コメント
 
 
 
解釈の変更 (落伍者)
2016-01-24 21:18:13
 過去の経緯を振り返ると解釈の変更があったことは明確です。

 <忌わしい​行い​の​母​で​ある​あの​大きな​教会>にはカトリックもプロテスタントも含まれるのかもしれませんが、名指しはできない時代ですので、今の解釈が無難だと感じます。

 反目せず、認め合うことが宗教の本来あるべき姿であるということに教会が気付いたのかもしれません。

 マッコンキー長老の一件から、教会もまずいと感じたのでしょう。

 神の真意は判りませんが、現在の解釈の方が洗練されているように思えます。

 この解釈で落ち着いていることは正しいと感じます。

 光と知識が乏しかった時代の解釈は反省材料となって、今後の方針や教義の確立に役立っていると捉えています。

 
 
 
追記 (落伍者)
2016-01-24 21:32:31
 以前もどこかで書きましたが、友人のモルモン経の当該箇所にははっきりと<カトリック>と書かれていました。
 1981年ですので、当時もそのように教えられていたところがあるのでしょう。

 誤った解釈というより、行き過ぎた解釈とするべきかもしれません。

 このような経緯を思い出すことによって、より慎重な発言をするようになると思います。
 
 常にみこころに合致しているか考えながら発言することが指導者には求められます。

 真理は過ちの向こうに見いだせるものだと感じます。

 過ちと言うのは僭越かもしれませんが、解釈を変更したということは適切な表現ではなかったことの現れです。

 よりふさわしい表現が出来ていることは喜ばしいことで、真理に近づくための変更は喜んで受け入れるべきと思います。

 そして過ちがあれば素直に認めることも忘れてはなりません。

 
 
 
 
そうですね (NJ)
2016-01-24 21:33:59
楽伍者さま、

> 現在の解釈の方が洗練されている・・この解釈で落ち着いていることは正しいと感じます。

そのとおりですね。(ただ、教師としては心得ていてもいい、という気持ちから書きました。)

 
 
 
同感です (落伍者)
2016-01-25 00:29:24
ただ、冒頭に書いたように私は現在の解釈を前のように戻すべきだと言っているのではない。以上のような背景があったことをメモ書きとして留めておきたいと思ったまでである。


NJ様のこのお気持ち、まったく同感です。

 
 
 
同じ人が・・・ ()
2016-01-25 09:40:01
この問題にかかわらず、解釈変更は有っても良いとは思っていますが、昔「カソリックはサタンの教会」「肌の黒いのは、神の罰」・・・等と真顔で教えてた人が、「そんな解釈は間違っている」と平気で言うのは人間性を疑いますね。

 
 
 
Unknown (教会員R)
2016-01-25 14:04:15
マルコの9章にはイエスの金言が掲載されている。

ヨハネがイエスに言った、「先生、わたしたちについてこない者が、あなたの名を使って悪霊を追い出しているのを見ましたが、その人はわたしたちについてこなかったので、やめさせました」。 イエスは言われた、「やめさせないがよい。だれでもわたしの名で力あるわざを行いながら、すぐそのあとで、わたしをそしることはできない。 わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方である。

だれでも、キリストについている者だというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれるものは、よく言っておくが、決してその報いからもれることはないであろう。

一方で、その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。

そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。

とも教えている。 合理的に解釈するならば、毒麦かそうでないかはどこのグループに所属しているかやどんな教義を信じているかの問題ではなくて(従って判別は非常に困難である)、不法(つまり神様の方法に反して解決をすること、や隣人を愛そうとしないこと)の問題になるかと思われる。

末日には不法がはびこり、人々の愛は冷えると予言されている。

ジョセフスミスがどう考えるかではなくて、イエスがどう考えるかが重要であって、この教会は賢明にも生きた預言者による修正主義を採っているのは明らかです。(修正主義のリスクはゼロではないが原理主義のリスクより格段に小さいからです。 そしてその方が神の御心にかなっていると思われます。)

モルモン書が非難している、悪魔の教会問題は、所属の問題ではなくて、モルモン教会を含めて、どこの教会、どこの組織にも存在している毒麦の勢力が悪魔の教会そのものであるという解釈により正しく修正されていったと私は見ています。


