13 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 末日には、飢饉は人工っす (たまWEB) 2016-07-27 11:48:09 ブレア首相、ジャガイモ飢饉で謝罪・・・http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%20%E9%A3%A2%E9%A5%89%20%20%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%A2黄河決壊で、飢饉生じたと・・・http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E9%BB%84%E6%B2%B3%E6%B1%BA%E5%A3%8A 返信する おまけ・・・ (たまWEB) 2016-07-27 11:51:43 相模原事件の容疑者はネトウヨ? 安倍首相、百田尚樹、橋下徹、Kギルバートらをフォローhttp://news.livedoor.com/article/detail/11811980/ケント・ギルバート氏、極右文化人ということかぁぁ・ 返信する 疑問2つ (ジョン・ドゥ) 2016-07-28 14:17:30 ●疑問1主の言葉を聞くことのできぬ飢饉(飢えと乾き)を、主が送ったのですか?変なことをする神様だなぁと思いました。だってイエスは自ら世の人の中に下って、罪人の傍らに寄り添うお方ではないですか。●疑問23千万人の人口で死者が3百万人、難民が3百万人が出たそうですが、その中でいったい日本軍は何人を救ったのでしょうか?当時ではロシアのドイツ軍だって住民を惨殺する傍らで幾ばくか人間を救い、ドイツ軍に協力する戦力を得ています。それとさして変わらないでしょ。日本軍が実は親切なお人好しだったのだとの幻想をお持ちなのかもしれませんが、当時日本軍はタイへ進駐して半ば強制的に大量の米を調達しているのです。そういう事実はご存知ですか?ぜひお調べになって下さい。 返信する 私からも、おまけ (ジョン・ドゥ) 2016-07-28 14:27:28 >6万の日本軍が30万の中国軍を撃滅した。撃滅?日本は先の大戦で負けたんですよ、歴史はご存知ですか?>これはタブー視され封印されてきた。こういう表現にはイラッときますね。誰かの本を読んで、おお、日本軍も立派じゃないかと思ったから記事にしただけではないのですか?ご自分がそれまで存じなかっただけのことを、タブーだったのだとか封印されていたのだとか、NJさんらしからぬ極めて程度の低い文章です。 返信する こんなのもあるんすね、 (たまWEB) 2016-07-28 21:40:02 Wikipediaにはこう書かれている。 「劉震雲によれば1942年から1943年にかけて河南省では水旱蝗湯(すいかんこうとう)と呼ばれる水害、干ばつ、イナゴの発生、および湯恩伯による重税により、300万人あまりが餓死した。…この状態が続けば河南省は全滅していたが、1943年の冬から1944年の春までの間に日本人が河南の被災地区に入り多くの軍糧を放出して多くの人々の命を救った。」そして、河南省の人々が中国軍に叛旗を翻し、日本軍に協力する者も少なくなかったという。 「河南省の人々は日本軍を支持し、日本軍のために道案内、日本軍側前線に対する後方支援、担架の担ぎ手を引き受けるのみならず、軍隊に入り日本軍による中国軍の武装解除を助けるなどした者の数は数え切れない程だった。1944年春、日本軍は河南省の掃討を決定した(一号作戦)。そのための兵力は約6万人であった。この時、河南戦区の蒋鼎文司令官は河南省の主席とともに農民から彼らの生産手段である耕牛さえ徴発して運送手段に充てることを強行しはじめた。これは農民に耐え難いことであった。農民は猟銃、青龍刀、鉄の鍬で自らを武装すると兵士の武器を取りあげはじめ、最後には中隊ごと次々と軍隊の武装を解除させるまでに発展した。推定では、河南の戦闘において数週間の内に、約5万人の中国兵士が自らの同胞に武装解除させられた。すべての農村において武装暴動が起きていた。