コメント
どっち?
(
ワサッチ
)
2008-09-22 21:40:20
ご無沙汰しています
>肌の色が「白い」から「清い」と変更されて
は1840年(ノーブー)版での変更を指すのですか?
それとも1981年(ソルトレーク)版での変更をさすのですか?
ノーブー版で第2ニーファイ30章6節が「white(白い)」から「pure(清い)」に変更されましたがノーブーからの脱出の際に原版が失われたので
イギリスに残った1841年(リバプール)版がそのまま使われ「white(白い)」は1981年の改訂まで残りましたが…。
ノーブー版を指すならジョセフは途中で自身の偏向性に気付いて修正したという意味になりますが。どっちでしょう。
補足
(
ワサッチ
)
2008-09-22 21:55:29
説明が不足でした。
1841年(リバプール)版は1837年(カートランド)版を底本にしたイギリス英語によるモルモン書です。だから1840年(ノーブー)版の変更は反映されていません。
平和主義という偏向
(
W
)
2008-09-23 12:47:50
Wです
「平和主義」だから戦わない、と考えるのは偏った認識ではないでしょうか
「争いの無い社会」を求めるなら子供時代の「兄弟喧嘩」から撲滅してゆかないと実現しません
全ての争いを排除しなくてはなりません
しかし、そんな非現実的なことには議論する価値も無いでしょう
「争いのある社会」という前提で議論しなくては「机上の空論」です
その社会での平和とは単に「力の均衡が保たれている状態」であるはず
要するに「戦うメリットが無い」
「平和を愛するから戦う」のは当然と考えます
戦いが始まったら少しでも早く終結させる
そのことと「軍需産業の利益」を混同して議論しない方が良いでしょう
私が「平和運動」に距離を置いているのは、そういう「混同」を感じているからです
どうも「感情論」ばかりが先行しているようで好きになれん
国に指導者と一般個人
(
NJ(いくつかの立場)
)
2008-09-23 22:39:55
Wさん、コメントをありがとうございます。Wさんの考え方と指摘される点はよく承知しています。
現実、しかも国対国の利害や安全保障に対処しなければならない政治家が直面する現実と、一般庶民が求める平和の理念にギャップが生じることは、自然であると思っています。そしてそこに矛盾があることは避けられないし、一般市民が皆指導者と同じ概念を持たなければならないこともない、と思います。現実から遊離した理想論と非難されようとも。
宗教家や宗教の信者は平和を求めます。クエーカーやアーミッシュをはじめ多くの宗教実践者が。・・無抵抗のガンジーが勝利を得た例や米公民権運動で黒人がバスに乗らないで抵抗したケースがあります。また、ブッシュのような政権でさえ、(いつもではないにしても)米国民や関係国の世論を無視しては動けない時代になっていることに注目したいと考えるものです。
繰り返しになるでしょうから、これ以上の問答は控えたいと思います。ひとそれぞれ考えに違いがありますから、平和運動に距離を置かれるのもわかりますし、私も、どんな催しにもでかけていくわけではありません。(なお、このブログの記事で書かれていないことや研究会で語られていないことを論じられても応答しかねます・・。)
お元気ですね
(
NJ(少し時間を)
)
2008-09-24 07:09:51
wasatchさん、
こんにちは。お久しぶりです。
コメントありがとうございます。この件は別の発表者が述べたもので、改めて典拠を含めて調べてみたいと思います。少し時間をください。
キャンベルの記事では
(
NJ(両方です)
)
2008-09-25 23:26:46
9月15日の発表者、吉中孝志(たかし)教授は「清い」と変えた版として1940年版(ノーブー版)と1981年版の両方をあげています。1996年冬季号のダイアログ誌に掲載されたダグラス・キャンベル「白いか清いか - - 五つの小話」から情報を得て論旨を進めています。
なお、キャンベルの記事によればノーブー版は"High Council voted to publish 3rd edition"という表現しかなく、変更の主体がJSかどうか確定できませんでした。
また、英国版(1841年)がwhiteを残したことについて、電報の技術が1866年までなかったため本国の変更を知らないまま1837年版を忠実に踏襲した、と説明しています。(もちろん、この一つの記事の情報が全てだとは思っていません。)
1981年版について:「聖典出版委員会」(モンソン、パッカー、マッコンキーを含む)とBYUの教授グループが聖典の解説資料を用意する間に、「清い」versionがあることをBYUグループが報告し、大管長会が1840年版の文言を回復した、と書かれています。
掘り下げると面白そうです
(
ワサッチ
)
