コメント
聖書偽典
(
ワサッチ
)
2009-06-01 12:35:03
>モルモン書を真正の認証され得る聖書偽典
ここでいう「真正」とはどのような意味ですか?
歴史性はないけれども聖典として読みえるという意味でしょうか?
「著者名を偽った書物」という「偽典」の言葉の意味を考えればそうなります。
それとも新約・旧約に含まれていないという意味でしょうか。
そのまま解釈すれば
(
豚
)
2009-06-01 15:17:50
>モルモン書を真正の認証され得る聖書偽典
この文章をそのまま解釈すると
モルモン書は間違いなく「聖書偽典」です。
になりますけど・・・??
偽典の特性
(
NJ(偽典の説明)
)
2009-06-01 22:35:14
ここで言う真正の(genuine)偽典の意味は、偽典(pseudepigrapha)の特性をもれなく具えているという意味です。
偽典の特性とは、1)これまでに啓示されている以上に知りたいという啓示への渇望から情報が充足される(NTでは処女降誕やイエスの誕生についてルカが第一歩を踏み出し、マタイもイエスの出生について試みている。ステンダール)、あるいは伝えたいメッセージがあって、2)権威づけるため古代の偉大な人物の名を借りる(OT外典偽典でエノク、モーセ、ダニエル、バラクの名が用いられている。プライス)という点があげられます。
旧新約正典の中にも多くが偽典の性格を具えていて、モルモン書もその意味で聖典と看做すべきで、真面目に取り組むべき書物である、と言う意味で言われたものです。
モルモンフォーラム19号18-19ページを参照してください。ステンダールの記事、プライスの記事(このブログ '06/3/1の書き込み)もよく説明しています。
偽典と認めないのは・・・
(
豚
)
2009-06-03 09:35:29
この元教授さんも、NJさんも「偽典」を肯定的に捉えていますが、そこで困るのが、最も強く「偽典」と認めないのが、モルモン教会自身である、と言う事ですね。
モルモン教会では、聖書もモルモン書も「神のみ言葉」と考え、特にモルモン書はかつては「完全な書物」とまで言っていました。
つまりモルモン書が「偽典」で有るなど、モルモン教会としてはとても認める事の出来ない、とんでもない話なんですね。
トルーマン・G・マドセン 元教授も、NJさんも、学者としての見地から、モルモン書と教義を分析し、モルモン教会が主張するような、「完全な書物」「預言者ジョセフが神の啓示により翻訳した 」ものではないと認めた。しかし、モルモン教会擁護の為に「偽典」と言う救済策を考えた。
と私は分析します。
これは、学者としての立場と、教会員である立場を両立させる為の、苦肉の策であり、又同時に、モルモン書を「科学の検証」から守る為の数少ない選択肢で有ると思います。
しかしながら、当のモルモン教会はそれを認める可能性は今のところ無いでしょう。
「信仰」と「事実」の整合性をどう取るのか?これはモルモンだけでなく、多くの宗教の問題かと思いますね。特に、唯一神信仰、絶対者信仰を基本とする宗教ではね。
典拠が知りたいです
(
ワサッチ
)
2009-06-03 14:40:43
「モルモン書を真正の認証され得る聖書偽典と位置づけた」の典拠を教えていただけると嬉しいです。
批判神学が進めば共通視点
(
NJ(一部賛成、他は・・)
)
2009-06-03 22:47:04
大豚さんへ
BofMを偽典とみなすことは確かに教会員にとって抵抗感があると思います。しかし、柔軟な考えができ聖書学の知識を得ていく人であれば、少しづつ受け入れ始めているのではないか、と思います。(6/1の私のレスの意味で。)
大豚さんの分析。分析はそれぞれ、お任せいたします。ただ、聖書の原語による解説や批判神学は進めば進むほど教派の違いを越えて共通してくるという印象を持っています。誰かが独占するということはない世界に入っていきます。何かを守る、両立させる、というような配慮は超越して、宗教を客観的に見ている、学問的真理探究の土俵に立っている、と感じます。(時に聴衆を意識して言葉を選んで表現することはあっても。たとえば、プライスは初め福音派の信徒でしたが最先端の批判神学者に変わっていきました。ダイアログの読者[会員]は抵抗感なく読むことができる人が増えていると思います。)
マドセンも言っていますが
(
NJ(典拠)
)
2009-06-03 23:08:57
ワサッチさんへ
>「モルモン書を真正の認証され得る聖書偽典と位置づけた」の典拠を教えていただけると嬉しいです。
真正(genuine)偽典という表現は今手もとにあるのではBYUToday(April 1979) のReflections on Mormonism の書評ページに見えますが、マドセン自身も時折使用していたと記憶しています。
(「認証され得る」は私が追加した言葉です。)
Reflections 所収クリスター・ステンダールの「山上の垂訓と第三ニーファイ」が読み応えがあります。線を引いたりしていますが、よろしかったらコピーをお送りしましょうか。
お言葉に甘えて
(
ワサッチ
)
2009-06-04 12:58:08
>よろしかったらコピーをお送りしましょうか。
よろしいのですか?
