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[柴田史子女史、聖学院総合図書館長]

高橋弘氏の「素顔のモルモン教」はすでに出版されて20年になるが、出版された年に柴田史子(ふみこ)聖学院教授(宗教学)が「宗教研究」誌に書評を掲載していた。最近入手したので、ここに紹介したい。

 評者はこの本を、多数の文献と資料に基づいて丹念に記述したモルモン教の研究書と見、モルモン教を、起こった頃の米社会の雰囲気の中に位置づけようと努力している、と評価している。ただ、全般的にモルモン教に対して厳しすぎる印象を免れない、という感想を添えている。

 こんにち情報公開に踏み切った末日聖徒イエス・キリスト教会の会員にとっては、教会自身が微妙な問題について論文(essay) を教会の公式サイトに公表した以上、一部高橋氏の厳しい指摘を直視する必要があるだろう。例えば、ジョセフ・スミスが教会発足当時、一夫一婦制を規範としていたのが、10年ほどの間に本音と建て前、裏と表の二重構造を持つようになり、ジョセフ・スミスが教会の建て前を浸食し、それが啓示という名目で正当化されたことなどである。今日でもともすると古い体質が残っていて、建て前が残存する本音の前に揺らいでいないか、注視していく必要があるのではないか(LGBTに対する対応など)。

 宗教学の面からアメリカ研究を行う評者は、気になる点として次の4つをあげている。
1) この書物はモルモン教の問題ばかりが目につくが、なぜこのように多くの問題を抱えた集団が信者を惹きつけ、同時期に建設された多くの共同体が衰退しているのに対し、激しい迫害を受けたと思われるモルモン教会が存続し得たのはなぜなのか。求心力は何なのかという疑問が残る。

2) 著者はモルモン教が非常にアメリカ的な宗教というが、男性が神権を与えられるにしても教会の意思決定過程に重要な役割を果たしているとは思われず、万人祭司の面をもって民主的な組織と言えない。また、アメリカ宗教の基本的パターンとなってきた政教分離の原則も長らく拒否してきたように思われる。アメリカ的特徴のうちモルモン教が共有しなかったものに注目する方が、モルモン教の特異性を明らかにできるのではないか。

3) 一般信徒の姿が明らかにされたとは言い難い。宗教集団の実像を描こうとする時、どのような階層、人種、民族がどのような理由でグループに加わったのかを知る必要がある。
     
4) 黒人差別の問題で預言者(大管長) - - 聖典より優先される生ける預言者 - - の人種観に触れられていない。聖典の役割を重視しなかった他の三つの章と違ってもっぱら建て前の記述に多くが割かれ、建て前と現実の矛盾を指摘することに終始し、一貫性に欠ける。

専門家による鋭い指摘である。

[評者柴田史子氏は、筑波大学で神学研究修士号を得、前職は津田塾大学で教授職にあった。]

*柴田史子「高橋弘著『素顔のモルモン教』」日本宗教学会「宗教研究」第70巻、310, 第3輯、1996年12月

参考 当ブログ 2013.01.17 「モルモン教をどう見るか」に寄せられた短評 の後半に「素顔の・・」の短評5件

コメント ( 12 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
Unknown (教会員R)
2016-05-24 00:36:25
「素顔のモルモン教」については、確かに歴史資料に基ずいて、教会が自らの過去の歴史について説明責任を果たしていない点があることや、ジョセフスミスの言動の矛盾の指摘など、着眼点までは良かったのですが、教会や預言者をこき下ろす論調に終始していることが、残念(価値を下げている)に思われます。

初期のモルモン教会を批判するにせよ、もう少し当時の世間の価値観や当時のキリスト教諸派のレベルも冷静に分析考慮して、比較的こうだったのような切り口だと良かったのですけどね。

 
 
 
でも事実 (ジョン・ドゥ)
2016-05-24 09:20:29
『素顔のモルモン教』に関して、間違った内容が含まれているとの指摘は無いようですね。事実ばかりであるという点は認めざるをえない、と言うことでしょうか。

著者の高橋教授をモルモン研究発表会にお招きして末日聖徒の知的かつエキュメリカルな取り組みを実際に目の当たりにしていただく、と言う方法はいかがでしょうか?
 
 
 
資料価値 ()
2016-05-24 15:56:14
この本は、日本のモルモン会員が、モルモン教会以外からの視点で書かれた史実を知るのに貴重な役目を果たしたと思っています。

私達はそれまで、教会発行の書籍以外ではモルモン教会の歴史を知ることが出来なかったので、この本のおかげで、少しは客観的視野に立って「モルモン教会」を見ることが出来る様になりました。

そう言う意味で、会員にとって貴重な資料だと思います。


NJさんがまとめてぐださった、1)~4)について、もっと掘り下げてもらえたら、面白いと思いました。

別スレッドで、一つ一つについて勉強したいですね。
 
 
 
豚足です ()
2016-05-24 16:08:03
このスレッドには全く関係のないは話題です。すみません。


「女史」って最近はほとんど目にしなくなった表現ですね。

女性の社会進出の広がりで、もともとはその方への敬意をこめて使っていたのでしょうが、昨今ではあえて「女史」と言う敬称を付けるのがかえって失礼になると言う風潮が有るのかもしれません。