2008-09-26 12:49:36
丁寧な回答を感謝します。
本来なら正典の言葉を改変するというのは許されない行為です、とはいえ聖書本文の歴史はその逆を示していますが。
モルモン書(英文)は翻訳だからという気軽さが教会の責任者やジョセフにはあったのでしょうか。
聖書本文が改変されてきたことをジョセフは非難しているので本文の一語一句を保つことの重要性は理解していたはずです。
と同時にジョセフは自身の聖書翻訳をどの様に理解していたのでしょうか、聖書の本文を復元したのではなく意味を復元したと教会では教えていますが…、それも聖書の批判的研究の成果とはかなり隔たりがあります。どちらかというと保守的なマタイが批判的なマルコを正統的な教義に合うかたちに読み直した行為に近い気がしています。矛盾だらけの聖書をジョセフの目から見て正しいと思われる修正を施した。
脱線しましたが
(
ワサッチ
)
2008-09-26 12:58:55
でも
>現代の読者に抵抗が小さくなるようにされたこと
はノーブー版の改変の理由としてはあまり説得力が無いように思えます。
また元の資料が10年以上も前なので、スカウセンのモルモン書本文批判の成果がどのくらい反映されていたのか気になります。
生ける予言者は「皮膚が白い」と明言しています
(
トゥゲザー
)
2008-09-27 10:32:45
第2ニーファイ30章6節について、十二使徒(後の大管長)のスペンサー・W・キンボールは1960年の総大会で以下のように述べています。
----------------------------------------------
「レーマン人の時代は近い。何年もの間、レーマン
人は喜ばしい成長を遂げ、今や約束されたように、
『皮 膚の色が白くて喜ばしい民』になりつつある。
・・・20名のレーマン人宣教師の写真を見ると、
その中の15名は非ラテン系の白人のように皮膚が白く、
残りの5名は褐色であるが同じく喜ばしい民である。
ユタの里親プログラムに参加している子供たちは、
インディアン指定居住地のホーガン(土と木の枝で
作り、泥や芝でおおったインディアンの住居)に住む
自分の兄弟や姉妹たちよりも、白い皮膚をしている
ことがよくある。
・・・ユタの町のある医者はインディアンの少年を
2年間自宅に預かったが、その少年は居住地から里子
として来たばかりの弟よりもいくらか白くなっていた
とのことである。これらの若い教会員は、『皮膚の
色が白くて喜ばしい民』へと変わりつつある」
----------------------------------------------
宗教コース121-122 モルモン経 生徒用資料
教会教育部編 p.112 より引用
(1987年2月16日発行)
ということで、回復されたまことのキリスト教会を導き、生ける神から啓示を受ける予言者が公式な集会の説教でここまで言ったのですから、その忠実な会員は、「清い」ではなく「皮膚が白い」ことを受け入れなければなりませんね。
私は不忠実なので予言者の言葉なんて受け入れませんが(笑)
1960年であれば・・
(
NJ(1960と言えば)
)
2008-09-27 23:29:41
私は末日聖徒イエスキリスト教会(モルモン教会)が、時代や文化の制約を受けて誕生し、時代や価値観の変遷に応じて適応してきたことを知っています。そして、私について言えばWASPの文化的偏向を好むものではありません。しかし、どんな宗教も時代や社会の価値観の変化に応じて適応しなければ存続できないし、今日まで適応することによって存続してきた例を数多く目にしてきたことは周知の通りです。
ところでtogetherさんのコメントですが、1960年のモルモン書は「白い」となっていたわけですから、使徒であったキンボールはその認識にそって(当時の預言者はマッケイ)語ったわけです。厳密さが欠如しています。(これ以上の問答はご遠慮ください。ご希望なら王国の方でどうぞ。)
The B of M を文学的に読むと
(
NJ(9.15吉中ペーパー活字に)
)
2009-04-17 00:03:50
昨年9月15日行われたモルモ二ズム研究会(広島)で広島大学の吉中孝志教授が発表した内容が同大の研究報告に掲載された。モルモン書を文学批評論から分析した興味ある研究である。シカゴ大学のウエイン・ブースが著した「虚構の修辞」(The Rhetoric of Fiction)で注目され、文学研究に欠かせない「語り手」の分析を適用したものである。報告書の名前などこの記事本文の付記参照。
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>肌の色が「白い」から「清い」と変更されて
は1840年(ノーブー)版での変更を指すのですか?
それとも1981年(ソルトレーク)版での変更をさすのですか?