ジョセフスミスはアメリカ合衆国の憲法を作らなかったが条件付(たとえば自由を束縛するタッカー法などは別として)で福音の一部であると認めている。 福音の原則に則った憲法は福音の一部なので、どこの国にいてもわれわれはそれを敬おうと努力する。

ところで日本の明文化された最古の憲法は聖徳太子の17条でした。

第一条は、「和をもって尊しとなす」でした。

第一条には続きがあって、

「争いがないことを旨とせよ。人みな信条・主義主張があるが、悟りに至った者はごくわずかである。 そういう理由で君父(創造主のこと・間接的には天皇も指す)に従わず相争っているのである。 しかしながら指導者たちが和らぎをモットーとした上で、下々の民が睦まじく論議をすれば、あらゆる事は了解され、どんな困難事でも達成できないものなど存在しません。」

これもまた聖書に劣らぬ金言と思われます。
 
 
 
脱帽 (NJ)
2016-01-25 16:15:08
脱帽する以外にない解説をしていただきました。自分はどうなのか(不法、愛に不足という面で)と忸怩たる思いで読ませていただきました。
 
 
 
全くもってその通りです (ジョン・ドゥ)
2016-01-25 18:27:56
豚さん

>昔「カソリックはサタンの教会」「肌の黒いのは、神の罰」・・・
>等と真顔で教えてた人が、「そんな解釈は間違っている」
>と平気で言うのは人間性を疑いますね。

仰る通りです。
過去を思い直し謝罪、訂正は必要でしょう。それ無しに、あれは当時の解釈だから今は違うんだよ等と開き直るようでは、この先モルモン教会は・・・おっと、これ以上言うのはやめときましょう。
 
 
 
和を乱したのは? ()
2016-01-25 19:55:55
いきなり、「私は預言者だ」と出現し、「神から啓示を得た」と言うのは、その人の自由です。

でも、「私以外のすべてのキリスト教会は間違ってる」
「忌まわしいサタンの教会だ」と言えば、和を乱し、社会から批判を受けるのは、必然です。

さらに、それを「迫害を受けた」と言い、自らの暴力行為は隠ぺいする。

自分勝手に、都合の良い事ばかりを言い放ってきた歴史を反省することも無く。

「どうして、仲良くしてくれないの?」って言うのは、どう見ても、大人の行為じゃない。
 
 
 
Unknown (教会員R)
2016-01-25 22:08:11
叩きゃいいってものではなしに、それなりの公平な観点が必要ではないかなあ…。

ジョセフスミスが一石投じたことは事実ですが、最初の示現当時の状況の諸教会は、宗派間の対立で合い争っており、そもそもジョセフスミスなどいなくったって「和」とは程遠い状況であったと聞いています。

それから、何にせよ「迫害」を受けたことは歴史的な事実であるし、自らの暴力行為は隠ぺいしたことはあったけれども、現在は認めて公開してますよね。

 
 
 
のようでもあり、のようでもない。 (オムナイ)
2016-01-26 00:48:40
確かにモルモン書を初見で読むと、大きな忌まわしい教会=カトリックと思ってしまいます。

しかし、どうもそう読めない箇所もあってどちらにも読めるような印象です。

例えば「鉄の棒」の示現で出てくる大きな建物との共通点。
教会は二つしかない。(カトリック=悪魔の教会とは読めない)

つまり、世間体によって解釈を変えたというよりは、そもそも現代の解釈が正しいのだと思います。

ただし、いわゆる暗黒時代のカトリックは悪魔の教会の一部だと読めます。
 
 
 
いろんな捉え方が・・・ (落伍者)
2016-01-26 08:37:49
 ジョセフの時代の世相がモルモン書に反映されているのであれば、モルモン以外のすべての教会と言う考え方もできると思います。

 ニーファイの示現がいつの時代のことを示したものか判りませんが、ほかのあらゆる教会にも増して忌まわしい教会が設立されるというくだりからある一つの教会をさしているのかもしれません。

