①英文 「that they may (always) have his Spirit to be with them」(主の御霊が彼らと共に(いつも)ありますように といった訳に・・
②佐藤龍猪訳では、“御子の御霊が(常に)一同と共にましますよう・・
③現行(96年の改訳以降) ・・ “御子の御霊を受けられるように・・
“御霊を受けられるように”だと、状態的には、各個人が別々に、独立した状態でその都度その都度受けれるといった感じ・・ 英文だと、“御霊”が聖餐受ける人たちと共にあるよう、つないでいるよう?!慰め主としての伴侶の働きがあるよう?・・みたいな・・ “to be with them” が“受ける”では消えてしまっている・・
O God, the Eternal Father, we ask thee in the name of thy Son, Jesus Christ, to bless and sanctify this bread to the souls of all those who partake of it; that they may eat in remembrance of the body of thy Son, and witness unto thee, O God, the Eternal Father, that they are willing to take upon them the name of thy Son, and always remember him, and keep his commandments which he hath given them, that they may always have his eSpirit to be with them. Amen.
「3〈事が〉〈…を〉示す,〈…の〉証拠となる. 自動詞 〔+前+(代)名〕 1a〈人が〉(証拠をあげて)〔…に有利な〕証言をする 〔for〕; 〔…に不利な〕証言をする 〔against〕. witness against [for] an accused person 被告に不利[有利]な証言をする. b〈人が〉〔…の〕証言をする 〔to〕. witness to a person's good conduct 人の善行の証言をする.
2〈事が〉〔…を〕証明する; 〔…の〕証拠となる 〔to〕. These acts witness to his essential goodness. これらの行為は彼が本質的に善良であることを物語っている.
ーーーー関連書籍もあります。ーーー Don't Miss This in the Book of Mormon: Exploring One Verse from Each Chapter あなたは以前にモルモン書を読んだことがありますが、おそらく見落とされがちですが、短くて力強い聖句を見逃しているかもしれません。 今年は、聖典への愛が伝染するエミリー・ベル・フリーマンとデビッド・バトラーと一緒に、各章の 1 節の重要性を探ります。 短い信心スタイルのレッスンに加えて、彼らの招待状は、モルモン書のより有意義な個人的な研究と、その教えについての家族や友人との活発な議論にあなたを導きます。 独学で勉強しながら、自分だけの「これは見逃せない」聖句を探すのも楽しいかもしれません。 さっと読んで毎日共有できるほど短いので、モルモン書の教えと真理がいかに完全に当てはまり、今日の生活を豊かにしているかを簡単に再発見できるでしょう。 ーーー とかく聖典研究は一方向な独学に走りがち。
「53 アダムは死ぬ3年前に、すべて大祭司であったセツ、エノス、カイナン、マハラレル、ヤレド、エノク、およびメトセラを、義にかなった子孫の残りとともにアダム・オンダイ・アーマンの谷に呼び集め、そこで彼らに最後の祝福を授けた。 54 すると、主が彼らに現れた。(“And the Lord appeared unto them”)彼らは立ち上がってアダムをほめたたえ、彼をミカエル、君、天使長と呼んだ。 55 また、主はアダムに慰めを与え、そして言った。「わたしはあなたを立てて首長とした。多くの民族があなたから出るであろう。そして、あなたはとこしえに彼らを治める君である。」 56 そこで、アダムは会衆の中に立ち上がった。彼は老齢で腰が曲がっていたにもかかわらず、聖霊に満たされ、最後の世代に至るまでその子孫に起こることを預言した。 57 これらのことはすべてエノクの書に記されており、定められたときに証されるであろう。 」 107
ジョセフの解説によれば、アダムがアダム・オンダイ・アーマン(神の御前にいるアダムの意)の谷に祝福すべく彼らを呼びよせたのは、彼らを神の御前に連れてきたいという一心であったためと・・ “This is why Adam blessed his posterity; he wanted to bring them into the presence of God. ” そして、彼の願いは受け入れられ、主は彼らに御姿を現された(彼らは主の臨在を受けた)・・
「神の臨在に堪えることができなかった」 英語 “they hardened their hearts and could not endure his presence;”
「19 すなわち、天の王国の奥義を受ける特権を持ち、天が彼らに開かれ、長子の教会の総集いと親しく交わり、また父なる神と新しい聖約の仲保者イエスの親しい交わりと臨在とを享受することである。 (“to enjoy the communion and presence of God the Father, and Jesus the mediator of the new covenant”) 」 107
「20 しかし、悪人のところへは、御子は行かれなかった。また、神を敬わない者や、肉体にあるときに自らを汚して悔い改めなかった者の中では、御子の声は発せられず、 21 昔の預言者たちの証と警告を拒んだ不従順な者は、御子の臨在を目にすることも、御子の顔を仰ぎ見ることもなかった。 (21 Neither did the rebellious who rejected the testimonies and the warnings of the ancient prophets behold his presence, nor look upon his face.) 」 138
英文 32 For behold, this life is the time for men to prepare to meet God; yea, behold the day of this life is the day for men to perform their labors.
