コメント
変更を歓迎します
(
地方の教会員
)
2013-03-05 20:40:10
教会は、設立当初に比べ巨大な組織になっていますが、ゆっくりでも改善に向けて進歩していると感じることができます。(今回の変更に関して)
まだ様々な問題を抱えているようですが、私が教会員でいるうちに、方針転換を見ることができるよう望みます。
Like
(
nj
)
2013-03-05 22:50:04
同感です。コメント、ありがとうございます。
Unknown
(
バハマ
)
2013-03-05 23:47:29
これは日本語でも出るんですか?
悔い、改め
(
豚
)
2013-03-06 09:35:31
モルモンの教義では、福音の第一原則のその又第一に「悔い改め」がきます。
つまり、モルモンの会員に求められる、最も初歩の部分が、自分の罪を認め、「悔いる」と言うことです。
罪を認めて、悔いる、と言う行為が無ければ、人は再び罪を犯し、神の道からはずれる事になります。
その原則を教えているはずの教会が、「悔いる」事をしないわけです。
今までも、今回も、何度も、世間の風評を危惧して、教義を改めてきましたが、「改める」は有っても、以前の教会歴史上の教義や事実を、悪いことだった、と認めて悔いる事をしません。
モルモン教会の一番大きな問題は、そこです。
自分たちが教え信じている、教義の根本と、教会の運営姿勢が矛盾しているのです。
改めるべきは、その姿勢です。
こんな改定を、何万回やっても、悔いる事が無ければ、神の目から見て、正しい行い、真実の教会とは認められないでしょう。
何年か前に教会のテキストとして使われていた、「完成への道」を読めば分かります。モルモンが黒人に対して、どのような教義を教えてきたのか。
>「この排除が何によるか教会の記録は何ら手がかりを残していない」と記している。
なんて、よく平気で言えるモンですね・・・。
上記訂正
(
豚
)
2013-03-06 09:37:25
モルモンの教義では、福音の第一原則のその又第一に「悔い改め」がきます。
ではなく、その第二に、ですね。
和訳される筈
(
nj
)
2013-03-06 09:40:10
バハマさん、やはり結局は日本語でも出版されるでしょう。それもそれほど時間を置かずに。それほど重大な事柄なのです。
重い事柄
(
NJ
)
2013-03-06 09:55:10
豚さん、教会は「悔い」、「改め」ているから、今回の新版刊行に踏み切ったのではないですか。
>「この排除が何によるか教会の記録は何ら手がかりを残していない」と記している。
なんて、よく平気で言えるモンですね・・・。
平気で言えたわけではないでしょう。改訂の背後には保守派を抑えた開明派の勇気と決断があったと思われます。そこでぎりぎりの表現、考え抜かれた最少の文言に帰結していると考えられます。・・そんな筈はない、と以前の大管長会の声明を提示した米国の会員がいました。豚さんと同じ方向からの指摘です。
ただ、私は小原同志社大学教授が書いているように、宗教組織はどれもいずれ時代と社会の変遷に適応していかないといけない、そうでないと存続できないわけで、おおらかに歓迎する、大所高所からの見方もできなければならないと思います。
豚の教会なら・・・
(
豚
)
2013-03-06 10:11:44
>おおらかに歓迎する、大所高所からの見方もできなければならないと思います。
私も昔はそれが出来たのですが・・・。
長年、モルモンで、「潔癖性」を身にしみこまされてので・・・(笑)
わたしの言いたいのは、モルモン教会の「自己矛盾」と言うことです。
真面目に教義を信じている会員と、それを指導する側との、信頼関係が、成り立つのか?と言う問題です。
人は、見ない様でも見ているものです。
教会の指導者が、本気で向き合ってるかどうかは、自然と会員にも伝わるものです。
世間の風評なんて同でもいいんです。大事なのは、会員と指導者の、心と信仰の問題です。
そして、自分の信仰と神の問題です。
教会を、単なる人の作った組織と考えるのなら、NJさんの御指摘の通りです。
豚の教会ならそれで充分です。
しかし、もし、神の教会なら、それは違うと思います。
確かに
(
NJ
)
2013-03-06 10:31:54
私も一面「潔癖性」が老いるに従い強まっているところがあり、苦労しています(幼児に戻る側面?)。しかし、潔癖性は大事な徳の一部であると思っています。
自己矛盾が好ましくないこと、会員(及び一般社会)との信頼関係が極めて大切なこと、異議ありません。
(話は変わりますが、私は今、更なる改訂版刊行に際して bishop という訳語についてどうしたものか思案しています。元に戻す機会になればと望むからです。)
bishop翻訳
(
小森愛一郎
)