 
 黙示録に大淫婦が出て来ますが、同じ捉え方でしょうか?

 wikiかコピペします。


宗教改革者は、ローマ・カトリックが大淫婦バビロンであり、教皇は反キリストであるとした。



これが未来についての預言とする立場もある。ディスペンセーション主義の高木慶太は、ローマ・カトリック、リベラル・プロテスタント、世の偶像崇拝の宗教の混合したエキュメニズムが、大淫婦であるとした。


 いろんな捉え方ができますが、キリストを信じながらキリストの道を歩まない組織と捉えるといいかなと感じています。

仏教など、キリストが関わらない宗教は多分関係ないでしょうから・・・
 
 
 
この世には二つの教会しかない (ジョン・ドゥ)
2016-01-26 12:00:38
神の教会か、悪魔の教会。
神の教会に属していない者は全て悪魔の教会に属している。
・・・と聖典は教えています。

で、カトリックはどっち?モルモン教会はどっち?
私は知っています。
言いませんけどね。
皆さんはご存じですか?
 
 
 
不審なコメント投稿4件 (NJ)
2016-01-26 16:08:46
記事と無関係のコメント投稿が4件ありましたが、保留扱いに致しました。
 
 
 
Unknown (教会員R)
2016-01-26 19:37:54
落伍者さんへ

http://sostvjp.net/%E8%81%96%E6%9B%B8%E7%A0%94%E7%A9%B6/%E7%9C%9F%E7%90%86vs%E5%81%BD%E3%82%8A/%E9%9A%A0%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%8F%8D%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E8%AB%96%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B8/ 

カトリックが悪魔の教会なのかは別として、マルチンルターやジョンカルバンは本気で、ローマ教皇を反キリスト、滅びの子と名指しで非難していますね。 

本来信仰とは、福音の原則を教えられ、その後自発的に正しいものを自由に選ぶもののはずなのに、いつの間にかひとつの行動しか認めないような原理主義と恐怖で他人を縛ろうという、サタンの方法を使う連中が勢力を持ってしまうわけです。

大淫婦とはそういうどこにでも生えてきて聖徒を苦しませるサタングループの象徴ではないかと思われます。

そういう意味で、17世紀ごろのカトリック教会は教皇に対する権威主義がいきすぎて、異端者への拷問、火刑が横行しており、まさに大淫婦の巣窟になってしまっていた可能性は考えられます。 ただし現状から推察するに、完璧とはいかないものの苦労して、大淫婦の追い出しに成功したのではないかと思われます。

モルモン教会内部だって、地元のビショップが定期的に、取りまきらによってそういう恐怖政治になりかかっていないか注意していないと、他人事ではすまなくなってくると思われます。

黙示録が告げていることは、審判の日に大淫婦をつかんでしまった教会はおしまいであるということなのでしょう。
 
 
 
本来信仰とはって言うけど (ジョン・ドゥ)
2016-01-26 20:08:17
それはあくまでRさんの個人的な感覚であって、皆が皆、そう考えている訳じゃないよねぇ。
公明正大なことを言ってるように聞こえるけど、実のところ自分の尺度で他人を見てないかなぁ?
 
 
 
Unknown (教会員R)
2016-01-26 23:06:21
また色々とからまれてきたようですが、少なくとも個人的感覚などではなく、人は福音の原則を知って自らの自由意志を働かせる必要があるのは教会の根本的な教えだったはずです。 あれもこれもと命令する必要や、まして強制や恐怖など霊的な成長には邪魔なだけです。

権威主義は嫌いですが、興味があれば比較的新しい七十人の説教をご覧ください。

http://ldschurch.jp/2012-aug-04 

黙示録の大淫婦の正体がどこの教会・組織にでも多かれ少なかれ存在する毒麦のようなグループではないかという意見は個人的なものです。

 ジョセフスミスは教義と誓約の中で黙示録の一問一答を行っており、大淫婦の正体も述べていたと記憶しています。 名指しでカトリック教会であるなどとは述べていませんでした。
 
 
 
