[イメージ。比率など本文と関係ありません]
昨年、東京であるモルモニズム研究者が口にした言葉に一瞬「えっ」と思ったが、あり得ることかと変に納得したことがあった。それは「日本のモルモン教徒と言えば、まずアメリカの軍人とその家族がいて、ビジネスマンの駐在員と家族が続き、それから日本人の会員がくる」と何気なしに言った表現だった。
研究者の目から見れば、われわれは第三の存在にしかすぎないのか?ショックだった。しかし、駐留している米軍人の末日聖徒の人数は無視できないもので、三沢、座間、沖縄など米軍基地に教会が活動しており、関東の米人ビジネスマンも一時より少なくなったと言っても、東京神殿別館は米国人が礼拝についてはほぼ占用し、洗足の教会堂もすっかり米人会員が使用するところとなっている。
もちろん上のような見方があっても気にすることはないのだが、モルモン教と言えば文化・思想的にアメリカの宗教と見なされ、それ以上に出ない、また日本の教徒はそこに属し、下位に位置する(モルモニズムを見るのに日本の方を見ることはない)のである。われわれは所詮周縁にいる異邦の群れなのだろうか。
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http://ameblo.jp/chakakk/entry-11756596299.html
アメリカの末日聖徒は、みんなと言うわけではありませんが、霊的な力を感じるのです。
たまたま、普天間の軍人地方部の方と接する機会があり、表現するのは難しいのですが、やっぱり違いがあるのを認めざるを得なかったです。
日本人が本来持っている素晴らしい、「和の心」「律儀さ」「誠実さ」「親切」は、他の国々の人をしのぐものはありますが、霊的な面に関しては、アメリカ人の方が祝福されているように思います。
日本人がそういう面でも祝福されたら「凄い!」と思いです。
ちゃかさんのブログ少し読みました。
気の毒な方で、気になります。
わたしの理解している観点からだと
「知恵の言葉」に関する内容に信ぴょう性を感じていません。日本人の教会幹部を擁護する気持ちは毛頭ありませんが、「知恵の言葉を守れない」会員が教会幹部に主が召されるはずがないということです。
「知恵の言葉」を守っていなければ、主からの霊感をうけられないというのがわたしの理解でもあり、また、
「知恵の言葉を守れない」そのような状況を繰り返していれば、教会から遠ざかっていくというのがわたしの認識です。統計的に教会をお休みしている多くの会員の中には「知恵の言葉」を守らずにいることがきっかけになっているように思います。
「知恵の言葉の戒め」は教会に行き続ける助けになっているのは確かだと思っています。
人をごまかすことができても主を侮ることはできません。