ノーブー版で第2ニーファイ30章6節が「white(白い)」から「pure(清い)」に変更されましたがノーブーからの脱出の際に原版が失われたので
イギリスに残った1841年(リバプール)版がそのまま使われ「white(白い)」は1981年の改訂まで残りましたが…。
ノーブー版を指すならジョセフは途中で自身の偏向性に気付いて修正したという意味になりますが。どっちでしょう。
1841年(リバプール)版は1837年(カートランド)版を底本にしたイギリス英語によるモルモン書です。だから1840年(ノーブー)版の変更は反映されていません。
「平和主義」だから戦わない、と考えるのは偏った認識ではないでしょうか
「争いの無い社会」を求めるなら子供時代の「兄弟喧嘩」から撲滅してゆかないと実現しません
全ての争いを排除しなくてはなりません
しかし、そんな非現実的なことには議論する価値も無いでしょう
「争いのある社会」という前提で議論しなくては「机上の空論」です
その社会での平和とは単に「力の均衡が保たれている状態」であるはず
要するに「戦うメリットが無い」
「平和を愛するから戦う」のは当然と考えます
戦いが始まったら少しでも早く終結させる
そのことと「軍需産業の利益」を混同して議論しない方が良いでしょう
私が「平和運動」に距離を置いているのは、そういう「混同」を感じているからです
どうも「感情論」ばかりが先行しているようで好きになれん
現実、しかも国対国の利害や安全保障に対処しなければならない政治家が直面する現実と、一般庶民が求める平和の理念にギャップが生じることは、自然であると思っています。そしてそこに矛盾があることは避けられないし、一般市民が皆指導者と同じ概念を持たなければならないこともない、と思います。現実から遊離した理想論と非難されようとも。
宗教家や宗教の信者は平和を求めます。クエーカーやアーミッシュをはじめ多くの宗教実践者が。・・無抵抗のガンジーが勝利を得た例や米公民権運動で黒人がバスに乗らないで抵抗したケースがあります。また、ブッシュのような政権でさえ、(いつもではないにしても)米国民や関係国の世論を無視しては動けない時代になっていることに注目したいと考えるものです。
繰り返しになるでしょうから、これ以上の問答は控えたいと思います。ひとそれぞれ考えに違いがありますから、平和運動に距離を置かれるのもわかりますし、私も、どんな催しにもでかけていくわけではありません。(なお、このブログの記事で書かれていないことや研究会で語られていないことを論じられても応答しかねます・・。)
こんにちは。お久しぶりです。
コメントありがとうございます。この件は別の発表者が述べたもので、改めて典拠を含めて調べてみたいと思います。少し時間をください。
なお、キャンベルの記事によればノーブー版は"High Council voted to publish 3rd edition"という表現しかなく、変更の主体がJSかどうか確定できませんでした。
また、英国版(1841年)がwhiteを残したことについて、電報の技術が1866年までなかったため本国の変更を知らないまま1837年版を忠実に踏襲した、と説明しています。(もちろん、この一つの記事の情報が全てだとは思っていません。)
1981年版について:「聖典出版委員会」(モンソン、パッカー、マッコンキーを含む)とBYUの教授グループが聖典の解説資料を用意する間に、「清い」versionがあることをBYUグループが報告し、大管長会が1840年版の文言を回復した、と書かれています。
本来なら正典の言葉を改変するというのは許されない行為です、とはいえ聖書本文の歴史はその逆を示していますが。
モルモン書(英文)は翻訳だからという気軽さが教会の責任者やジョセフにはあったのでしょうか。
聖書本文が改変されてきたことをジョセフは非難しているので本文の一語一句を保つことの重要性は理解していたはずです。
と同時にジョセフは自身の聖書翻訳をどの様に理解していたのでしょうか、聖書の本文を復元したのではなく意味を復元したと教会では教えていますが…、それも聖書の批判的研究の成果とはかなり隔たりがあります。どちらかというと保守的なマタイが批判的なマルコを正統的な教義に合うかたちに読み直した行為に近い気がしています。矛盾だらけの聖書をジョセフの目から見て正しいと思われる修正を施した。
>現代の読者に抵抗が小さくなるようにされたこと
はノーブー版の改変の理由としてはあまり説得力が無いように思えます。
また元の資料が10年以上も前なので、スカウセンのモルモン書本文批判の成果がどのくらい反映されていたのか気になります。
----------------------------------------------
「レーマン人の時代は近い。何年もの間、レーマン
人は喜ばしい成長を遂げ、今や約束されたように、
『皮 膚の色が白くて喜ばしい民』になりつつある。
・・・20名のレーマン人宣教師の写真を見ると、
その中の15名は非ラテン系の白人のように皮膚が白く、
残りの5名は褐色であるが同じく喜ばしい民である。
ユタの里親プログラムに参加している子供たちは、
インディアン指定居住地のホーガン(土と木の枝で
作り、泥や芝でおおったインディアンの住居)に住む
自分の兄弟や姉妹たちよりも、白い皮膚をしている
ことがよくある。
・・・ユタの町のある医者はインディアンの少年を
2年間自宅に預かったが、その少年は居住地から里子
として来たばかりの弟よりもいくらか白くなっていた
とのことである。これらの若い教会員は、『皮膚の
色が白くて喜ばしい民』へと変わりつつある」
----------------------------------------------
宗教コース121-122 モルモン経 生徒用資料
教会教育部編 p.112 より引用
(1987年2月16日発行)
ということで、回復されたまことのキリスト教会を導き、生ける神から啓示を受ける予言者が公式な集会の説教でここまで言ったのですから、その忠実な会員は、「清い」ではなく「皮膚が白い」ことを受け入れなければなりませんね。
私は不忠実なので予言者の言葉なんて受け入れませんが(笑)
ところでtogetherさんのコメントですが、1960年のモルモン書は「白い」となっていたわけですから、使徒であったキンボールはその認識にそって(当時の預言者はマッケイ)語ったわけです。厳密さが欠如しています。(これ以上の問答はご遠慮ください。ご希望なら王国の方でどうぞ。)