33 And now, as I said unto you before, as ye have had so many witnesses, therefore, I beseech of you that ye do not procrastinate the day of your repentance until the end; for after this day of life, which is given us to prepare for eternity, behold, if we do not improve our time while in this life, then cometh the night of darkness wherein there can be no labor performed.
そうなるなら、早くそうなってちょ・・ 「Lori Toye and the I AM America Map: Earth Changes and the Golden Cities, Part 1 Lori Toye 27,790 回視聴 2011/03/21 」 https://www.youtube.com/watch?v=BEakbJ4_F7o
magnify という語はモルモン書ヤコブ書1:19 (2:2) に、 magnify our office の形で出てくる。普通、現代英語で magnify は make large 「大きくする」という意味である。 それで昭和訳は、「私たちは力いっぱいの努力をした」と訳されていた。 現在、平成訳は「自分たちの務めを尊んで大いなるものとした」となっている。 ーーーーー 英語 ヤコブ書1:19 And we did magnify our office unto the Lord, taking upon us the responsibility, answering the sins of the people upon our own heads if we did not teach them the word of God with all diligence; wherefore, by laboring with our might their blood might not come upon our garments; otherwise their blood would come upon our garments, and we would not be found spotless at the last day.
Concerning this record the Prophet Joseph Smith said:
“I told the brethren that the Book of Mormon was the most correct of any book on earth, and the keystone of our religion, and a man would get nearer to God by abiding by its precepts, than by any other book.”
(英文) For as death hath passed upon all men, to fulfil the merciful plan of the great Creator, there must needs be a power of resurrection, and the resurrection must needs come unto man by reason of the fall; and the fall came by reason of transgression; and because man became fallen they were cut off from the presence of the Lord.
『 Life here in this world is short of necessity, and yet all that is required may be accomplished, but death is just as important in the plan of salvation as birth is. We have to die -- it is essential -- and death comes into the world "to fulfil the merciful plan of the great Creator." 』
このような記事を書いてくださり恐縮です。
やはり時間のかかる作業だったのですね。
また翻訳の難しさが垣間見えた気がします。
そもそも人の言語は不完全なもの、人によって違った理解が
あったりすることを考慮すれば、読む人の能力だけに
頼った理解では、複数の人の間での理解の一致に至ることは
難しいと思います。
しかしこの不完全さは、個人に対する聖霊の訪れによって
補われているように思います。それこそが聖霊が等しく
人に遣わされている一つの理由であるように思います。
天父が「人をかたより見ない御方」という前提があれば、
真理を求めているある人には聖霊を遣わして真理を告げるが、
真理を求めている別の人には聖霊を遣わして真理を告げることは
しない、という扱いがなされることは無いように思います。
差があるとすれば、個人のかたくなさ柔和さとタイミングでしょうか。
インスティテュート冬期講座でモルモン書の翻訳は
どなたによって行われたのかという質問に答えてくださら
なかった方は、日本の教会の内部事情を多く知っておられる
からこそ、質問しました。
個人名を挙げなくとも、「管理本部の翻訳課で作成した原稿を
特に専門的な知識を持つ識者である会員数人が推敲した」
と言ってくださればよいのに、そのときははぐらかされて
しまいました。
改訂当時の状況と、その後の最新の改訂の時期から言って、
何かおかしな方に話が進んで改訂に至ったのか、と想像していました。
末日聖徒イエス・キリスト教会ももっと公けの性格の情報は公開してよいと思います。昔は聖徒の道に佐藤龍猪による改訂の次第や内容が掲載されていました。
私の他の校閲者ふたりは、潟沼誠二、高木信二兄弟でした。高木兄弟が教義と聖約・高価な真珠を担当し、潟沼兄弟が日本語の面でBofM, D&C/PofGP の訳文を点検されました。翻訳課の改訂原稿作成は黄木信(王木信)氏でした。
(コメント欄はグーグル検索にかからないので、人名をこちらに記しました。)
暫くは上の情報は,そっと読んだ方の心に留めて頂ければと希望致します。
貴重な投稿を読めて感謝です。
>暫くは上の情報は,そっと読んだ方の心に留めて頂ければと希望致します。
承知いたしました。
明治のモルモン経(文語体)を読むと、夏目漱石が紹介した生田長江(ゲーテ詩集などを翻訳)さんが
実質翻訳したというだけあって朗々として素晴らしい。
昭和のモルモン経はそれを下敷きにして口語にしたものという印象を受けました。
実質平成版が最初の口語訳ですかね。
>用語上の擦り合わせ例 (カッコ内は昭和訳):
>エバ(イブ)
明治訳ではエバ
>ベニヤミン(ベンジャミン)
明治訳ではベンジャミン
同時期の文語訳聖書ではベニヤミン
人名の翻訳も様々な思索が見られて興味深いですね。
①英文 「that they may (always) have his Spirit to be with them」(主の御霊が彼らと共に(いつも)ありますように といった訳に・・
②佐藤龍猪訳では、“御子の御霊が(常に)一同と共にましますよう・・
③現行(96年の改訳以降) ・・ “御子の御霊を受けられるように・・
“御霊を受けられるように”だと、状態的には、各個人が別々に、独立した状態でその都度その都度受けれるといった感じ・・
英文だと、“御霊”が聖餐受ける人たちと共にあるよう、つないでいるよう?!慰め主としての伴侶の働きがあるよう?・・みたいな・・
“to be with them” が“受ける”では消えてしまっている・・
直感的に言うと、まずまずの人選じゃないですか?
