風の音に混じり鹿の鳴く声がする。権兵衛山の国有林の方からだ。きょうもまずまずの秋日和で、現在午前6時半の気温は10度と、昨日とはたった1,2度の差でも、大分体感温度が違う。窓を開けているが寒さを感じない。落葉松の林の向こうに日が昇り出した。もう少し気温が上がれば、今聞こえている林を揺らす風の音も止むだろう。
目の前に見えている景色はいつもの朝と変わりない。それでいて、移りゆく季節の中でその表情の豊かさ、深さは見る者の身体にまで沁み込んでしまっている。いつかこの風景が日常から消えてしまう日が来ることは確実だが、人生の終局など忘れていたいように、同じくそれを考えまいとしている。
鹿の捕獲が上手くいかない。昨日も誘引用の塩を新たに用意してみたが効果はなかった。今年は2回ばかり、それぞれ1頭だけが罠に入り、それら「囚われの鹿」と呼んだ2頭はしばらく罠の中で過ごした後に放免してやた。それがいけなかったにしてもあの鹿たちが、一体どうやって仲間の鹿たちに、囲い罠が危険であることを教えたのだろうか。
「Sharp Shooting」いう捕獲方法について以前に呟いたことがある。これについて、鹿の頭部を撃てば、他の鹿は逃げないなどというとんでもない誤読、解説をした識者もいたが、正しくは確実に捕獲するという意味だ。鹿に銃の恐ろしさを学習させないように、確実に射殺できる場合だけ撃つというこの考え方、方法はアメリカから来た。だから、多数の鹿がいる場合は逃げる鹿もいるため、撃たない。
しかし、鹿が人を怖れるのは日本では縄文の時代からで、今に始まったことではない。仕留められなかった(半矢)鹿が逃げたとして、その段階でようやく人や、銃の恐ろしさを学んだわけではないはずだ。だから今では、猟師はこんな方法に関心はないし、何頭か逃がしても、そんなことは意にも介さない。
問題はさてどうして、あの塩の匂いがプンプンと匂う、涎の出るような罠の中に1頭の鹿さえ入らないかということだ。これだけ捕獲できないということは、放免してやった2頭の鹿が、学習したことを仲間に教えたことはほぼ間違いないと思う。
しかし、これまでに何百頭もの鹿を罠に誘導することに成功し、銃で撃ち殺してきた。それを考えても、今回これだけ長く掛からないとなると、どうもこれまでとは様子が違うような気がする。囚われの鹿を逃がしたのが仇となったか。
赤羽さん、お手製の味噌大変美味しく頂きました。これからが楽しみです。ありがとうございました。
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本日はこの辺で。