背教者または背教というトピックについてさらに資料が必要な方は,ブリガム・ヤング大学とマックミラン社が共同出版する『モルモニズム百科事典』(Encyclopedia of Mormonism〔英語〕)を参照してください。(ただし,その内容は必ずしも末日聖徒イエス・キリスト教会の公式な見解を表明するものではありません。)
私は、日本語訳で違和感を覚える時によく英語訳聖典を利用していました。今はあまり使わないです。米人教会員に尋ねたりもしましたが、よくわからない、それについて考えたことがない、というような反応が多いので、それもやめています。 現在は、旧約聖書をヘブライ語で、新約はギリシャ語で読めるようにしています。ただし専門の方の力を借りながらであって、それら言語に私は全くの素人です。 だからこそ、へえー!、なるほど!、そうだったの!と日本語には現れない意味に出会うのは楽しいです。正しく言葉を理解することは大切ですね。 最近、第一戒めについて、ヘブライ語で学ぶ機会がありました。旧約では申命記6:5に「主であるあなたの神を愛しなさい」とあります。ヘブライ語では”ヴェアーハヴター エット アドナーイ エローヘイハー”となりその訳は(そうすればあなたは必ず主を愛するようになる)です。ずいぶん印象が違います。預言的命令形というのだとか。英文では Thou shalt love the LORD thy God です。調べると原典に忠実に訳されていると思うので引用しますね。この話し手はイエス様ですから、SHALTが使われているので、この文の主体はイエス様になります。つまり、イエス様がわたしに神様を愛することができるようにしてくださる。という意味に解釈できます。どうすれば?それが、第二の戒めに続く。あなたの隣人を愛しなさい。つまり、あなたの隣人を愛するならば・・・。イエス様は、よいサマリア人のたとえで、「誰がこの人の隣人になったか」と尋ねました。隣人というのは、「である」ものではなくて「になる」もの、つまり関わりを持ったときにその人の隣人になるのだと言われています。 人と関わりを持つならば、それによって神を愛するようになるのだということでしょうか。 主を愛していますと、言うけれど、それですら神の恵みによって実現されていくこと。それなら、私が誇れることなどないではないか!厚顔無恥にも、そんなことも分からずに人前で「私は神様を愛しています」だなんてね。本当に頭が垂れました。 これは、もちろん私の解釈にすぎないのですが・・・。それでも新しい発見は私の信仰を吟味させ、強め、これからの在り方を定めさせてくれます。
受講料なしで言語学の勉強ができるのはありがたい(笑い)
モルモン教会内では特にですが、他の宗教でも、「誰が言ったか」とか、「(聖文の)どこに書いてある」と言うのを、正しさの根拠にする人が多いように思います。
ジョセフ.スイスが言ったから正しい、ブリガム.ヤングが言ったから、大管長が言ったから、イエスが言ったから・・・・。
とか、モルモン書のどこに書いてあるから・・聖書のどこに書いてあるから・・。
と、言うのですが、ほとんどの場合、それは単に自分の思いついたことに当てはまる言葉を探し出しているに過ぎないんです。
子供の頃の喧嘩で、「先生がが言ってた!」って言うと「先生が言ったら人でも殺すのか!」ってやり返すわけで。子供のころから、自分の意見を主張するのに、「権威」のバックアップを求めるのが、人間の性なのかも知れません。
ですから、聖書の一言一句について、「本来の意味は・・」って、ギリシャ語だヘブライ語だにさかのぼってしまうんですの。
勿論その様な研究は必要で、重要ですが、結局のところ、一体何が良いのか?と言う事の答えにはならないんです。
挙句の果てに、「グルが言ったからポアした」と言う様な悲劇を生みだすんですね。
とどのつまり、神様が何を言ったかなんて誰にも分らない、それより、神様がくれた、脳みそを使って考える方が良いような気がします。
誰が言ったかより、言ったことの内容を考えるべし!
って、豚が言っても、誰も同意しないんですよね。
常識を用いること、文学的コモンセンスを活用することも肝要です。⇒ 当ブログ 2014.06.05 聖書の読みづらさ(二)
単に自分の思いついたことに当てはまる聖句を探し出しているに過ぎないという指摘は、むしろ的を得ていますよ。 それのどこが背教なのでしょう。 そうならないように教会員は気をつければいいだけのことですよね。
要は、今天使の言葉で語っているかどうかが重要であり、ジョセフスミスが言ったから正しいとかブリガムヤングが言ったら正しいとかは、単なる権威に頼ってるだけですよ。
https://www.lds.org/topics/apostate?lang=jpn
豚から見るとこのような文章を、恥ずかしげもなく出しているのが背教者を生む要因だと思います。
「・・を参照してください」「でも、公式な見解じゃないですよ」
って、人を馬鹿にしてませんかね?
>自分たちを末日聖徒とかいっているので、人々を騙しているし、卑怯です。
神殿と言う重要な教義を教えないまま、バプテスマを受けさせ、会員にするというのは、騙しているのでも卑怯でも無いんですか?
30年ほど前までは、教義と聖約さえ、バプテスマの前には見せなかったのをご存知ですか?
