まだ落日と呼ぶには少し間があった。太陽は中アのほぼ中間となる、駒ケ岳と経ヶ岳の間に沈んでいこうとしていて、長細い夕暮れの雲が山並みを隠すようにその上に棚引いていた。
牧柵の冬支度とは、この第4牧区の場合は急な斜面に設置してある支柱を抜き、そこに翌年のための目印にする杭を埋め、支柱は安全な場所に移し、アルミ線は地上に這わせておくといった作業を言う。
こうすることは、春になってから残雪が重力によって下方に移動する際に、支柱がその力で折られないようにするための策である。また、今から雪のことを気にかけるのは、その年の降雪量によってはこうした努力が功を奏することもあれば、無駄になる場合もあるからだ。
それと、目印の杭など埋めるよりかも、前年に拘ることなく新たな場所に支柱を打ち込んだ方が楽ではないかと、いつも作業を前にして迷う。それでも、初めてここに牧柵を設けた時の苦労を思うと、果たしてどちらが良いかまだ結論には至っていない。
それを一応終えて、小入笠の山頂近くでしばらく周囲の景色に見入っていると、近くの柔らかな草の生えた手頃な平地が目に付いた。久しぶりにそこで心のラジオ体操でもやってみたらどうかと、まるで誘われるように腰をおろし、座ってみた。外で「座る」ことは滅多にしかしない。
時々鹿の声がする以外に音は消えていた。見下ろした近くの森や渓は色付き始め、白樺やダケカンバの林は黄色が増え、落葉松の赤茶けた色が「初の沢」の谷を埋めていた。
1本の落葉松の梢が目線の先にあり、その背後の落日と化した太陽も同じ高さにあった。時々そちらにも目を移した。
しばらくすると、雲の背後に隠れたと見ていた太陽が、灰色だった雲の周囲を黄金で縁取り、荘厳な色を輝かし始めた。その様子を目にしながらも、より関心が行ったのは、その上に現れた淡い澄んだ水色の空間だった。すでに空の大半は夜の始まった暗黒色で、今は自らと相手とを辛うじて分かつことができても、やがては暗い空と一体化して消えていくだけでしかない儚い色だ。
その短命な色を何とも懐かしく感じた。どこかで見た記憶があったが、すぐには思い出せなかった。
しばらくして、ようやくそれは遠い昔しに、敗退の無念さを噛みしめながら眺めたあの白夜の空であったと分かった。その時の仲間の遠ざかっていくアイゼンの音も、忘れずに耳の奥で聞いた。
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