コメント
ひとり妄想で楽しんでます(^^)
(
オムナイ
)
2010-02-01 07:53:59
日曜学校は時間も短く内容の濃いものを扱うのは難しいです。
インスティテュートを超える学びの場があるといいですね。
先日の日曜学校ではモーセ書でカインの言った言葉「わたしは自由だ。」に思いをめぐらしていました。
レッスン後教師に「わたしは自由だ。」って言葉があったんですね。
気がつきませんでした。というと私もレッスンの準備をしていて初めて気がついたとのこと、掘り下げて皆の意見を聞きたかったです。
時間が限られている
(
NJ
)
2010-02-01 08:32:58
そうですね。独り思いめぐらし、レッスンの後で教師や他の出席者に話すということが私にもあります。
時間が足りないということもありますね。ということは悠長に見える(繰り返しの)部分を刈り込んで、多少の脱線もできる余裕があるといいのかもしれません。
それにしても読書課題の部分を丁寧に読んでいる教師と生徒発見!
目的が違うから
(
豚
)
2010-02-01 10:25:29
>時間が足りないということもありますね。
この問題は、時間が足りないとか、内容が・・といった話では無いと思います。
モルモンで、日曜学校のテキストと教師に求められている事は、「教義の学習、理解」ではありません。
「信仰を高める」事がその目的です。
教師に求められるのは、「信仰の鼓舞」教会の言葉で言うと「証を強める」です。
考えさせるのではなく、その教義に関する概念をいかに「信じさせるか」なのです。
ですから、同じ事を繰り返すだけで、聖典に書いてある事の研究などは全く必要ないわけです。
教師も生徒も、教会で認めている聖典の解釈に対する疑問を持つことすらタブーになっています。
そのタブーを破る者は、「レッスンを妨害する人」と見なされるんです。
教師はテキストどうりの、質問を答えを用意し、聖徒はそれをなぞるだけ。
つまり、日曜学校のレッスンと言う「儀式」なのです。
儀式と言うのは、退屈なものです。
楽しみ(feast)か鬼門か
(
NJ
)
2010-02-01 14:21:28
喜び、楽しみの時間、(耳目、心、頭を)喜ばせるもの(英語で feast <ごちそう>)とはほど遠い「儀式 ritual」であるとすれば残念。
その儀式は時間つぶしでもある?!(運営)協力には忍耐が必要。SSはもうだいぶ昔から私にとって鬼門。
退屈しない方法
(
豚
)
2010-02-01 16:17:15
>その儀式は時間つぶしでもある?!(運営)協力には忍耐が必要。SSはもうだいぶ昔から私にとって鬼門。
退屈しない方方が一つ有りますよ。(笑)
廊下でロビー活動?
(
NJ
)
2010-02-01 20:29:19
教えてください。週の初めからその方法を知って準備したいですから。
妄想、夢想とは違う方法ですね。・・頓知、豚知?
神学に基づく質問は妨害?
(
モルモン離脱者
)
2010-02-01 21:12:36
記述内容の矛盾が何故生じるのか尋ねたり、イエス・キリストの言葉より幹部や指導者の発言や指示が優先される理由を尋ねたら妨害と見なされるでしょうか?。
的外れでもモルモン的武勇伝を答えとして返された時は、熱心に聴き入っていたものです。
そんな盲信していた信者から予期せぬ{神学に基づく質問}を妨害と見なす前に答えられないのが本来のモルモン教徒です。
何十年も指導的立場にいる信者に質問しても「知りません、判りません、聞いたことがない」との返答を頂きました。
教育者を指導育成する高位の聖職者が、求道者でも知っている一般的クリスチャン(求道者水準)の、疑問や問いにnullやspaceに相当する返答を返すのですから妨害どころか、道場破りのように忌まわしき者と見なされるでしょうか?。
神学者に対する誹謗中傷は入信数ヶ月から数え切れないほど聞かされたましが、30年間のモルモン時代に、このブログ管理者のような、見識、見聞の広く深いモルモン教徒とは会ったことがありません。
日曜学校で退屈しない方法
(
豚
)
2010-02-02 11:37:23
>教えてください。週の初めからその方法を知って準備したいですから。
答えは簡単です。
NJさんが教師になれば良いのです。(笑)
モルモン離脱者さん
>何十年も指導的立場にいる信者に質問しても「知りません、判りません、聞いたことがない」との返答を頂きました。
モルモンの場合、指導者と言うのは、組織を管理運営する事に重点が置かれています。
教義に関して詳しく知っているかどうか?と言う事は、指導者になる条件にはあまり成っていないようですね。そこそこ知っていれば良い、と言うことです。
