徒としてらしく感じますが? 返信する 心がけている生き方 (NJ (生き方としての価値観)) 2008-02-19 07:52:34 トマ2さん、外部からコメントありがとうございます。確かに一般の人たちが心がけている事柄が並びました。ある本でモルモンは待ち合わせなどで時間を守る方である、とあったのでそのような感覚で書いてみました。外部からlds(教会)の特徴をあげていただいてありがとうございます。確かにご指摘の特徴はそのとおりだと思います。創始者ジョセフ・スミスは幻など天界からの顕現(示現、啓示を含む)を受けて宗教が始まっていますから。そして、唯一真の確信(伝統)から他の教団と連携してきませんでしたから。「幻を信じる」については、相当時間が経過して、現在ではかなり淡白な、現代的な宗教団体になっていると思います。指導者層、一般会員の身辺に幻の顕れがあったということを聞かなくなっています。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
教会の結婚祝賀会で扶助協会会長の指示で兄弟たちが教会を走り回っている
モルモンが生み出した絶妙なバランスなのかもしれません。(笑)
男性中心的、保守的 ←→ 実際には女性がしっかり・元気
という人物でしたね。
家政婦に手を出したのを皮切りに50人もの女性を多妻結婚の相手にしたかと思えば、
実は大変な恐妻家で本妻のエマには頭が上がらなかったということです。
末日聖徒と名が付いている意味を理解ていますか?
「末日聖徒」これがあなた方の価値観ではないでしようか?
意味はヨハネ黙示録にも書いていますが?
ところで、部外者から見て感じたことですが
(1)キリスト教辞典の解説では→教義の中に「幻を信じる」と記されている。確かに幻は、神からのお告げの場合がある。神の言葉は聖書だけのもの、聖書時代だけのものではない。
ということで、前向きな姿勢が感じられますね。
(2)他の教団と手を組まない→保守的
等が思い浮かびますが、
もう1つは(1)の「幻を信じる」に価値観を持つことが末日聖徒としてらしく感じますが?
確かに一般の人たちが心がけている事柄が並びました。ある本でモルモンは待ち合わせなどで時間を守る方である、とあったのでそのような感覚で書いてみました。
外部からlds(教会)の特徴をあげていただいてありがとうございます。確かにご指摘の特徴はそのとおりだと思います。創始者ジョセフ・スミスは幻など天界からの顕現(示現、啓示を含む)を受けて宗教が始まっていますから。そして、唯一真の確信(伝統)から他の教団と連携してきませんでしたから。
「幻を信じる」については、相当時間が経過して、現在ではかなり淡白な、現代的な宗教団体になっていると思います。指導者層、一般会員の身辺に幻の顕れがあったということを聞かなくなっています。