Kさんは知りませんが、他の二人は、客観的に対応が出来る人かと思います。
良い悪い両方の意味で大人の対応が出来る人。
別件
>御霊を受けられるよう、 御霊が共にあるよう、 この違いの意義は?? 何か意図が??
モロナイ書2章2節との関連ですか??
バプテスマの時に「聖霊を授ける」ので、聖餐の時も「聖霊を受ける」になるのかと??
ほんま、知らんけど・・・。
2 キリストは彼らの名を呼んで言われた。「わたしの名によって熱烈に祈って父に請い願いなさい。あなたがたはこのように行った後に、あなたがたが手を置く者に聖霊を授ける力を持つであろう。わたしの名によって聖霊を授けなさい。わたしの使徒たちはこのように行うからである。」
3 キリストは初めてその御姿を現されたとき、彼らにこれらの御言葉を語られた。群衆はこれを聞かず、弟子たちだけがこれを聞いた。そして、彼らが手を置いたすべての者に聖霊が降られた。
」
授けることと受けることは対になってるんでしょう・・
で、教会員としての聖霊への理解は、バプテスマ・確認時での、“受ける”から、その後は、聖餐式という更新時での、“共にいますように”へと変わっていくというのが正解かなぁぁ・・
>御霊を受けられるよう、 御霊が共にあるよう、 この違いの意義は?? 何か意図が??
色々、興味深い。
モロナイ4:3
O God, the Eternal Father, we ask thee in the name of thy Son, Jesus Christ, to bless and sanctify this bread to the souls of all those who partake of it; that they may eat in remembrance of the body of thy Son, and witness unto thee, O God, the Eternal Father, that they are willing to take upon them the name of thy Son, and always remember him, and keep his commandments which he hath given them, that they may always have his eSpirit to be with them. Amen.
(平成訳)
「永遠の父なる神よ,わたしたちは御子イエス・キリストの御み名によってあなたに願ねがい求もとめます。
このパンを頂ただくすべての人々が,御子の体の記念にこれを頂けるように,
また,進んで御子の御名を受うけ,いつも御子を覚え,御子が与えてくださった戒めを守ることを,永遠の父なる神よ,あなたに証明して,
いつも御子の御霊を受うけられるように,このパンを祝福ふくし,聖めてください。アーメン。」
(DeepL)
永遠の父なる神よ、御子イエス・キリストの御名において、このパンを口にするすべての者の魂を祝福し、
聖別してくださいますようお願いいたします。
彼らが御子の体を思い起こしながら食べ、御子の名を身にまとい、常に御子を思い起こし、
御子が彼らに与えた戒めを守り、その霊が常に彼らとともにあるようにしたいと望んでいることを永遠の父なる神よ、
あなたに証します。アーメン。
(Google)
おお、永遠の父なる神よ、私たちはあなたの御子イエス・キリストの御名において、
このパンを食べるすべての人々の魂にこのパンを祝福し、神聖なものとしてくださるようお願いします。
それは、彼らがあなたの御子の体を思い出して食事をし、
永遠の父なる神よ、彼らが喜んであなたの御子の御名を受け入れ、常に御子のことを覚えていて、御子の戒めを守ることをあなたに証しするためです。
彼らが常に神のスピリットを持ち続けることができるように、神は彼らに与えたのです。アーメン。
(昭和訳)
「永遠の父なる神よ、われら御子イエス・キリストの御名によりて願いたてまつる。
ここにこのパンをいただくすべての人々が、御子のからだの記念にこれをいただくよう、
また喜びて御子の御名を受け、御子を常に忘れず、またその下したまえる誡めを守ることを
永遠の父なる神の御前に証明し、かくして御子の「みたま」常に一同と共にましますよう、このパンを祝いきよめたまえ。アーメン」と。
(明治訳)
“永遠の天父なる神よ、我等御子イエス・キリストの御名に託て願ひ奉つらくは、