頂けたらとても嬉しいです。
住所をメールすれば宜しいでしょうか。
住所はお聞きしています。
(
NJ(了解)
)
2009-06-04 14:11:53
わかりました。以前ご住所をお聞きしていますのでそこに送らせていただきます。
届きました
(
ワサッチ
)
2009-06-08 15:13:53
届きました!
貴重な資料をありがとうございます。
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ここでいう「真正」とはどのような意味ですか?
歴史性はないけれども聖典として読みえるという意味でしょうか?
「著者名を偽った書物」という「偽典」の言葉の意味を考えればそうなります。
それとも新約・旧約に含まれていないという意味でしょうか。
この文章をそのまま解釈すると
モルモン書は間違いなく「聖書偽典」です。
になりますけど・・・??
偽典の特性とは、1)これまでに啓示されている以上に知りたいという啓示への渇望から情報が充足される(NTでは処女降誕やイエスの誕生についてルカが第一歩を踏み出し、マタイもイエスの出生について試みている。ステンダール)、あるいは伝えたいメッセージがあって、2)権威づけるため古代の偉大な人物の名を借りる(OT外典偽典でエノク、モーセ、ダニエル、バラクの名が用いられている。プライス)という点があげられます。
旧新約正典の中にも多くが偽典の性格を具えていて、モルモン書もその意味で聖典と看做すべきで、真面目に取り組むべき書物である、と言う意味で言われたものです。
モルモンフォーラム19号18-19ページを参照してください。ステンダールの記事、プライスの記事(このブログ '06/3/1の書き込み)もよく説明しています。
モルモン教会では、聖書もモルモン書も「神のみ言葉」と考え、特にモルモン書はかつては「完全な書物」とまで言っていました。
つまりモルモン書が「偽典」で有るなど、モルモン教会としてはとても認める事の出来ない、とんでもない話なんですね。
トルーマン・G・マドセン 元教授も、NJさんも、学者としての見地から、モルモン書と教義を分析し、モルモン教会が主張するような、「完全な書物」「預言者ジョセフが神の啓示により翻訳した 」ものではないと認めた。しかし、モルモン教会擁護の為に「偽典」と言う救済策を考えた。
と私は分析します。
これは、学者としての立場と、教会員である立場を両立させる為の、苦肉の策であり、又同時に、モルモン書を「科学の検証」から守る為の数少ない選択肢で有ると思います。
しかしながら、当のモルモン教会はそれを認める可能性は今のところ無いでしょう。
「信仰」と「事実」の整合性をどう取るのか?これはモルモンだけでなく、多くの宗教の問題かと思いますね。特に、唯一神信仰、絶対者信仰を基本とする宗教ではね。
BofMを偽典とみなすことは確かに教会員にとって抵抗感があると思います。しかし、柔軟な考えができ聖書学の知識を得ていく人であれば、少しづつ受け入れ始めているのではないか、と思います。(6/1の私のレスの意味で。)
大豚さんの分析。分析はそれぞれ、お任せいたします。ただ、聖書の原語による解説や批判神学は進めば進むほど教派の違いを越えて共通してくるという印象を持っています。誰かが独占するということはない世界に入っていきます。何かを守る、両立させる、というような配慮は超越して、宗教を客観的に見ている、学問的真理探究の土俵に立っている、と感じます。(時に聴衆を意識して言葉を選んで表現することはあっても。たとえば、プライスは初め福音派の信徒でしたが最先端の批判神学者に変わっていきました。ダイアログの読者[会員]は抵抗感なく読むことができる人が増えていると思います。)
>「モルモン書を真正の認証され得る聖書偽典と位置づけた」の典拠を教えていただけると嬉しいです。
真正(genuine)偽典という表現は今手もとにあるのではBYUToday(April 1979) のReflections on Mormonism の書評ページに見えますが、マドセン自身も時折使用していたと記憶しています。
(「認証され得る」は私が追加した言葉です。)
Reflections 所収クリスター・ステンダールの「山上の垂訓と第三ニーファイ」が読み応えがあります。線を引いたりしていますが、よろしかったらコピーをお送りしましょうか。
よろしいのですか?
頂けたらとても嬉しいです。
住所をメールすれば宜しいでしょうか。
貴重な資料をありがとうございます。