あのねのさ (たまWEB)
2016-01-27 08:07:10
『ダークヒストリー 4 図説ローマ教皇史』っつう本にのぉ・・・以下はオラのブログでも見てけろっぺや・・・
 
 
 
絡んでるんじゃありませんよ (ジョン・ドゥ)
2016-01-27 09:12:35
諭してるんです。でも余計なお世話と言うなら聞き流して下さいな。

個人的あるいはモルモン教会的、あるいは現代人的な感覚で本来信仰とはこうあるべきなのに昔のカトリックときたら・・・と言う物言いには受け入れがたい強い抵抗があるとだけ申し上げておきます。

そもそも僅か数十年なら百年ほど昔の自分の教会について考察する際に、現代とは異なる事情があるのだとの見解を披瀝される方々が、数世紀以上前の他宗教に対して自分と同じ感覚で意見するのは如何なものでしょうか?

あるいは中世のカトリックが悪魔の教会であったとしてモルモンはそれを断罪する立場にあるのでしょうか?と言うのはモルモンは彼らに、私たちもと同じキリスト教だから排斥するなと訴えているのてはないですか?であれば中世の暗黒時代もまた我々の学ぶべき先達と言えるはずです。

そう考えればモルモン書の教える二つしかない教会のうち、果たしてカトリックは神の教会なのか悪魔の教会なのか。どちらかでしかない、とモルモン書は教えています。
 
 
 
他人事? ()
2016-01-27 10:16:07
>叩きゃいいってものではなしに、それなりの公平な観点が必要ではないかなあ…。

公平な観点で・・・と言うのは、第三者の観点です。

私も、Rさんも、現在モルモンと言う集団に属する「当事者」です。
モルモンであると言う事は、過去に起こした事柄に対しても、それなりの責任が問われるのではないでしょうか?

遺産を相続する場合、残された財産と共に、負債も相続します。

過去のモルモンの良い事だけをわが身の誇りとするだけではなく、良くなかったことに対しても、しっかりと受け止めて、現在のモルモンとして考えて行くべきではないですか?

何度も書いていますように、私は「過去の過ちに執着しろ」と言うのではなく、「正しい方向に向かって行くべきだ」と思っています。

ただ、その時に必要なのは、正しい過去の評価です。
良くなかったことを、「いやあれはあれで間違っていなかった」と評価すれば、今後また同じことを繰り返す危険性が残ります。

カソリックを悪魔の教会と呼んでいた事実をごまかして、先に進むのかのではなく、事実は事実として確認して、その上に立って、前に進むべきだと思います。

私は、世間の評判が良いから、モルモンで居るわけではありません。
世間から多くの非難を受けても、モルモンとして生きて行くでしょう。
だからこそ、しっかりとモルモンの歴史認識をただす必要が有るのです。

「今はそう言っていないのだから良いじゃないか」では、胸を張って、「私はモルモンです」と言えない気がします。

誰にも過ちは有る、それを悔い改めるには、まず「罪を知る事」とこの教会で教えられています。
罪を曖昧にしたままでは、悔い改めは出来ません。
 
 
 
Unknown (教会員R)
2016-01-27 10:19:24
たまWEBさん

『ダークヒストリー 4 図説ローマ教皇史』\4860

作家の本にしちゃめちゃ高い本ではないですか~。しかもたまWEBさんのHP読めば内容はおのずと判ってしまってるわけで・・・・。

中世ローマ教皇に比較したら、青年ジョセフスミスが宝探しに失敗して裁判所に罰金2ドル払ったエピソードなんか、まだかわいい方かもしれません。

個人的には少ないお小遣いを使うわけですから人情的には有意義に使いたいものです。

お勉強代に4860円も使うのでしたら、たまWEBさんが紹介されている、2004年にヘブライ族の4タイプのDNAとどれとも一致していたことが発見されたアルゴンキン語族の科学論文購入のほうに一票投じたいところです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E8%AA%9E%E6%97%8F アルゴンキン語族の言語圏はジョセフスミスが住んでいたニューヨーク周辺を含んでいることは興味深いし、英語で数単語になる文章を、彼らはひとつの動詞で表せるのも面白い。

アルゴンキン語で世界的に有名な単語は、「スカンク」ですかぁ・・・
 
 
 