つまらない事にひっかかってすみません。
 
 
 
Unknown (教会員R)
2016-05-25 03:16:07
しかし「素顔のモルモン教」の批判の内容は反モルモンの攻撃と同じで既に教会がとっくに教えなくなったような、つまり今から思えば末日聖徒の教義とも言えないような談話や考え方を攻撃しているものが大半ですね。

ただ自分にとって言われて当然かもと感じた批判もあって、それは教会は教会の歴史学者に対して払うべきリスペクトを全然払わない点ですね。

中世に権威失墜を恐れて天文学者を迫害したのと同じ大人気ない失敗がこの教会にあることについての失望であり、こればっかりは否めないのが残念です。
 
 
 
ホントに読んだのかい? (ジョン・ドゥ)
2016-05-25 06:28:16
>末日聖徒の教義とも言えないような談話や
>考え方を攻撃しているものが大半ですね。

あの本の大部分はモルモン教会の歴史を解説しているのであって、教義の問題にはさほど触れていないけれども。
 
 
 
素顔のモルモン教に対する沼野治朗氏の書評 (ジョン・ドゥ)
2016-05-25 06:43:57
と言うものがネット上にありました。

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 この論文を読んで評者は、知人のある元国文学教授のことを思い出し た。彼はキリスト教と聞くと、叔父は牧師であったが、キリスト教は戦争 をする宗教ではないか、と叔父を困らせたものだ、と言っていた。考えて みれば、スペイン人のメキシコやペルーの征服、西欧の帝国主義などキリ スト教が先鋒として関わっていたし、過去におけるヨーロッパの多数の宗 教戦争、カトリック教会の圧制や武力行使、そして現代における北アイル ランドの紛争など枚挙にいとまがない。

 モルモン教徒が初期に迫害された時、被害者として守勢に立つばかりで なく、武力に訴える対抗措置をとるに至っていたこと、それがエスカレー トする場面があったことが、最近論文や研究書で注目されている(クイ ン、「モルモン教の階層栴造--権力の起源」'94など。)しかし、それは それこそ19世紀のフロンティアにあって、激しい迫害や攻撃に抗する手段 に始まったものであると考えられる。例えば1838年ボッグズ知事の撲滅令 発布3日後、ホーンズ・ミルで31名の末日聖徒がミズーリの民兵に虐殺さ れている。そのような環境や背景を考慮に入れるべきである。そういった 点に触れないで、高橋氏のこの論文は、教徒側による物理的行為を一方的 に列挙し、学術論文に必要な、総合的・客観的記述と慎重な姿勢に欠ける ところがある。典拠も反モルモンのものが三つ(四つ?)引用されてお り、執筆姿勢は初めから非難色が濃厚である。

 論文は教会の初期に見られた「血による贖罪」に触れ、それに関係する とされる9つの執行範疇をあげている。今日耳にすることのないこの概念 は略述すれば、次のようなものである。人の罪が赦されるのは、イエスの 血を流す贖いがあったから可能となった。しかし、人の罪の中には殺人の ように重大な罪で、自らの血を流さなければ赦されないものもある。(い ずれの場合も血の介在が不可欠。)そこで重い罪に、姦淫、盗みなどが加 えられ、教会を去ること、教会に敵対すること、なども加えられるに至っ た。そして教会内外の者で、このような罪を犯した者に対して、血を流す ことによる刑の執行が、「実際に実行された」。一時期、一部そのような ことがあったことは否定できない(クイン、同上書下巻)が、数少ない例 をもって、広範に恒常的に行われていたかのような印象を与える書き方( implicationsの使用)は誘導的である。ブリガム・ヤングの断罪的表現が 大会説教から何度も引用されているが、そこには修辞(レトリック)ある いは強い警告と受けとめられる要素があるはずである。

 さて、1から9までの記述の主要な部分は、死刑執行の方法に関するも のと読むことができよう。ユタ州が銃殺刑に固執する理由がこの論文から 理解できる。評者は死刑に賛同する者ではない。この論文に記された内容 は、19世紀ユタにおける神政体制下で、ある考え方が極端にまで押し進め られた遺憾な現象である。しかし、現在から見れば、「今は昔」に属する 過去の出来事である。また当論文は、事象の指摘に終始して分析には僅か の紙面しかさかれていない。結局、今日に及んでいる面は何かと言えば、 末日聖徒に死刑存続論者が多く残っている、という点くらいである。

 今日、末日聖徒がすっかり落ち着いて、大変穏やかで大人しい(日本は もちろん、アメリカでも)市民であることを考えると、論文の表題はもち ろん、この種の偏見や非難を感じさせる論文は、奇妙に場違いというか今 日的でないものと言わざるを得ない。(ジャン・シップス、「定型的視点 を越えて--20世紀のモルモン・非モルモン共同体」87 参照。)モルモ ン教の過去の姿を示すことが目的であったにせよ、激しい敵愾心に満ちた 反モルモン運動に通じるものが感じられ、残念である。