日本軍に敗れた中国兵がいたるところで民衆によって襲撃、惨殺、あるいは掠奪され、武器は勿論、衣服までも剥ぎ取られた。3週間以内で日本軍はすべての目標を占領し、南方への鉄道も日本軍の手に落ちた。この結果30万の中国軍は全滅した。」このような史実が中国河南省出身の劉震雲氏が祖母や叔父らをインタビューして著した『温故一九四二』という本に書かれているようだ。邦訳もされており、アマゾンに詳しいレビューが紹介されている。http://www.amazon.co.jp/%E6%B8%A9%E6%95%85%E4%B8%80%E4%B9%9D%E5%9B%9B%E4%BA%8C-%E5%8A%89-%E9%9C%87%E9%9B%B2/dp/492477992X こんな大きな事件があまり日本人に知られてこなかったのは、わが国の歴史教科書に書かれてこなかったからなのだが、ではなぜこの事件が教科書に載せられることがなかったのか。このブログで何度も書いている事なのだが、わが国の教科書は『戦勝国にとって都合の良い歴史』であり、このような『戦勝国にとって都合の悪い史実』を書くことは許されなかったと考えるしかない。この事件の前後に起こった事件を追っていくと、今の教科書のスタンスを守ろうとする勢力が、この事件を教科書に書くわけにはいかないと考えた背景が見えてくる。1937年7月7日に盧溝橋事件がおこり日中戦争がはじまったが、ことのきっかけは、後に中国の国家主席となった劉少奇の指示により、夜陰に乗じて、共産党軍が日本軍・国民党軍の双方に発砲したことからはじまっている。この事件発生後5日目に停戦協定を結んだが、この停戦協定はその後何度も中国によって破られて日本兵が襲撃され、ようやく7月28日に日本軍は武力不行使の方針を捨てて中国軍へ開戦を通告した。その翌日の29日に、中国保安隊によって通州の在留邦人380人中260名が惨殺される事件が起こっている。(「通州事件」) 返信する URLは、 (たまWEB) 2016-07-28 21:42:33 http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/244/ 返信する たまさんって (ジョン・ドゥ) 2016-07-28 23:05:59 蓋然性の考証とか他の事件との関連性の考察とか一切しないで何でもあっさり信じちゃう人なんですね。まぁいいんじゃないですか\(◎o◎)/ 返信する Wikipedia は多くの場合出発点だけれど (NJ) 2016-07-28 23:50:26 たまWEBさんのWikipedia 引用により、ジョン・ドゥさんの幾つかの質問が答えられました。有難うございます。ジョン・ドゥさんの質問1についてここは予言者アモスが終わりの日について示されたことです。旧約聖書を含めて聖書は重層的に読む必要があります。試練もあれば救いと罰も描かれています。おまけの問。たまWEBさんの引用でおわかりでしょう。河南のこの時点での会戦を言っています。普通に読めばわかることではないですか。「タブー視され封印されてきた」というのは、中国における話です。文脈から自明のことと思ったのですが、言葉足らずだったかもしれません。それにしてもジョン・ドゥさんらしからぬ表面的な読みではないでしょうか。>日本軍が実は親切なお人好しだったのだとの幻想・・とんでもないことです。私は日本軍が中国に侵入し殺戮を行なったことに対して、重く受けとめている者です。これを取り上げたのは、書きにくいことを著した良識的な中国人作家がいたことに注目すべきであると考えたからです。7/10の私の記事で「戦争とは言え、他の国の多くの人たちを殺したこと」「実際に戦場へ行き、前線で闘った人たち、おおむね85歳以上の男性は口を閉ざして何も語りません」という聖餐会の話を引用したのも同じ視点からだったのです。「神様の目から見たらきっと日本も大きな罪を犯したのでしょう」と私の同い年の姉妹は語りました。 