Unknown (教会員R)
2016-01-27 10:46:03
豚さんへ

おっしゃることはその通りです。 スキャンダルなエピソードは消せないものなのです。

ですがモルモン教史にせよ中世カトリック史にせよ、当時の時代背景の理解やそれに至る事情の説明抜きで、しかも宗教的な比較論も抜きで、ってのはいかがなものでしょうか。

現代人に向かって、過去のネガティブな事実だけを単純に切り取って、どうよどうよって叩く手法なら、どこかの人権活動家らの手口と同類ですよね。
 
 
 
信条の違いは必ずある ()
2016-01-27 10:50:36
おりしも26日のイランのロハニ大統領と、カソリックの法王が会見しています。

宗教や宗派が違う以上、信条の違いは必ずあります。

モルモンが正しく、唯一神から認められた教会なら、カソリックも他の宗派宗教もどれ一つとして、神から認められたものではない。と言うのは、当然の理屈です。

そこから、「神の教会ではなく、神の教会を邪魔するのは悪魔の教会だ。」と言う理屈も当然出てきます。

唯一正しい、モルモンの儀式を受け入れないと、昇栄は出来ない。と信じるなら、「他の教会は、人々の昇栄を妨げる悪魔の教会」と考えるのが自然じゃないですか。

バチカンの法王も、イランの大統領も、お互いの宗教の正当性を認めたわけじゃない。一神教とは元来排他的な教義を持つものです。

しかし、だから、殺し合ったり、いがみ合ったりしていて良いわけではない。それは、キリスト教徒として、キリストの教えに反するからです。

「汝の敵を愛しなさい」

そして、嘘をついてはいけない。
日曜学校で、「この、悪の教会と言うのは、特定の宗派を指すのではありません」と教えるのではなく。
きちっと、「かつては、カソリックの事と言っていました」と教えるべきです。そこから、話を始めないと、正しい結論には至らない。
 
 
 
場所ってものはありますね (教会員R)
2016-01-27 11:27:24
日曜学校ってのは、教会の過去の解釈からの変遷よりは、現在の最も推奨される解釈を学ぶところ。 時間も短いので中途半端な説明では害になる。

きちっとした結論を得たいのであればインストであって、教会はそれを制限していないと思われます。 教会が提供するインストの資料や教師の技量や心の広さの問題かも知れません。
 
 
 
うぅぅんんと・・・ (たまWEB)
2016-01-27 12:05:11
99%、本類は、図書館借り出しですがなぁ、都では住まいの隣接区の図書館からも利用可ですがなぁ。お金かけてるのはネット代だけかなぁぁ。アルゴンキンの何かあるか見てみます、そのうち・・・
 
 
 
それと・・・ (たまWEB)
2016-01-27 12:13:12
アマゾン書評にもありますよう、ほんとに読んでいけば気持ち悪くなりそうな感じも・・・はやく返そうかな・・・
 
 
 
仰る通りです (ジョン・ドゥ)
2016-01-27 12:25:40
豚さん
>私は、世間の評判が良いから、モルモンで居るわけではありません。
>世間から多くの非難を受けても、モルモンとして生きて行くでしょう。
>だからこそ、しっかりとモルモンの歴史認識を>ただす必要が有るのです。

私も全く同じ考えです!
本当に真実と教会を愛し、信仰を持っているからこそ言える発言、心から同意します。

まぁ最近では受けが悪いですけどね(笑)
真実ではなく耳さわりの良い美談や誉め言葉だけを並べ立て悦に入ってる人が多いですので。

これは教会だけでなく、日本と言う国に対してもそんな感じです。
 
 
 
Unknown (教会員R)
2016-01-27 13:17:13
豚さんに理解していただきたいのは、ひとつの対象を批判して、どこかの人権活動家のような不公平な手法が取られたならば、視点をより中立に戻すために比較論が「誘導されて」飛び出すのはむしろ当たり前のことなのです。