教会の方針や教義、過去の指導者の言動等に異議を唱えるのは、決してモルモン教会を潰したいからじゃない。
自分の良心に照らして、心から世の中の人に広めたいと思える教会に成ってほしいからです。
自分の良心を欺かないと続けられない信仰生活は幸福とは言えない。
2015-03-01 02:22:16
LDS聖書研究同好会
https://www.facebook.com/
聖典批判
http://en.wikipedia.org/wiki/Criticism_of_Mormon_sacred_texts
ダリン・H・オークス長老による説教
http://garyo.or.tv/michi/sinjitu/bomormon/oaks.htm
背教者
https://www.lds.org/topics/apostate?lang=jpn
(公私の別なく)教会の主要な教えに反する行いやそれを無視するような行いをした人は,背教者とみなされます。
あなたたち、自分たちを末日聖徒とかよばないで、背教者とよんでください。
自分たちを末日聖徒とかいっているので、人々を騙しているし、卑怯です。
嫌がらせになっています。
多くの人々から苦情がでています。
信仰上のことで他者を判断したり裁いたりするのは、非常に注意を要するというか、危うい側面があるんではと・・・・人それぞれということで、生まれも育ちも顔かたちも能力もみんな違うように、おんなじ信仰と言うのはありえないというのは、これ現実なわけで、鰯の頭も信心から(第三者の目からはつまらないものに見えても、信心する人にとっては尊くありがたい存在になるということ)を各教会員の信仰の程度にあてはめれるわけで・・・・信仰者としては、皆は、人生おしなべて学んでいく過程にあり信仰を練る過程にいるわけで、例えば、勉強したい人、ネットを通じての勉強も信仰のうち、信仰を深めるうちとする人、意見交換などでもっと高めたい人とか、そういった人たちの学びの場や機会を奪ったり妨げたりするのは、遺憾なのではと・・・・
基本、主イエス・キリストを信ずる信仰ということで、どういった信仰を持ち、どういった聖霊の導きを受けて、そのように裁いているということなんだろう??・・・・理想的には各末日聖徒の信仰者には、聖霊の導きということがあるわけで、その導きなしでさぁ、さらには、人間、教会幹部も含め、人への信仰に置き換わっては、その権威でもって裁いたりでは問題なのでは??どこどこに教会指導手引きにこう書いてあるとかって・・・・
例えば、背教者云々と主張してる鈴木さんが、その権威を借りてるとして、仮定の話として、権威筋のほうが、モルモン書は偽典かもとかって言うようになったとしましたら、今度は、鈴木さんが自分を背教者呼ばわりしなきゃいけなくなるわけで、(鈴木さんが一貫性のある人だとして、その都度、風見鶏のように教会幹部のオウム返し、受け売りじゃなく)モルモンの信仰というのはそういうもんじゃないってことですよねぇぇ、導き手が、人に基づくんでは欺かれますよと、聖文にあるわけで、「56 わたしが栄光のうちに来るその日に、わたしが10人のおとめについて語ったたとえは成就するであろう。
57 賢くて、真理を受け入れ、自分の導き手として聖なる御霊を受け、そして欺かれなかった者、すなわち、まことにわたしはあなたがたに言うが、彼らは切り倒されて火の中に投げ込まれることなく、その日に堪えるであろう。
」(教義と聖約45)・・・・
ということで、どうも納得がいかない感じなんだがなぁ・・・・大切なのは、各個人の自立した信仰、個人の受ける導きということでそういった面を擁護するのが、本来の姿なんでは・・・・そこには、寛容とか広く意見を聞く、裁きは忘れて、学ぶ姿勢みたいな、そういったことが望ましいことになるんでは・・・・
イエスもユダヤ教から見れば背教者
半導体も、不純物が有って初めてその機能が生まれたんですよね。
超伝導の世界も、どんな不純物を入れるかが勝負!
最近話題になている、腸内細菌も人間の体の中に存在する事によって、色々と良い働きをする。
青色発光ダイオードで、ノーベル賞を受けた中村氏も組織内では異端分子だった。
なんでもはじめは、異端なんです。
モルモンも背教者を大事にしないと、衰退して消滅するよ。
茶坊主みたいなのばかり残ったら未来はない!
え?末日だから初めから未来はない・・・そうですね。
19:11 イエスは答えられた、「あなたは、上から賜わるのでなければ、わたしに対してなんの権威もない。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪は、もっと大きい」。
19:12 これを聞いて、ピラトはイエスを許そうと努めた。しかしユダヤ人たちが叫んで言った、「もしこの人を許したなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王とするものはすべて、カイザルにそむく者です」。
・・・・
19:14 ・・・・ピラトはユダヤ人らに言った、「見よ、これがあなたがたの王だ」。
19:15 すると彼らは叫んだ、「殺せ、殺せ、彼を十字架につけよ」。ピラトは彼らに言った、「あなたがたの王を、わたしが十字架につけるのか」。祭司長たちは答えた、「わたしたちには、カイザル以外に王はありません」。
19:16 そこでピラトは、十字架につけさせるために、イエスを彼らに引き渡した。彼らはイエスを引き取った。
」
(ヨハネ伝)
この権威、権力というのは、ある意味超曲者でっせ、でっせ・・・・
なんて言いながら、らい病を重い皮膚病に言い換えたのでは、意味が違うように思いますけど
豚さんの
自分の良心を欺かないと続けられない信仰生活は幸福とは言えない。
に大賛成です。
私は、自分の良心を欺いて教会員を続けています
どうも口語訳の「らい病」は病気が違うようで現代の何に相当するかわかっていないようです。
らい病・ハンセン病への誤解もあってのことなのでしょうね。
新改訳聖書では「ツァラアト」とヘブライ語の読みのままを採用しているようです。
やはり、聖典の翻訳は精査し続けるべきものなのでしょね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ツァーラアト