夢を見ていた。いや、もしかすれば、あれは眠れぬまま頭の隅に巣くった妄念かも知れない。
牧を閉める前に最後に小屋に泊まった人たちは手をつなぎ満天の星を眺め、自分たちと似たような知的生命体の存在を思い浮かべていた。
彼と彼女らだけでなく、この広大無辺の宇宙に、われわれ人間と似た知的生命体の存在の有無や、その来訪の可能性を、誰でもが一度や二度は考えただろう。あの無数の煌めく星々はわれわれの太陽のように惑星を持っていて、地球と似た環境の星もその中にあると考えるのは容易だし自然だ。そして宇宙人の存在も。
しかし、ちょっと見方を変えてみたい。例えば、地球から電波が発信されるようになって百数十年経つらしいが、つまり百数十光年の距離までは届いているはずだ。もしわれわれと同程度の知的生命体が存在しているなら注意深く、関心を持って傍受を続けていると考えたくなるが、しかし、そういうことが実際にありえるだろうか。
宇宙が誕生したのが138億年前、太陽系が形成されたのが46億年前と言われる。ところが、人間の遠い先祖がサルと別れ、別の進化の道を歩み始めたのはたったの数百万年前、それからずっと下って60万年ほど前に人類はネアンデルタールやデニソワとは別な系統を歩み始め、20万年ほど前には出アフリカを遂げ、その後地球の各地に散らばっていったらしい。
宇宙の歴史と比べたら、いや地球の歴史と比べても、人類の歴史はあまりにも短い。億と数百年、そして百数十年と単位が違い過ぎる。しかも、文明の誕生から今日までより、そこに至るまでの狩猟採集の歴史の方がもっと長い。マルコーニが電磁波を通信手段として使えるようにしたのは1895年、つい昨日のことだ。
地球に似た文明はどこかに存在しただろうし、今後も存在するだろう。しかし、こんな一瞬の瞬(またた)きにも似た短い時間に、同程度の文明を享受する知的生命体が、どこかで同時に存在するなどということが、いくら百数十光年の範囲であってもありうるのだろうか。あったらいいが。
これが昨夜のウイスキーによる夢と判別しがたいような、妄想であった。
本日はこの辺で。