ワードやステークの指導者も、モルモンの教学に関する事よりも、組織運営のための手引きの理解に時間と労力を割かれています。
逆に言うと、あまり教義を掘り下げて考えると、「モルモンの推奨する信仰」から遠ざかってしまうとの認識かもしれません。
「何も考えずに信じなさい」「信仰とは確認せずに信じること」と言う教えなのでしょうね。
モルモン≒医は算術病院
(
モルモン離脱者
)
2010-02-02 15:08:56
医師、看護師、薬剤師がいない病院と考えれば納得できます。
教義を深く掘り下げて研究したり、神学なんて研究されたら「看板を掲げるのに必須である専門知識も資格も取得してない素人で構成される病院と同じである」とバレてしまいます。
ある兄弟が教義の探求を深めたいと言ったら、彼と仲の良い兄弟達が研究や探求などしない方が良いと阻止してました。
モルモンではFEBCの認知度も低く、それでいながらFEBCの話をしたら「惑わされるので聴いてはいけません」と先輩会員に怒られました。
必然的に教義そこそこ、重要なのは隷属を求める神(と称する者と代理人=幹部)の教会の聖職者ではなく、経営者としての相応しさが重要視されるのも肯けます。
神学も不都合な要素が多いので、神学者をパリサイ人のように捉えて神学に近寄らせないために、神学者を誹謗中傷し「知識に邪魔され救われなくなる」と初期段階で印象づけたんですね。
管理者様、豚様、参考になります。
概観と私の姿勢
(
NJ
)
2010-02-05 18:02:25
モルモン離脱者さんへ
2回にわたるコメントをありがとうございました。豚さんがすでに回答されていますが、後ればせながら答えさせていただきます。
ご指摘のように普通の末日聖徒も指導者も一般のキリスト教のことや神学上のことは残念ながら大変うといのが実情です。特に日本の会員はそうであると思います。(その面では他のクリスチャンも平信徒は他宗派のことや神学の知識はあまり詳しくないように思われます。)
私のことを見識・見聞が広いと書いていただきましたが、ダイアログやサンストーンの読者、執筆者などアメリカには大勢仲間や優れた先達がいます。欧州にも。日本にも登場し漸増していると見ています。
教義や神学を学びたいが、と相談するとあまり勧められないのはアメリカでも同様だと思います。これは日本のキリスト教会でも同様のことがあり得ると思います。批判神学は神学生や牧師さえも揺るがすからです。
要するに、1 人はキリスト教やモルモン教について知識と理解の面では究める、いわば超越・達観できるように目指す、2 聖書の直解的知識ないし西欧出自の教会の教えに対する盲目的依存から脱却する、私はこれを思想的・宗教的に日本人として自立することととらえます、3 その上で教会に留まるにしても去るにしても自主的に選ぶようでありたい、というのが私の考え方です。
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インスティテュートを超える学びの場があるといいですね。
先日の日曜学校ではモーセ書でカインの言った言葉「わたしは自由だ。」に思いをめぐらしていました。
レッスン後教師に「わたしは自由だ。」って言葉があったんですね。
気がつきませんでした。というと私もレッスンの準備をしていて初めて気がついたとのこと、掘り下げて皆の意見を聞きたかったです。
時間が足りないということもありますね。ということは悠長に見える(繰り返しの)部分を刈り込んで、多少の脱線もできる余裕があるといいのかもしれません。
それにしても読書課題の部分を丁寧に読んでいる教師と生徒発見!
この問題は、時間が足りないとか、内容が・・といった話では無いと思います。
モルモンで、日曜学校のテキストと教師に求められている事は、「教義の学習、理解」ではありません。
「信仰を高める」事がその目的です。
教師に求められるのは、「信仰の鼓舞」教会の言葉で言うと「証を強める」です。
考えさせるのではなく、その教義に関する概念をいかに「信じさせるか」なのです。
ですから、同じ事を繰り返すだけで、聖典に書いてある事の研究などは全く必要ないわけです。
教師も生徒も、教会で認めている聖典の解釈に対する疑問を持つことすらタブーになっています。
そのタブーを破る者は、「レッスンを妨害する人」と見なされるんです。
教師はテキストどうりの、質問を答えを用意し、聖徒はそれをなぞるだけ。
つまり、日曜学校のレッスンと言う「儀式」なのです。
儀式と言うのは、退屈なものです。
その儀式は時間つぶしでもある?!(運営)協力には忍耐が必要。SSはもうだいぶ昔から私にとって鬼門。
退屈しない方方が一つ有りますよ。(笑)
妄想、夢想とは違う方法ですね。・・頓知、豚知?
