コメント
 
 
 
Unknown (以前被放逐的人)
2013-11-12 17:42:25
ではあなたがかかれてはいかがですか?
 
 
 
そのような立場には (沼野治郎)
2013-11-12 22:41:46
ご承知のように私はそのような立場にはいません。
 
 
 
日本語の教会書籍 (地方の教会員)
2013-11-12 23:27:49
NJさんのご指摘のような現象が私のワードであります。日曜学校の教師がインスティテュートのテキストからよく引用されているのです。
インスティチュートのテキストは純粋な聖典の言葉や、預言者の言葉だけではなく、教会官僚の考えも盛り込まれておりそのまま引用するには、どうなのかとは思っていました。

また一時期は、預言者の著書(赦しの奇跡 キンボールや救いの教義Fスミミス)等が日本語で読めたのですが、現在日本語の書籍も随分少なくなってきました。

njさん他日本人の教会員の著書がぼちぼち読めるようになってきたのは、大変うれしいことですが、日本人に与えられる情報は、私が改宗した当初からいうともっと隠蔽的になっていると感じます。

私が改宗した時には、セミナリーで一夫多妻やカートランド銀行の失敗について学んだのですが、現在のせみなりーにはありません。

英語を学べということかもしれませんが、日本語の書物がもっとほしいものです
 
 
 
Unknown (以前被放逐的人)
2013-11-12 23:49:16
あなたがもしそのような立場だったらどのような内容にしますか?
 
 
 
著者の主体的な取り組み (沼野治郎)
2013-11-14 22:09:28
> 地方の教会員さん 

いつも身近な例などコメントをありがとうございます。日本でインスティチュートの教科書からよく引用されるのは、今の現状では致し方ないのかもしれません。ほかに行くべき資料が乏しい、またはないからです。

教会教育部の書物は主体的な解説が少なく、従来幹部が述べてきた言葉に依存する傾向が見られるので不足を感じるのだと思います。

「信仰箇条の研究」を改めて開けてみましたが、しっかり書かれていることがわかります。今後も参照したいと思っています。

インスティチュートの本に不足を感じるとすれば、解消するための一つの方法は以前のものでも複数手元に置いて活用することではないでしょうか。

日本人の会員による書籍がこれから少しづつ出てくると心強いですね。それでこそ本当の定着につながると思います。
 
 
 
普通の註解書 (沼野治郎)
2013-11-14 22:38:37
我只説「句多 了」

「あなた」というのは私沼野のことですか。私が読みたいと希望するのは、日本キリスト教団が出している聖書の註解書程度の解説がモルモン書などについて刊行されればということです。
 
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