Story
一枚上手の相手の登場に調子を狂わされるスリの青年、ダイヤモンド街で商人に打ち明け話をする挙式を控えた若いユダヤ女性、引きこもりの作曲家、プロムに胸をときめかせる高校生、行きずりの関係にのめり込め男女、思い出のホテルを尋ねる元オペラ歌手、街角で口説き文句を披露する作家、最後のミューズを追い求める老画家…。そして、街の至る所でカメラを回し続けるビデオアーティストが彼らの姿を捉えていた。(goo映画より)
2009年/アメリカ
評価 ★★★★☆
NYを舞台に、生きる事はアートだ。と語りかけるショートストーリー集。全ての物語がそれぞれ個性があって面白かったのですが、特にミーラー・ナーイル監督と岩井俊二監督のパートが印象に残っています。
それでは、全挿話を簡単に総括してみたいと思います。
<第1話 チアン・ウェン監督作品>
スリの青年(ヘイデン・クリステンセン)が一枚上手の中年紳士ギャリー(アンディ・ガルシア)に手玉に取られる。軽快な展開はオープニングにぴったり。
<第2話 ミーラー・ナーイル監督作品>
ナタリー・ポートマンがダイヤモンド商人として登場。ユダヤ教徒の厳格派だと思いますが、彼らの風習を映画で見るのは初めて。最先端の街に厳格に教義を守って生きる彼らが存在するのは、NYに異世界の扉が開いたみたいで、一種幻想的な雰囲気を醸し出します。
<第3話 岩井俊二監督作品>
サウンドトラックの作曲家デイヴィッド(オーランド・ブルーム)と映画監督アシスタントのカミーユ(クリスティーナ・リッチ)。監督の意向でドストエフスキーを読んで作曲しろと要求されてしまったデイヴィッド。困ってしまった彼とカミーユの電話でのやり取りが軽妙に展開。デイヴィッドの部屋のモニターに「ゲド戦記」の一場面が映ったりします。電話で会話するうちに親密になったふたりがついに対面するラストがお洒落にきまりました。日本的な繊細さというか、良い意味で全挿話の中でも異彩を放っていたと思います。
<第4話 イヴァン・アタル監督作品>
作家の男(イーサン・ホーク)が魅惑的な女性(マギー・Q)を口説きに口説くが、実は彼女は娼婦でしたというオチ。最後のイーサンの姿が情けなくて笑える。
<第5話 ブレット・ラトナー監督作品>
プロムを控えた若者(アントン・イェルチン)が馴染みの薬剤師リッコリ(ジェームズ・カーン)から、お相手の彼女をプレゼントされる。車いすの彼女が実は俳優の卵で、「この命誰のもの」の役造りでしたというお笑いの一席。一番コメディ色の強い作品でした。ジェームズ・カーンが貫禄。
<第6話 アレン・ヒューズ監督作品>
リディア(ドレア・ド・マッテオ)とガス(ブラッドリー・クーパー)のラブアフェア。夜の街を彷徨する二人が印象的。彼らの恋はほんとNY的ですね。
<第7話 シェカール・カプール監督作品>
元オペラ歌手イザベル(ジュリー・クリスティー)とホテルマンのジェイコブ(シャイア・ラブーフ)の触れ合い。突然窓から身を投げた彼は、その父(ジョン・ハート)の若い頃の幻影なのか?説明を省いた展開が観客の想像力を刺激します。
シャイア・ラブーフが純真な青年役を好演。彼はアクション俳優としては顔が奇麗すぎるので、こういう役の方がしっくり来ますね。
<第8話 ナタリー・ポートマン監督作品>
セントラルパークを散歩する、白人の少女テヤと子守り?の黒人の青年ダンテ(カルロス・アコスタ)。少女テヤのイマジネーション溢れるセリフがナタリー・ポートマンの才覚を感じさせます。
<第9話 ファティ・アキン監督作品>
チャイナタウンで働く中国人女性(スー・チー)に心をよせる老画家(ウグル・ユーセル)。この画家が年齢は違えど、夭折した天才画家のバスキアを想わせます。彼のイノセントな愛情が心に残る一編。
<第10話 イヴァン・アタル監督作品>
アレックス(クリス・クーパー)とアンナ(ロビン・ライト・ペン)の掛け合いが、第4話のイーサンとマギー・Qの韻を踏んでいるような感じ。
<第11話 ジョシュア・マーストン監督作品>
老夫婦(クロリス・リーチマンとイーライ・ウォラック)の口喧嘩をしつつも互いを思い遣る姿は、他の映画で何度も観たような風景ですが、ほのぼのとした後味を残します。
<インサート映像 ランディ・バルスマイヤー監督作品>
アーティストのゾーイ(エミリー・オハナ)が人々の生活の一面をビデオで切り取って行く。各挿話の主人公達が彼女のビデオに収められる訳ですが、中でもいいなと思ったのはイーサン・ホークの場面。ビデオにむかってお休みと伝える彼の姿が、孤独な彼女へのおもいやりを感じさせました。
映画の締めくくりは、ゾーイが撮影した人々の生活の断片が壁に映し出される、彼女の個展の場面。”ゾーイ”には確か”生きる”という意味があったと思います。人々の日々の営みがアートになった瞬間。NYに生きるっていいなと憧れてしまう幕切れでした。
余談ですが、もう1本のNYを舞台にしたショートストーリー集「ニューヨーク・ストーリー」(1989)のフランシス・フォード・コッポラ篇にゾイという名前の少女が出てきました(両親は音楽家)。もしかしたら、ゾーイは成長した彼女の姿なのかなと思ったりして。
(「ニューヨーク,アイラブユー」 2010年6月27日 松本市エンギ座 にて鑑賞)
