朝は晴れていたのに、逝く夏の置き土産のような雨が降ってきた。去っていく季節は、一度たりともあの輝かしい夏の陽光の記憶を残さないまま、次の季節に任せてしまうようだ。もういい、愛想のない夏などには未練はない。もう二度と思わせぶりな態度を見せずに、さっぱりと消えてくれれば、それだけでいい。
秋の先駆けを思わせる快い風が吹いてきた。そういえば今朝、久し振りに松倉の集落を通ってきたら、もう、ススキの穂が目に付いた。「笠原の堤」の近くでは、まだ、ヒマワリが「金の油を身に浴びてゆらり」と見えていたが、すでに一部の葉は焼けただれ無惨な姿を晒していた。印象派の巨匠は、この花のそういう醜悪な破綻は描かなかったのではと、そんな曖昧な記憶を思い浮かべながら、いつもとは違う山道を来た。
雨は昼になっても降ったり止んだりの相変わらずの気紛れを繰り返している。牛たちはいつもと変わらず草を食み、反芻し・・・、と、その中の1頭がふっと動きを止めた。そしておもむろに辺りを見回し、今度は考え深気に草を見つめたままそれを食べようとしない。そのうちに少し移動した。どうやら草の味が気に召さなかったと見えた。
フェンスの近くの2頭の和牛は、それぞれが反対の方向を向いて座ったまま、先程から草の中に埋もれて動かない。1頭は種牛のマッキーだろう、笑える。牛はどことなくその鈍重な動きがユーモラスで、放っておけばいつの間にか自然と一体化してしまうみたいだ。
さっきのホルスが移動して、反芻を続けている別の乳牛の横で草を食べ始めた。何故か和牛も1頭その後を追った。もしかしたら、その牛がマッキーかも分からない。
今朝の毎日新聞の地方版によれば、南信州の肥育家の育てた和牛が、京都食肉市場で今年から始めた「黒毛和牛の最高品質を保証する認定制度」で、「特選牛」第1号に選ばれたと大きく報じていた。和牛の肥育というのは経験と技術、それに絶えざる研究努力が必要な難しい仕事だと聞かされている。まさしく快挙と言うにふさわしい。
ただ、こうした食肉用の和牛の一生は、およそ2年4,5か月と、短い。
K松さん、コメント欄からの予約を了解しました。お待ち致します。O沢さん、「速報」興味深く拝読。こちらでも分かることはないか、少々調べています。
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