(2011年9月撮影)
さすがに伊勢や高砂のインパクトが強いもので、あそこまでの規模・香ばしさではありませんが、
四日市北部の富田地区には14-5年位前まで東洋紡の富田工場がありました(現在はイオンのショッピングセンターになっている)
後日特集します群馬の富岡や下仁田もそうなのですが、昔の紡績工場というのは大勢働いてるものですから、その工場の近隣は
たいてい商店街が形成される事が多いようです。
そんな中、工場が無くなって十数年(無くなる直前もかなり規模は縮小していたのだが)、工場の門前商店街はどうなっているのか気になりまして、散策してみました。
昔ながらの荒物屋さん。
国道一号線を渡り、いよいよ東洋町商店街のメインストリートへ。
平日でたまたまお休みなのか、閉じてしまったのかほとんどがシャッター。強烈な晴天とあいまって色あせ感が。。。
まさに「眠そうな町」
東洋町発展会の街灯。工場のお膝下らしいネーミングの商店街であります。
お茶屋さん
こちらは昭和テイストただよう喫茶店。やってなさそうでした。。
こちらは呉服店
平日のお昼間ということもあってか、人どおりも無くお店もほとんどシャッター。。。寂しい。
東洋町界隈をゆらゆら。古い家屋が多いです
相当年季の入ったたばこスタンドも!
JR富田駅(西口)の駅前にある商店跡。私の記憶では少なくとも15年前にはすでにやってなかったような。
JR富田駅(西口)にやって参りました。駅舎の屋根はこの地区のお祭り「鯨船」をモチーフにしたものだとか。
貨物列車が通過してまいります。タンク車が多く、四日市コンビナートから主に長野方面へ石油を輸送しているようです。
四日市・亀山方面のホームの名古屋よりにて。廃止から30年は経過してると思いますが、かつて
関西本線を走っていた急行紀州(名古屋から紀伊勝浦方面)、急行平安(名古屋-亀山-草津線回りで京都、意外ですが短縮路)
の乗車位置目標の残骸。塗りつぶされてるとはいえ、よくまあ残ってたものです。
三重編も最終回。次回は桑名駅周辺をウロウロしてみます。ご期待ください。
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さすがに伊勢や高砂のインパクトが強いもので、あそこまでの規模・香ばしさではありませんが、
四日市北部の富田地区には14-5年位前まで東洋紡の富田工場がありました(現在はイオンのショッピングセンターになっている)
後日特集します群馬の富岡や下仁田もそうなのですが、昔の紡績工場というのは大勢働いてるものですから、その工場の近隣は
たいてい商店街が形成される事が多いようです。
そんな中、工場が無くなって十数年(無くなる直前もかなり規模は縮小していたのだが)、工場の門前商店街はどうなっているのか気になりまして、散策してみました。
昔ながらの荒物屋さん。
国道一号線を渡り、いよいよ東洋町商店街のメインストリートへ。
平日でたまたまお休みなのか、閉じてしまったのかほとんどがシャッター。強烈な晴天とあいまって色あせ感が。。。
まさに「眠そうな町」
東洋町発展会の街灯。工場のお膝下らしいネーミングの商店街であります。
お茶屋さん
こちらは昭和テイストただよう喫茶店。やってなさそうでした。。
こちらは呉服店
平日のお昼間ということもあってか、人どおりも無くお店もほとんどシャッター。。。寂しい。
東洋町界隈をゆらゆら。古い家屋が多いです
相当年季の入ったたばこスタンドも!
JR富田駅(西口)の駅前にある商店跡。私の記憶では少なくとも15年前にはすでにやってなかったような。
JR富田駅(西口)にやって参りました。駅舎の屋根はこの地区のお祭り「鯨船」をモチーフにしたものだとか。
貨物列車が通過してまいります。タンク車が多く、四日市コンビナートから主に長野方面へ石油を輸送しているようです。
四日市・亀山方面のホームの名古屋よりにて。廃止から30年は経過してると思いますが、かつて
関西本線を走っていた急行紀州(名古屋から紀伊勝浦方面)、急行平安(名古屋-亀山-草津線回りで京都、意外ですが短縮路)
の乗車位置目標の残骸。塗りつぶされてるとはいえ、よくまあ残ってたものです。
三重編も最終回。次回は桑名駅周辺をウロウロしてみます。ご期待ください。
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見事に人がいませんが、お店が開いていても閉まっていても、きっと同じような感じなのでしょうね。
最後のホームの文字、よく発見されましたね。
平安号も紀州号も大変懐かしいです。
関西本線も今はややローカルですが、かつては急行が奈良や京都、湊町(JR難波)まで走っていたのであります。
昭和59年以降と、JRになってからの10年間の変化の大きさに驚くばかりであります。