一枚上手の相手の登場に調子を狂わされるスリの青年、ダイヤモンド街で商人に打ち明け話をする挙式を控えた若いユダヤ女性、引きこもりの作曲家、プロムに胸をときめかせる高校生、行きずりの関係にのめり込め男女、思い出のホテルを尋ねる元オペラ歌手、街角で口説き文句を披露する作家、最後のミューズを追い求める老画家…。そして、街の至る所でカメラを回し続けるビデオアーティストが彼らの姿を捉えていた。(goo映画より)
2009年/アメリカ
評価 ★★★★☆
NYを舞台に、生きる事はアートだ。と語りかけるショートストーリー集。全ての物語がそれぞれ個性があって面白かったのですが、特にミーラー・ナーイル監督と岩井俊二監督のパートが印象に残っています。
それでは、全挿話を簡単に総括してみたいと思います。
<第1話 チアン・ウェン監督作品>
スリの青年(ヘイデン・クリステンセン)が一枚上手の中年紳士ギャリー(アンディ・ガルシア)に手玉に取られる。軽快な展開はオープニングにぴったり。
<第2話 ミーラー・ナーイル監督作品>
ナタリー・ポートマンがダイヤモンド商人として登場。ユダヤ教徒の厳格派だと思いますが、彼らの風習を映画で見るのは初めて。最先端の街に厳格に教義を守って生きる彼らが存在するのは、NYに異世界の扉が開いたみたいで、一種幻想的な雰囲気を醸し出します。
<第3話 岩井俊二監督作品>
サウンドトラックの作曲家デイヴィッド(オーランド・ブルーム)と映画監督アシスタントのカミーユ(クリスティーナ・リッチ)。監督の意向でドストエフスキーを読んで作曲しろと要求されてしまったデイヴィッド。困ってしまった彼とカミーユの電話でのやり取りが軽妙に展開。デイヴィッドの部屋のモニターに「ゲド戦記」の一場面が映ったりします。電話で会話するうちに親密になったふたりがついに対面するラストがお洒落にきまりました。日本的な繊細さというか、良い意味で全挿話の中でも異彩を放っていたと思います。
<第4話 イヴァン・アタル監督作品>
作家の男(イーサン・ホーク)が魅惑的な女性(マギー・Q)を口説きに口説くが、実は彼女は娼婦でしたというオチ。最後のイーサンの姿が情けなくて笑える。
<第5話 ブレット・ラトナー監督作品>
プロムを控えた若者(アントン・イェルチン)が馴染みの薬剤師リッコリ(ジェームズ・カーン)から、お相手の彼女をプレゼントされる。車いすの彼女が実は俳優の卵で、「この命誰のもの」の役造りでしたというお笑いの一席。一番コメディ色の強い作品でした。ジェームズ・カーンが貫禄。
<第6話 アレン・ヒューズ監督作品>
リディア(ドレア・ド・マッテオ)とガス(ブラッドリー・クーパー)のラブアフェア。夜の街を彷徨する二人が印象的。彼らの恋はほんとNY的ですね。
<第7話 シェカール・カプール監督作品>
元オペラ歌手イザベル(ジュリー・クリスティー)とホテルマンのジェイコブ(シャイア・ラブーフ)の触れ合い。突然窓から身を投げた彼は、その父(ジョン・ハート)の若い頃の幻影なのか?説明を省いた展開が観客の想像力を刺激します。
シャイア・ラブーフが純真な青年役を好演。彼はアクション俳優としては顔が奇麗すぎるので、こういう役の方がしっくり来ますね。
<第8話 ナタリー・ポートマン監督作品>
セントラルパークを散歩する、白人の少女テヤと子守り?の黒人の青年ダンテ(カルロス・アコスタ)。少女テヤのイマジネーション溢れるセリフがナタリー・ポートマンの才覚を感じさせます。
<第9話 ファティ・アキン監督作品>
チャイナタウンで働く中国人女性(スー・チー)に心をよせる老画家(ウグル・ユーセル)。この画家が年齢は違えど、夭折した天才画家のバスキアを想わせます。彼のイノセントな愛情が心に残る一編。
<第10話 イヴァン・アタル監督作品>
アレックス(クリス・クーパー)とアンナ(ロビン・ライト・ペン)の掛け合いが、第4話のイーサンとマギー・Qの韻を踏んでいるような感じ。
<第11話 ジョシュア・マーストン監督作品>
老夫婦(クロリス・リーチマンとイーライ・ウォラック)の口喧嘩をしつつも互いを思い遣る姿は、他の映画で何度も観たような風景ですが、ほのぼのとした後味を残します。
<インサート映像 ランディ・バルスマイヤー監督作品>
アーティストのゾーイ(エミリー・オハナ)が人々の生活の一面をビデオで切り取って行く。各挿話の主人公達が彼女のビデオに収められる訳ですが、中でもいいなと思ったのはイーサン・ホークの場面。ビデオにむかってお休みと伝える彼の姿が、孤独な彼女へのおもいやりを感じさせました。
映画の締めくくりは、ゾーイが撮影した人々の生活の断片が壁に映し出される、彼女の個展の場面。”ゾーイ”には確か”生きる”という意味があったと思います。人々の日々の営みがアートになった瞬間。NYに生きるっていいなと憧れてしまう幕切れでした。
余談ですが、もう1本のNYを舞台にしたショートストーリー集「ニューヨーク・ストーリー」(1989)のフランシス・フォード・コッポラ篇にゾイという名前の少女が出てきました(両親は音楽家)。もしかしたら、ゾーイは成長した彼女の姿なのかなと思ったりして。
(「ニューヨーク,アイラブユー」 2010年6月27日 松本市エンギ座 にて鑑賞)
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