2013-03-06 18:36:34
なぜ、bishopはビショップになってしまったのでしょうか。日本語に直すのをあきらめてしまった洋画のタイトルのようです。それなら「幹部書記」や「書記」は英語だとちょっと感じが違います。カタカナ英語にしておけばよかったのに。つまらないコメントですいません。
ついつい監督と言ってしまいます。改悪はやめてほしいですね。
監督を戻して
(
NJ
)
2013-03-06 21:50:33
いえいえ、大事な事柄です。明快なご意見に力づけられます。
なぜビショップになったのか、その背景には監督というと指示し、管理する建築の現場監督やスポーツチームの監督が思いうかび、教会の「監督」職には似つかわしくない、愛をもって優しく指導する教会の指導者にはそのイメージを切り離すために音訳してビショップにしようと言う、アメリカ人の地域会長の強い意見があったと理解しています。
当ブログの関連記事に2009.3.31 と 2008.1.29 の記事があります。ご覧ください。
豚さんの「自己矛盾」に触発され
(
地方の教会員
)
2013-03-07 02:28:39
わたしの言いたいのは、モルモン教会の「自己矛盾」と言うことです。
真面目に教義を信じている会員と、それを指導する側との、信頼関係が、成り立つのか?と言う問題です。
教会の教義に自己矛盾があることに、はっきり気づいている教会員はたくさんいないと思います。
矛盾があることに、はっきりは気づかないでも感覚的に気づいている会員は多くいると思います。
私の通っているワードでは、一夫多妻や黒人の神権、教会で使われる用語について気にしている教会員はほとんどいません。
それよりも女性に神権が与えられ、神権につける責任が与えられれば教会は、もっと成長するのに・・・。という意見があります。
考えて見れば、私が1989年~1991年に専任宣教師としてとても真面目に伝道してバプテスマを施した方はみなさん教会に来られなくなりました。拙速バプテスマではなく本当に真面目に教えたのですが、音信普通になった方もおられます。その方々が教会に来られなくなった理由は、黒人問題や、一夫多妻、の問題などではないのです。
宣教師は、夢のような教義を教えて、教会員になれば必ず幸福になれるような錯覚を与えておいて、スーとどこかへ転勤していくわけです。宣教師が悪いとはいえませんが、現在でも不活発会員を増やすために伝道が行われているような現実があります。
神様の教会だからもっときちんとしてほしい。正直で、潔癖であってほしいと私も思います。
もっと大胆に大幅な変更をしないと教会は縮小まっしぐらになると思います
Like
(
NJ
)
2013-03-07 09:47:13
厳しい現実です。率直なご指摘ありがとございます。
最後の8行に賛同致します。
保留2件
(
NJ
)
2013-03-08 18:14:43
この後、2件「バハマ」と名乗る人物からコメンとの書き込みがありましたが、言葉遣いと発言の仕方がこのブログに合わないと判断し保留といたしました。
今回の変更を歓迎します
(
教会員
)
2013-04-02 08:09:48
一部の方々は驚き怪しみ不満を漏らしているようですが、人は人、自分は自分です。
この変更によって教会員により明確な情報が与えられ、くすぶっていた多くの不毛な論争や誤解に対して終止符が打たれたことで、深い平安と信頼感を感じました。
改めて生ける預言者及び、大菅長会を支持したいと思います。
'like'
(
沼野治郎
)
2013-04-02 09:38:10
上記「教会員」さんの姿勢に賛同し、コメンとに感謝いたします。
Unknown
(
バハマ
)
2013-04-02 18:10:08
すいません。あまりの出来事に少々冷静さを失っていました。が、「この排除が何によるものか教会の記録は何ら手がかりを残していない」というのは事実ですか?
議論含み
(
nj
)
2013-04-02 22:40:46
「」の文が何を指しているのか、私はまだ丁寧に考察していません。例えば、高いレベルの評議会議事録、関係者の日誌、刊行物の記事、歴史部門の記録などを指しているのでしょうか。英文のサイトでは厳しい反論も見かけられました。
神権が与えられなくなってからの大管長会声明文や指導者による説明の試みは何件も見つかるわけですが。
Unknown
(
バハマ
)
2013-04-04 15:05:53
NJさんのいっている意味がわからないのですが、「この排除が何によるものか教会の記録は何ら手がかりを残していない」というのが事実ならば当然黒人に神権が与えられない理由は教会では当然一切教えられていないと思いますが、豚さんがいっている完成への道とはなんのことですか?豚さんが教会を陥れるために何か捏造本でも作ったのでしょうか?