返信する 考証・考察とかいうより (たまWEB) 2016-07-28 23:52:30 蒋介石、毛沢東、日本のトップ集団もフリーメイソンだよ~~んん、そういうレベルだからぁぁ・・・蒋介石 フリーメイソンhttp://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E8%92%8B%E4%BB%8B%E7%9F%B3%20%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3 返信する たまWEBの脳内では、兎に角 (たまWEB) 2016-07-28 23:57:47 秘密結社暗躍という図式が多勢を占めてるみたいな・・毛沢東 フリーメイソンhttp://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E6%AF%9B%E6%B2%A2%E6%9D%B1%20%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3 返信する Unknown (教会員R) 2016-07-29 04:36:26 日本は中国、韓国、ロシアを侵略した歴史があるのはまぎれもなく、事実なのは良く知っていたが、いくら日本の武装が優秀だからといっても、数の上では数倍の敵のいる陣地を次々とあっさり侵攻できたことが不思議だったのですが、大人の事情としてなんとなく分かったような気がします。 返信する Wikipediaによれば・・・ (ジョン・ドゥ) 2016-07-29 09:04:15 『黄河決壊事件』の顛末は、ブログ中の「6万の日本軍が30万の中国軍を撃滅した。」という表現とはやや趣を異にしております。>「タブー視され封印されてきた」というのは、中国における話です。これについては承知いたしました。 返信する 人の生くるはパンのみによるにあらず (オムナイ) 2016-07-30 12:02:29 >「主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ」とあって、改善されていると思った。なるほど理解しやすいですね。そろそろ口語訳からの転換期でしょうか。この場面は人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである。に通じるのでしょうね(マタイ4:4,申命記8:3)>2 1942年河南省大飢饉こんなことがあったんですね。蒋介石の国民党との対立でしょうから、台湾の人々が日本に友好をいだいている要因の一つ? 返信する コメントをもっと見る 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
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黄河決壊で、飢饉生じたと・・・
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http://news.livedoor.com/article/detail/11811980/
ケント・ギルバート氏、極右文化人ということかぁぁ・
主の言葉を聞くことのできぬ飢饉(飢えと乾き)を、主が送ったのですか?変なことをする神様だなぁと思いました。だってイエスは自ら世の人の中に下って、罪人の傍らに寄り添うお方ではないですか。
●疑問2
3千万人の人口で死者が3百万人、難民が3百万人が出たそうですが、その中でいったい日本軍は何人を救ったのでしょうか?当時ではロシアのドイツ軍だって住民を惨殺する傍らで幾ばくか人間を救い、ドイツ軍に協力する戦力を得ています。それとさして変わらないでしょ。
日本軍が実は親切なお人好しだったのだとの幻想をお持ちなのかもしれませんが、当時日本軍はタイへ進駐して半ば強制的に大量の米を調達しているのです。そういう事実はご存知ですか?ぜひお調べになって下さい。
撃滅?日本は先の大戦で負けたんですよ、歴史はご存知ですか?
>これはタブー視され封印されてきた。
こういう表現にはイラッときますね。
誰かの本を読んで、おお、日本軍も立派じゃないかと思ったから記事にしただけではないのですか?
