日曜学校(lds)の福音の教義クラスで旧約聖書を読む年にはヘブライ語を、新約聖書を読む年にはギリシャ語を復習し、キーワードや固有名詞を調べたり、短い語句や節を読んでみたりするようにしている。私のささやかな趣味(聖書研究活動)である。多くは忘れたことの復習であるが、時々新しいことを知ることもあって飽きることがない。
最近学んだことを少し記してみたい。(参照した辞書はStudent Hebrew Lexicon)。
1 エリヤ、イザヤ、エレミヤなど有名な預言者の名前は、ヘブライ語本文ではエリヤフー、イザヤフー、エレミヤフーなど語末がフーで終わっている。長い間、そのわけが分からないでいたが、語尾の –iahu (or jahu) がヤハウェの略形であることを読んで理解の目が開けた。それでエリヤフーאליהוの意味は、[my] god (ely) is Yahu (short form of Jehovah)。フーがつかないで「ヤ」で終わる略形の場合の -iah (-jah) もJehovah の韻文的省略形である。
同じことは、王の名前ヒゼキア、ヨシア、ヒルキアなどについても言える。日本でもそうであるが、名前にはそれぞれ意味が込められていて、それが分かると単なる無意味に見えるカタカナの羅列ではなくなって身近に感じられる。
2 語源(root)を知っても結局語彙の意味が今日の意味とそれほど変わらない場合もある。例えば「心」、「賢い」などはOTヘブライ語の意味が、心の場合、心臓[heart] < 「包む」という動詞からきていること、賢いが ha:kam 「賢くなる」という動詞からくることを知っても、今日の「心」や「賢い、英明な(wise)」から「知的な、理解力に富む、思慮分別がある」にいたる意味とあまり隔たりがない。結局人が使う言語は同様の意味を持つようになって古代文書の意味も十分問題なく把握することができる。(もちろん研究の蓄積深化や翻訳者の労を無視することはできないが。)
3 原語を確認したい場合。例、「立派な女」(ルツ3:11)の立派とは?「勝利を得る」(ヨシュア1:7,8)は戦いに関係しているのかなど。「立派な」がどんな意味かというと、その語の意味は straight, even とあり、行程・進捗が直線的=prosperous 成功した、繁栄した と転じるとあった。REB(Revised English Bible)は a fine womanとある。 ヨシュアの「勝利を得る」(文語訳:勝利を得べし)の原語は「成功を得る」で、新共同訳では「成功する」となっていた。
4 日本語に入っている「サービス」の意味は「相手のために尽くすこと、奉仕、客をもてなすこと」で、英語のserve にある「[目的・必要]を満たす、[役割]を果たす、[人の]役に立つ」などの語義から来ていると考えられる。日本語に訳しにくい語と受けとめてきた。聖書に遡っていくとヨシュア記24:14「今日主に仕えることを選ぶ」などにある「仕える」(KJV serve) にゆきつく。その原語 a:bad は1) 砕く、耕す、2) 働く、3) 仕える(他人のために働く)、そして転じて比喩的に「礼拝する(worship)」の語義も持つ。なお名詞形は労する者、下僕、奴隷の意味もあった。結局初めは、「下に立って仕える」という意味の語であったことがわかる。
聖書の原語に少しでも通じることは必ずしも教会員としての生活に必要とされないが、私は日本にも世代交代を越えて常時ヘブライ語やギリシャ語に取り組む末日聖徒がいてほしいと望んでいる。翻訳された日本語や英語の範囲を越えていくことは、日本の教会としても個人としても自立への道につながるものと確信している。(先日地元の教会教育部の教師にこの高齢会員の希望を伝えることができた。)
参考
Torah Nabiim Weketobiim (ヘブライ語旧約聖書), Hebrew Publishing Company
Edward C. Mitchell, A Compendious and Complete Hebrew and Chaldee Lexicon, 1957
Jewish Encyclopedia, http://www.jewishencyclopedia.com/view.jsp?artid=245&letter=E&search=Elijah#ixzz0uy0e8skD