文字だけではもどかしいですが
(
沼野治郎
)
2013-04-04 15:32:29
「完成への道」はジョセフ・フィールディング・スミスが書いた本で、幾つかの面で非常に保守的ないし個人的で、公的見解からはずれた内容を掲載しています。
その一つが前世における態度や状態が現世の状態を規定することになった、神の計画(イエスを救い主とする)に熱心に賛成しなかった者が黒人など恵まれない人種となった、という説です。
これは、黒人に神権を与えなくなった当時の現状を説明しようと後で加えられたもので、その制度・慣行が始まる理由となったevidenceではない、わけです。
「完成への道」は黒人に神権は与えられなくなってずっと後に出版されています。
Unknown
(
バハマ
)
2013-04-04 17:32:25
「カインは苦しみを味わうことになったばかりでなく、その悪い行いのため劣等種族の父となった。呪いがカインにかけられ彼の血統をを通じてき、時が続く限り継続するのである。何百万という人々が呪われた黒い皮膚をもって生まれており、神権の特権が与えられず、また完全な福音の祝福にあずかっていない。」成への道p76完成への道にあるようにジョセフスミスが黒人はカインの子孫で呪われたから皮膚が黒くなり神権が与えられなくなったと教会ではいままで教えられてきたのですが、NJさんは教会の教義上大菅長は預言者で大菅長のいうことは神のいうことになるという教会の基本すらご存知ないのですか? 完成への道に書いてあることが預言者の個人的な見解だなどという言葉がいままで教会のテキストに載ったことがありますか?NJさんの脳内だけで都合よく個人的な見解にしてしまっても現実では黒人に神権が与えられなかった理由は明確に預言者の受けた啓示として教えられております。
まず宿題を
(
沼野治郎
)
2013-04-04 23:34:48
黒人に関することは「モルモンフォーラム誌」2号(1989年冬季号)にまとめています。英文では1984年マウス、ブッシュ「白人でも黒人でもなく」という論文集に詳しく論じられています。
バハマさんのような言い方をする人は、教会に通い続けている会員(米国、日本を問わず)にとっては、前世期の人類のように聞こえます。
二点お答えすれば、ジョセフ・フィールディング・スミスはあの本を出した時、大管長ではなかったこと、カインのしるしは肌の色の問題ではなかったということ(今日では神学上の常識)です。反論される前にMF誌をご覧ください。写しを差し上げましょうか。あるいは豚さんからもらってください。
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まだ様々な問題を抱えているようですが、私が教会員でいるうちに、方針転換を見ることができるよう望みます。
つまり、モルモンの会員に求められる、最も初歩の部分が、自分の罪を認め、「悔いる」と言うことです。
罪を認めて、悔いる、と言う行為が無ければ、人は再び罪を犯し、神の道からはずれる事になります。
その原則を教えているはずの教会が、「悔いる」事をしないわけです。
今までも、今回も、何度も、世間の風評を危惧して、教義を改めてきましたが、「改める」は有っても、以前の教会歴史上の教義や事実を、悪いことだった、と認めて悔いる事をしません。
モルモン教会の一番大きな問題は、そこです。
自分たちが教え信じている、教義の根本と、教会の運営姿勢が矛盾しているのです。
改めるべきは、その姿勢です。
こんな改定を、何万回やっても、悔いる事が無ければ、神の目から見て、正しい行い、真実の教会とは認められないでしょう。
何年か前に教会のテキストとして使われていた、「完成への道」を読めば分かります。モルモンが黒人に対して、どのような教義を教えてきたのか。
>「この排除が何によるか教会の記録は何ら手がかりを残していない」と記している。
なんて、よく平気で言えるモンですね・・・。
ではなく、その第二に、ですね。
>「この排除が何によるか教会の記録は何ら手がかりを残していない」と記している。
なんて、よく平気で言えるモンですね・・・。
平気で言えたわけではないでしょう。改訂の背後には保守派を抑えた開明派の勇気と決断があったと思われます。そこでぎりぎりの表現、考え抜かれた最少の文言に帰結していると考えられます。・・そんな筈はない、と以前の大管長会の声明を提示した米国の会員がいました。豚さんと同じ方向からの指摘です。