凡て此パンを與り⻝ふ人々が御子の體の記念に之を⻝ふことを得るやう、
又常に御子の御靈を己等と共に在らしめん爲、御子の御名を甘じ受けて常に御子を記念し、
其下し給ひし誡戒を守るを爾に誓約することを得るやう、此パンを彼等の心の爲に祝ひ淨め給はんことを、アメン』と。”
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AI翻訳中々ですね。
ldslivingのサイトに関連記事ありました。
https://www.ldsliving.com/john-bytheway-a-line-by-line-look-at-the-sacrament-prayers-that-will-change-how-you-understand-them/s/86834
モロナイが聖餐の祈りを版に刻んだことは、聖餐が彼らの崇拝の一部ではなく、必須の部分であったことの証です。
モロナイが霊感を受けて聖餐の祈りを取り入れたことは、私たちにそれぞれの祈りをより詳しく調べ、それぞれのフレーズの深さと意味を探す機会を与えてくれます。
主にとって何が最も重要かを考えるとき、私たちは主が私たちに繰り返すよう求められたことについて深く考えるかもしれません。
わたしたちはバプテスマを受けるのは一度だけですが,バプテスマの聖約への再誓約は毎週聖餐を通して行われます。
・・・
モロナイが記録したこれらの祈りの中で、それほど重要で時代を超越したものは何でしょうか?
「おお神よ、永遠の父よ。」何か面白いことを聞きたいですか?キング・ジェームス聖書の中で「永遠の父」という言葉が何回出てくると思いますか? ゼロ。一度もありません。・・・
現代の私たち一人一人にとって、そして彼の時代のモロナイ個人にとって、私たちの孤独感は、常に私たちとともにいるという神の約束によって答えられます。
おそらくモロナイは、沖縄のニール・A・マクスウェル長老のように、自分自身に聖餐を授け、約束された主との交わりを感じたのでしょう。・・・
ーーーー
アルマ書ではゾーラム人の決まり文句の祈りを批判的に書いてる部分がありますが、ここでは「決まり文句の祈り」が出てきます。
逆に重要さが増すのでしょうか?
儀式における「決まり文句」はアロン神権に関連があるのに。。
アロンな儀式では一言一句正確に言わなければならない。
メルキゼデクな祈りや儀式では御霊に促されるままな言葉で行われますね。
パン
おお、神よ、永遠の父よ、わたしたちは御子イエス・キリストの御名によってあなたに、このパンを頂くすべての人々のために、これを祝福し、聖めてくださるよう願い求めます。すなわち、御子の体の記念にこれを頂いて、おお、神よ、永遠の父よ、あなたの証人となれますように、また、進んで御子の御名を受け、いつも御子を覚え、御子が与えてくださった戒めを守り、いつも御子の御霊が共にましますように、アーメン。
水
永遠の父なる神よ、わたしたちは御子イエス・キリストの御名によってあなたに、この水を頂くすべての人々のために、これを祝福し、聖めてくださるよう願い求めます。すなわち、この人々のために流された御子の血の記念にこれを頂いて、おお、神よ、永遠の父よ、あなたの証人となれますように、また、いつも御子を覚え、御子の御霊が共にましますように、アーメン。
この証人となる、神の証し人になるというのは、モーサヤ18章にみえるだにゃ・・これが日本語聖餐の祈りに欠落というのは、至極残念というか誤訳というか欠陥というか・・
「08 そして、アルマは言った。「見よ、ここにモルモンの泉がある。(この泉はこのように呼ばれていた。)あなたがたは神の羊の群れに入って、神の民と呼ばれたいと願っており、重荷が軽くなるように、互いに重荷を負い合うことを望み、
09 また、悲しむ者とともに悲しみ、慰めの要る者を慰めることを望み、また神に贖われ、第1の復活にあずかる人々とともに数えられて永遠の命を得られるように、いつでも、どのようなことについても、どのような所にいても、死に至るまでも神の証人になることを望んでいる。
10 まことに、わたしはあなたがたに言う。あなたがたが心からこれを望んでいるのであれば、主からますます豊かに御霊を注いでいただけるように、主に仕えて主の戒めを守るという聖約を主と交わした証拠として、主の御名によってバプテスマを受けるのに何の差し支えがあろうか。」
11 人々はこの言葉を聞くと手をたたいて喜び、「それこそわたしたちが心から望んでいることです」と叫んだ。
」モーサヤ18