[付] 1 言語は時間とともに語義が変遷し拡張していく。4に関連して、ギリシャ語の「監督」には「上から監視する者」(overseer) の意味があった。使用していく人々が尊敬の意を含めて使っていれば、そのように変遷していく。言葉そのものを取り替える必要はない。まして外国語(英語)を持ち込むのは英語覇権主義(English hegemony) のそしりを免れない。本ブログ 2008/1/29, 2009/3/31 参照。
2 ヘブライ語の勉強はアラビア語の勉強にも役立つ。共に語彙も語法も共通のものが多いセム系の言語だからである。
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原語云々の前に、数年前のモルモンは成人会員が集まって小学生の音読練習かと思うほど日本語も読めない水準まで落ちてました。管理者様の意向が伝わり反映されても、この状態では充分に活かせないと思われます。
モルモンフォーラムの代表者の方が私のブログを御覧になるとは思ってもおりませんでしたので、非常に光栄です。
さて、私のモルモニズムについての見解について述べさせていただきます。
正統派キリスト者として、モルモンニズム、特にユタに本拠を置く主流派『末日聖徒イエス・キリスト教会』所謂ブリガム派の教理に関しては、
・神の概念(神はかつて人であり『昇栄』により神となり、また人々も昇栄し、神と等しくなる。また神には妻がいて天上の生殖行為により、霊の子供をもうける等)
・霊魂潜在説(上記に関連する)
・三位一体の否定(神会という『三体同位』)
・聖書外の経典(モルモン書・教義と聖約・高価な真珠、標準聖典には含まれていないジョセフ・スミスの霊感訳聖書など)の使用
・『神殿』の存在およびそこで行われる秘密儀式、ガーメントの着用
等々の教理から『末日聖徒イエス・キリスト教会』所謂ブリガム派はキリスト教の名前を用い社会的にはキリスト教の一種と考えられていますが、その教理のあまりの差異から、むしろ異教・別宗教であり、キリスト教とは全く関係がないと思います。
(私はモルモニズム・LDS運動の中で『コミュニティ・オブ・クライスト(復元イエス・キリスト教会)』など一部の派はキリスト教の異端であると考えます)。
しかしながら、それは私が、モルモニズムを宗教・信仰として否定しているわけではありません。
19世紀アメリカの宗教運動として、またアメリカニズムの発露として社会学・歴史学的に非常に興味を持っています。
例えばモルモン書にみる19世紀アメリカ人の先住民観・人種観、『回復された教会』と称したことから、その証明として『失われた儀式』の保持・回復として、同じく『古代からの叡智を保持する』と称するフリーメーソンからの建築及び儀式の模倣、経済的利益の積極的な肯定など、とても興味深く感じております。
最後に私の英語の間違いを指摘頂きありがとうございます。このような簡単な間違いを犯してしまい、恥かしい限りです。
イオアン[ヨハネ]庄司将敏
はい。家族には無駄なことに時間とお金を浪費してと思われています。
モルモンは教義の実践に重心が置かれていて、それはそれで良いことだと思います。
熟練したモルモンは儀式や戒めがあくまで「愛」の完成の補助だということを熟知しています。
いろいろ問題があるものの教会はより意味のある人生を生きる糧を、また支えを信徒に与え続けています。
ただ社会の世界観が変わり価値観が変化するとき、モルモンで長年良いとされていた行動規範が疑問に付されるとき、NJさんのような方の知識、理解が進むべき方向を与えてくれると確信しています。
「睨まれました」残念なことです。私は最近発言に気をつけています。知識をひけらかしているみたいに見られて、浮き上がってしまうのは嬉しくないからです。
「日本語も読めない水準」一般的には大体リアホナの記事が読める水準にあると思います。
> 伊望様
ご丁寧なコメント、恐縮です。貴ブログへのコメントはTwitter 風に数行で断片的に書かせてもらったもので、英語のことなど失礼しました。伊望さんのスタンスは私の認識や関心に近いものを感じます。また時々寄らせていただきます。
> ZOEさん
「いろいろ問題があるものの教会はより意味のある人生を生きる糧を、また支えを信徒に与え続けています」これと同じ趣旨を Dialogue 誌に掲載されたRobert A. Rees の The Goodness of the Church に読みました。私も同じ気持ちです。
と言う事は・・・??「Yahoo」は神なのか??
山の登ると叫ぶ「やっほー!(JOHOO)」の語源が「YHWH」だって話も聞いたことがあるのですが??
その真偽はともかく、今やインターネットは「神」なのかもしれませんね。