その回答に対して、他がやるから許されると思ってるのかとか、反省が足らんとか断罪するのは間違ってるってことです。

一方を不問にするのであれば他の一方も不問にすべきであるし、何かを断罪するのであれば特定のひとつだけを名指しで対象にする必然性があるものなのか、比較論として普遍性のあるものなのか、そして現代ではどうなのかを検討して初めて公平な指摘になるだろということです。

>唯一正しい、モルモンの儀式を受け入れないと、昇栄は出来ない。と信じるなら、「他の教会は、人々の昇栄を妨げる悪魔の教会」と考えるのが自然じゃないですか。

「それは唯一正しい、モルモンの儀式を受け入れないと、昇栄は出来ない。と信じるなら」

という前提であって、その前提が間違ってるってことですよ。 非モルモンの死者の多くはパラダイスの住民となり、昇栄を受ける人もいるのが正しい理解ですよね。 また昇栄だけがキリストの救いではないと教えています。

前提条件が崩れますから、「「他の教会は、人々の昇栄を妨げる悪魔の教会」と考えるのが自然」ではなくなってくるのです。

>イランのロハニ大統領と、カソリックの法王が会見しています。

のニュースは現在進行形の出来事ですよね。でしたらモルモン教会の現在進行形の解釈を見てこそ公平にできるとは思いませんか。 

一々モルモンの謝罪がない(したがって昔のままに決まってる)というのであれば、バチカンの法王と、イランの大統領の謝罪会見はどこあるんでしょうか。
 
 
 
豆腐? (ジョン・ドゥ)
2016-01-27 15:04:16
豚さんの書き込みレベルで批判とか叩くとか感じてるようなら、メンタル鍛え直したほうがいいんじゃないかなぁ。

私には真っ当な正論としか思わないけどねぇ・・・
 
 
 
メンタルを鍛えているつもり (NJ)
2016-01-27 20:51:30
言い分、分からないではないが、

「正論」(誌)に似て、

私には強すぎる若干の方々。
 
 
 
先輩の教えを守ってます。 ()
2016-01-28 09:11:36
NJ先輩

「悔い改めるには、まず自分の罪を認める事、そして告白する事」って、NJさんから教えてもらったんですよ。

そこんとこよろしくね!先輩!

否 師匠!! 
 
 
 
先の者は・・ (NJ)
2016-01-28 10:26:02
この頃実感していること:

「少し先に生まれた者は後となり、

  少し後に登場した人が先となる」現実。

ここでもかしこ(facebook)でもそう感じています。皆さん。嗚呼!でも、それでいいのです。
 
 
 
覆轍 ()
2016-01-28 11:36:21
覆轍 とは?

前車の覆るは後車の戒め って事ですが。

確かに先陣を走った人のご苦労は察します。

しかし、先陣を走る人が、間違った道を行けば、その輪達を追う人も道を間違えてしまうのです。

道を間違えた時は引き返す方が良いと考えます。
そのまま進むとドツボにはまる。

後から来る人に、この道は間違ってるとはっきりと教えるのが親切と言うものではないですか?

この道が間違っていると気が付かない人には、こんな事は申し上げません。

悪徳タクシーみたいに、わざと遠回りをして料金を稼ぐ吾人とは思っておりませんので。
 
 
 
Unknown (Y.M)
2016-01-29 22:08:29
以前に私が聞いたのは、同じ章の26節についての「大きな忌まわしい教会」とはカトリックを含むキリスト教会のことだったと思います。この聖句の脚注には「背教・背信―過去のキリスト教会における背教」と書かれています。

しかし6節にも「大きな忌まわしい教会」と書いてありますが、脚注には、「悪魔―悪魔の教会」となっています。


私の個人的な意見としては、2-9節を読む限り、ローマ帝国とその国民のことを言っているのではないでしょうか。「神の聖徒を殺し、苦しめ、縛り上げ」「世の誉れを得るために神の聖徒たちを殺し、彼らを囚われの身を陥れる」とは、十二使徒ら神の聖徒のことを言っていて、それらをした国民のことを言っているのではないでしょうか。そう考えると、カトリックだというのはおかしい話になってくるのであります。

ローマ帝国時代のキリスト教会の歴史を辿ると理解ができるのではないでしょうか。
 
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