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Unknown (教会員R)
2016-04-09 01:23:31
magnify

召しを重んじると拡大するというニュアンスから、上から言われてハイハイと勤めを行うのでなしに、積極的に召しを遂行していくの意味は含まれてはいないだろうか。

逆はお役所仕事に相当する。 
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この記事の行間に感じるのは (ジョン・ドゥ)
2016-04-09 07:55:42
日本人モルモンが聖句の本来の意味を勘違いしたために、信仰生活を楽しめず疲れきって教会を離れたのだ、教会は何も悪くない、悪いのは聖句を勝手に勘違いした日本人会員であるとの主旨のようです。

全ての責任は下の者に負わせよ、全ての名誉は上の者が受けよ、がモルモン教会の運営スタイルなんですね。ひどい話です。
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いえ、あくまで釈義に関心 (NJ)
2016-04-09 12:10:08
いえいえ、主旨は末日聖典を読む時も、聖書に起源を持つ術語のようなものがあって、その語義を知る必要があることを訴えたかったのです。英語を確かめても翻訳された訳語にすぎないことを忘れてはいけないと思います。「愛」「神権」「神権時代」などもそうです。
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全力を尽くして召しを遂行する (オムナイ)
2016-04-09 13:33:13
"magnify"に関するNJさんの考察は印象深いものの一つです。

http://www.geocities.jp/waters_of_mormon/forum/index.html

モルモンフォーラムを取り上げさせて頂いたきっかけにもなった記事です。

昔は結構な原理主義者で教会の責任に苦しみを感じていたので救われた思いがありました。
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これも借用語 (預言者)
2016-04-09 14:30:59
この単語も元々はフランス語の動詞Magnifierの借用語です。
現在のフランス語の語感からも「称賛する、賛美する」という意味があります。
又、画家が王様を前にして肖像画を描く時、その王様への尊敬、偉大さ、栄光「らしさ」などを描く状況にこの言葉も使われると思います。

一方、実際にその人、物がその状況になくても、例えば「大きくみせる、かける」と言ったニュアンスで使われる意味合いもあると思います。
おそらく、この使用法から英語の「大きくする」が生まれ、発展したのではないかと想像します。
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承知いたしました (ジョン・ドゥ)
2016-04-09 14:31:29
NJさん、主旨の説明有難うございます。

ですがモルモン教会用語は英語が起源であると見るべきであり、聖書のように千数百年前の外国語の語義を意識する必要はありません。
理由の説明は不要だと思います。
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ちなみに (ジョン・ドゥ)
2016-04-09 14:36:03
英語に翻訳されたはずのモルモン書にフランス語の『Adieu』が出てくるのは此れ如何に?(笑)
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英語は同義語・類語が多い (たまWEB)
2016-04-09 21:22:13
というわけで、調べますと、いやぁぁいっぱいあることぉぉ・・・超滅茶苦茶多いな、8ページ分・・・
http://www.thesaurus.com/browse/magnify


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Unknown (Unknown)
2016-04-09 21:34:46
magnify と言えば、思い出すのは映画
「Magnificent Seven」

彼らが戦ったように職務を果たしてこそ初めて自分の召しを magnify したと言えるでしょう

やはり「全力を尽くして遂行する」は正しい意訳なのでは?
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BofMの英文には両面 (NJ)
2016-04-10 00:15:45
> モルモン教会用語は英語が起源であると見るべきであり、聖書のように千数百年前の外国語の語義を意識する必要はありません。

> やはり「全力を尽くして遂行する」は正しい意訳なのでは?

以上のような直感的論理はよく理解できます。実際、現代英語の語義に向かう傾向というか影響を私も認めます。

しかし、「モルモン書のどのページにも聖書(欽定訳)の痕跡(echo)が見られ聖書の影響を強く受けていることがわかる。それと19世紀アメリカの英語の両方が組み合わされている」(M.D.トマス)(当ブログ2011.12.16記事)こと、「ジョセフ・スミスが聖書の本文を分解・再構成して新しい物語を生成した」と捉える研究者もいることに注目しています。BofM(JS)は過小評価も過大評価もできない書物(人物)だと思います。(当ブログ2008.7.12記事)

それで、バプテスマ、愛(慈愛)などは聖書に遡り、偽善売教(priestcraft) ,神権時代(ldsが言う語義、教義と聖約)などは聖書に遡らない語になります。私は重要な語彙は聖書の語彙に遡って語義を確認することが欠かせないと考えています。エンダウメントもルカ24:49 endue (力で覆われる)に遡ることが分かります。

adieuについては、弁護しようと思いません。JSが少し気取って「さらば」と書いたものと見ています。(今日、普段人々が別れる時、滅多に「さようなら」と言わないで、いろんな言い方をするように、adieu も英語に入っていたと説明する人もいます。)
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