ただ、私は小原同志社大学教授が書いているように、宗教組織はどれもいずれ時代と社会の変遷に適応していかないといけない、そうでないと存続できないわけで、おおらかに歓迎する、大所高所からの見方もできなければならないと思います。
私も昔はそれが出来たのですが・・・。
長年、モルモンで、「潔癖性」を身にしみこまされてので・・・(笑)
わたしの言いたいのは、モルモン教会の「自己矛盾」と言うことです。
真面目に教義を信じている会員と、それを指導する側との、信頼関係が、成り立つのか?と言う問題です。
人は、見ない様でも見ているものです。
教会の指導者が、本気で向き合ってるかどうかは、自然と会員にも伝わるものです。
世間の風評なんて同でもいいんです。大事なのは、会員と指導者の、心と信仰の問題です。
そして、自分の信仰と神の問題です。
教会を、単なる人の作った組織と考えるのなら、NJさんの御指摘の通りです。
豚の教会ならそれで充分です。
しかし、もし、神の教会なら、それは違うと思います。
自己矛盾が好ましくないこと、会員(及び一般社会)との信頼関係が極めて大切なこと、異議ありません。
(話は変わりますが、私は今、更なる改訂版刊行に際して bishop という訳語についてどうしたものか思案しています。元に戻す機会になればと望むからです。)
ついつい監督と言ってしまいます。改悪はやめてほしいですね。
なぜビショップになったのか、その背景には監督というと指示し、管理する建築の現場監督やスポーツチームの監督が思いうかび、教会の「監督」職には似つかわしくない、愛をもって優しく指導する教会の指導者にはそのイメージを切り離すために音訳してビショップにしようと言う、アメリカ人の地域会長の強い意見があったと理解しています。
当ブログの関連記事に2009.3.31 と 2008.1.29 の記事があります。ご覧ください。
真面目に教義を信じている会員と、それを指導する側との、信頼関係が、成り立つのか?と言う問題です。
教会の教義に自己矛盾があることに、はっきり気づいている教会員はたくさんいないと思います。
矛盾があることに、はっきりは気づかないでも感覚的に気づいている会員は多くいると思います。
私の通っているワードでは、一夫多妻や黒人の神権、教会で使われる用語について気にしている教会員はほとんどいません。
それよりも女性に神権が与えられ、神権につける責任が与えられれば教会は、もっと成長するのに・・・。という意見があります。
考えて見れば、私が1989年~1991年に専任宣教師としてとても真面目に伝道してバプテスマを施した方はみなさん教会に来られなくなりました。拙速バプテスマではなく本当に真面目に教えたのですが、音信普通になった方もおられます。その方々が教会に来られなくなった理由は、黒人問題や、一夫多妻、の問題などではないのです。
宣教師は、夢のような教義を教えて、教会員になれば必ず幸福になれるような錯覚を与えておいて、スーとどこかへ転勤していくわけです。宣教師が悪いとはいえませんが、現在でも不活発会員を増やすために伝道が行われているような現実があります。
神様の教会だからもっときちんとしてほしい。正直で、潔癖であってほしいと私も思います。
もっと大胆に大幅な変更をしないと教会は縮小まっしぐらになると思います
最後の8行に賛同致します。
この変更によって教会員により明確な情報が与えられ、くすぶっていた多くの不毛な論争や誤解に対して終止符が打たれたことで、深い平安と信頼感を感じました。
改めて生ける預言者及び、大菅長会を支持したいと思います。
神権が与えられなくなってからの大管長会声明文や指導者による説明の試みは何件も見つかるわけですが。
その一つが前世における態度や状態が現世の状態を規定することになった、神の計画(イエスを救い主とする)に熱心に賛成しなかった者が黒人など恵まれない人種となった、という説です。
これは、黒人に神権を与えなくなった当時の現状を説明しようと後で加えられたもので、その制度・慣行が始まる理由となったevidenceではない、わけです。
「完成への道」は黒人に神権は与えられなくなってずっと後に出版されています。
バハマさんのような言い方をする人は、教会に通い続けている会員(米国、日本を問わず)にとっては、前世期の人類のように聞こえます。
二点お答えすれば、ジョセフ・フィールディング・スミスはあの本を出した時、大管長ではなかったこと、カインのしるしは肌の色の問題ではなかったということ(今日では神学上の常識)です。反論される前にMF誌をご覧ください。写しを差し上げましょうか。あるいは豚さんからもらってください。