ご自分がそれまで存じなかっただけのことを、タブーだったのだとか封印されていたのだとか、NJさんらしからぬ極めて程度の低い文章です。
「劉震雲によれば1942年から1943年にかけて河南省では水旱蝗湯(すいかんこうとう)と呼ばれる水害、干ばつ、イナゴの発生、および湯恩伯による重税により、300万人あまりが餓死した。…この状態が続けば河南省は全滅していたが、1943年の冬から1944年の春までの間に日本人が河南の被災地区に入り多くの軍糧を放出して多くの人々の命を救った。」
そして、河南省の人々が中国軍に叛旗を翻し、日本軍に協力する者も少なくなかったという。
「河南省の人々は日本軍を支持し、日本軍のために道案内、日本軍側前線に対する後方支援、担架の担ぎ手を引き受けるのみならず、軍隊に入り日本軍による中国軍の武装解除を助けるなどした者の数は数え切れない程だった。
1944年春、日本軍は河南省の掃討を決定した(一号作戦)。そのための兵力は約6万人であった。この時、河南戦区の蒋鼎文司令官は河南省の主席とともに農民から彼らの生産手段である耕牛さえ徴発して運送手段に充てることを強行しはじめた。これは農民に耐え難いことであった。農民は猟銃、青龍刀、鉄の鍬で自らを武装すると兵士の武器を取りあげはじめ、最後には中隊ごと次々と軍隊の武装を解除させるまでに発展した。推定では、河南の戦闘において数週間の内に、約5万人の中国兵士が自らの同胞に武装解除させられた。すべての農村において武装暴動が起きていた。日本軍に敗れた中国兵がいたるところで民衆によって襲撃、惨殺、あるいは掠奪され、武器は勿論、衣服までも剥ぎ取られた。3週間以内で日本軍はすべての目標を占領し、南方への鉄道も日本軍の手に落ちた。この結果30万の中国軍は全滅した。」
このような史実が中国河南省出身の劉震雲氏が祖母や叔父らをインタビューして著した『温故一九四二』という本に書かれているようだ。邦訳もされており、アマゾンに詳しいレビューが紹介されている。
http://www.amazon.co.jp/%E6%B8%A9%E6%95%85%E4%B8%80%E4%B9%9D%E5%9B%9B%E4%BA%8C-%E5%8A%89-%E9%9C%87%E9%9B%B2/dp/492477992X
こんな大きな事件があまり日本人に知られてこなかったのは、わが国の歴史教科書に書かれてこなかったからなのだが、ではなぜこの事件が教科書に載せられることがなかったのか。
このブログで何度も書いている事なのだが、わが国の教科書は『戦勝国にとって都合の良い歴史』であり、このような『戦勝国にとって都合の悪い史実』を書くことは許されなかったと考えるしかない。
この事件の前後に起こった事件を追っていくと、今の教科書のスタンスを守ろうとする勢力が、この事件を教科書に書くわけにはいかないと考えた背景が見えてくる。
1937年7月7日に盧溝橋事件がおこり日中戦争がはじまったが、ことのきっかけは、後に中国の国家主席となった劉少奇の指示により、夜陰に乗じて、共産党軍が日本軍・国民党軍の双方に発砲したことからはじまっている。
この事件発生後5日目に停戦協定を結んだが、この停戦協定はその後何度も中国によって破られて日本兵が襲撃され、ようやく7月28日に日本軍は武力不行使の方針を捨てて中国軍へ開戦を通告した。
その翌日の29日に、中国保安隊によって通州の在留邦人380人中260名が惨殺される事件が起こっている。(「通州事件」)
まぁいいんじゃないですか\(◎o◎)/
ジョン・ドゥさんの質問1について
ここは予言者アモスが終わりの日について示されたことです。旧約聖書を含めて聖書は重層的に読む必要があります。試練もあれば救いと罰も描かれています。
おまけの問。たまWEBさんの引用でおわかりでしょう。河南のこの時点での会戦を言っています。普通に読めばわかることではないですか。
「タブー視され封印されてきた」というのは、中国における話です。文脈から自明のことと思ったのですが、言葉足らずだったかもしれません。それにしてもジョン・ドゥさんらしからぬ表面的な読みではないでしょうか。
>日本軍が実は親切なお人好しだったのだとの幻想・・
とんでもないことです。私は日本軍が中国に侵入し殺戮を行なったことに対して、重く受けとめている者です。これを取り上げたのは、書きにくいことを著した良識的な中国人作家がいたことに注目すべきであると考えたからです。7/10の私の記事で「戦争とは言え、他の国の多くの人たちを殺したこと」「実際に戦場へ行き、前線で闘った人たち、おおむね85歳以上の男性は口を閉ざして何も語りません」という聖餐会の話を引用したのも同じ視点からだったのです。「神様の目から見たらきっと日本も大きな罪を犯したのでしょう」と私の同い年の姉妹は語りました。
蒋介石 フリーメイソン
http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E8%92%8B%E4%BB%8B%E7%9F%B3%20%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3
毛沢東 フリーメイソン
http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E6%AF%9B%E6%B2%A2%E6%9D%B1%20%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3