 教会にとって厳しい内容については典拠を記すべきであること(3の盗 みに関する後半部分)、「‥と思われるふしがある」「‥ようであ る」というような暗示的記述は、読者が批判的に割り引いて読むべき箇所 であることを、述べておきたい。また、二度にわたって「えせキリスト 教」と言う表現を使っているが、論文はここでも宣伝文書に成り下がる危 険を冒している。最後に、論文末尾に「モルモン教本郡(?)の地下格納 庫には常時、一年分の食料と武器・弾薬が貯栽されているという」と信憑 性のない風説を引いているのは、極めて学術論文にふさわしくない結びで あり、昨今の風潮に習えば、不安と嫌悪感をあおるものとして、充分訴松 の対象となるものであろう。
 
 
 
で、それに対する著者、高橋教授のコメント (ジョン・ドゥ)
2016-05-25 06:48:52
もネット上にありました。

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「モルモン・フォーラム」誌で、沼野治郎氏(当時、徳山大学教授)は高橋弘著『素顔のモルモン教』をとりあげ、これが悪意のある意地悪な書物であり、著しく批判的で偏向した暴露本だと結論づけている。著しく偏向した書物である証拠として、近年になってミズーリー州知事クリストファー・ボンドがかつての「モルモン教徒追放令」を謝罪した事実を述べるべきで、そうした事実を無視していると書いている。しかし、これは誤読に基づく言いがかりに過ぎない。事実、高橋は『素顔のモルモン教』146頁に、その事実に言及し、モルモン教会にたいしても公平を期している。(ただ、こうした沼野氏の書き方からすれば、彼は『素顔のモルモン教』を読んで、モルモン教徒としての立場からこれを読み、一時的にせよ、驚きとショックで完全に理性を失っていたと思われる。)
『素顔のモルモン教』で高橋が目指したことは、できるだけ客観的な視点から、モルモン教会の歴史を記述することであった。信仰というフィルター(色眼鏡)をかけた人間は、実際の出来事を、ある特殊な先入観からのみ解釈する傾向がある。そこに信仰的な意味を読み取ろうとするからである。
 したがって、使用する文献にも高橋は細心の注意を払ったつもりである。使用した文献は、沼野氏が指摘する、いわばモルモン教の敵・批判者のものを中心に用いた訳ではない。注意深い読者なら、高橋が用いた文献の八割方がモルモン教徒、あるいは元モルモン教徒のものであることに気づいたはずである。成功したかどうかを別にして、少なくともこの本を書くときに気をつけたことは、U+2460バランスの取れた記述をすること、U+2461そしてモルモン教に対する批判を述べるときも、実際にモルモン教徒の方々が認めている批判を載せるように試みたこと。また、モルモン教会を賞賛するときは、外部の人間が認めている賞賛の声を反映するように試みたことである。U+2462また、モルモン教徒やモルモン教会の「途方もない発言」や「根も葉もない主張」にたいしては、客観的な事実をつきつけるよう試みた。
 
 
 
私が思うには・・・ (ジョン・ドゥ)
2016-05-25 07:01:11
『素顔のモルモン教』に対するNJさんの論調は、モルモン護教派に対する私の論調に何となく似ているなぁ、と。

人は譲れないものがあるときには熱くなるものなのですね。その点に関してはNJさんに親近感を覚えました。立場は違いますが
 
 
 
まぁあってしかるべき。 (オムナイ)
2016-05-25 10:22:02
国際基督教大学卒の宗教を研究している教授の本となると批判的にならざるおえないのでしょうね。


NJさんの「モルモン教をどう見るか」が今後の研究本の標準になっていくと予想します。

 
 
 
真面目に考えてNJさんの著者が (ジョン・ドゥ)
2016-05-25 18:11:41
標準になっていけばそれはそれで良いことですね。でも「モルモン教をどう見るか」ではない、あれはサブタイトルにもあるように第3の視点を探る、つまり今までと違う観点を提唱するぞと言うNJさんの所信表明みたいな本ですから。

それはそれで意味があるけれどもはっきり申し上げて分量が足りないですわ。あの本で示そうとしたスタンスで教会歴史の再解釈をした新刊を出されるべきです。それくらいしないと高橋教授の著書を凌駕することはできないでしょう。

Amazonの書評を見ても、モルモン会員なのにここまで言えるのかと言った評価が目立ちます(評価したのは恐らく教会員)。それは逆に言えば内容自体に目新しさはなかったと言うことです。長く教会にいるがこんな風に考えたことはなかった、とみんなが思うようなことを書いて欲しいなと思う次第です。

だってNJさんしかいないでしょ、そう言う本を書けるのは。
 
 
 
”第3の視点”というのは、超 (たまWEB)
2016-05-29 23:31:26
言い得て妙なりという感じでは?!
教会の一ヒラ会員にしてみると、学者さん同士の見解の論争に(例 アンチ的 VS 護教的)巻き込まれないで、信仰続けてるわけで、そのような一人一人の視点、信仰の持ちようを指して言った言葉に聞こえて、たまWEBには、しまうんでしたぁぁ・・・
 
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