的外れでもモルモン的武勇伝を答えとして返された時は、熱心に聴き入っていたものです。
そんな盲信していた信者から予期せぬ{神学に基づく質問}を妨害と見なす前に答えられないのが本来のモルモン教徒です。
何十年も指導的立場にいる信者に質問しても「知りません、判りません、聞いたことがない」との返答を頂きました。
教育者を指導育成する高位の聖職者が、求道者でも知っている一般的クリスチャン(求道者水準)の、疑問や問いにnullやspaceに相当する返答を返すのですから妨害どころか、道場破りのように忌まわしき者と見なされるでしょうか?。
神学者に対する誹謗中傷は入信数ヶ月から数え切れないほど聞かされたましが、30年間のモルモン時代に、このブログ管理者のような、見識、見聞の広く深いモルモン教徒とは会ったことがありません。
答えは簡単です。
NJさんが教師になれば良いのです。(笑)
モルモン離脱者さん
>何十年も指導的立場にいる信者に質問しても「知りません、判りません、聞いたことがない」との返答を頂きました。
モルモンの場合、指導者と言うのは、組織を管理運営する事に重点が置かれています。
教義に関して詳しく知っているかどうか?と言う事は、指導者になる条件にはあまり成っていないようですね。そこそこ知っていれば良い、と言うことです。
ワードやステークの指導者も、モルモンの教学に関する事よりも、組織運営のための手引きの理解に時間と労力を割かれています。
逆に言うと、あまり教義を掘り下げて考えると、「モルモンの推奨する信仰」から遠ざかってしまうとの認識かもしれません。
「何も考えずに信じなさい」「信仰とは確認せずに信じること」と言う教えなのでしょうね。
教義を深く掘り下げて研究したり、神学なんて研究されたら「看板を掲げるのに必須である専門知識も資格も取得してない素人で構成される病院と同じである」とバレてしまいます。
ある兄弟が教義の探求を深めたいと言ったら、彼と仲の良い兄弟達が研究や探求などしない方が良いと阻止してました。
モルモンではFEBCの認知度も低く、それでいながらFEBCの話をしたら「惑わされるので聴いてはいけません」と先輩会員に怒られました。
必然的に教義そこそこ、重要なのは隷属を求める神(と称する者と代理人=幹部)の教会の聖職者ではなく、経営者としての相応しさが重要視されるのも肯けます。
神学も不都合な要素が多いので、神学者をパリサイ人のように捉えて神学に近寄らせないために、神学者を誹謗中傷し「知識に邪魔され救われなくなる」と初期段階で印象づけたんですね。
管理者様、豚様、参考になります。
2回にわたるコメントをありがとうございました。豚さんがすでに回答されていますが、後ればせながら答えさせていただきます。
ご指摘のように普通の末日聖徒も指導者も一般のキリスト教のことや神学上のことは残念ながら大変うといのが実情です。特に日本の会員はそうであると思います。(その面では他のクリスチャンも平信徒は他宗派のことや神学の知識はあまり詳しくないように思われます。)
私のことを見識・見聞が広いと書いていただきましたが、ダイアログやサンストーンの読者、執筆者などアメリカには大勢仲間や優れた先達がいます。欧州にも。日本にも登場し漸増していると見ています。
教義や神学を学びたいが、と相談するとあまり勧められないのはアメリカでも同様だと思います。これは日本のキリスト教会でも同様のことがあり得ると思います。批判神学は神学生や牧師さえも揺るがすからです。
要するに、1 人はキリスト教やモルモン教について知識と理解の面では究める、いわば超越・達観できるように目指す、2 聖書の直解的知識ないし西欧出自の教会の教えに対する盲目的依存から脱却する、私はこれを思想的・宗教的に日本人として自立することととらえます、3 その上で教会に留まるにしても去るにしても自主的に選ぶようでありたい、というのが私の考え方です。