霧が深い。昨夜来の雨は止んでいる。外へ出てみたら、雨の降ったせいか、また多量のキシャヤツデが発生していた。7年もかけてようやく地上に出てきたのに舗装道路の上では、コンクリート上に肥料を撒くようなもので、大多数の小さな生命は落葉を土に変えるという使命を果たせぬまま終わるのだろう。それも、そんな役目を自然から与えられていたことも知らずに。
3連休でまた山岳事故が幾つも発生した。就中、槍ヶ岳近くで凍死した50歳代の女性の遭難には思うこと、考えることがあった。
彼女の通った西穂から奥穂、さらに槍までのコースは、一応山の経験を積んだ人のものとされている。特に西穂から奥穂間には「ジャンダルム」や「ロバの耳」など気を付けなければならないきわどい岩稜が続き、これまでにも多数の事故が発生している。
詳しいことは分からないが、単独で槍ヶ岳付近まで無事に来られたのだから、山行目的はほぼ果たしたことになる。槍を最後の登行目標にしていただろうから、それを終えれば、後は上高地まで下るだけだ。
登山届には、この山行のために10日も日数を用意してあったようだから、時間的には充分な余裕があったはずだ。考えられる事故原因は、やはり6日から7日にかけて降った雪だったろう。この時季の水気を多量に含んだ雪は雨具を浸透してしまうこともあるから、厳冬期の粉雪よりかも厄介で危険である。
さぞかし無念だったと思う。それなりの経験を積んだ人だったと思うし、充分な準備をし、自信もあっただろう。恨むべきは、やはりあの雪ということになるのだろうか。
ただし、他にも考えられそうなこととして、用意した日数が逆に足を引っ張った可能性も考えられる。若かったころ、槍には登らず、下山路を上高地ではなく仙丈沢を湯俣に下ったことがあるが、それ以外は西穂高温泉から西、奥、北穂高、槍の肩までこの女性と同じコースを、やはり単独で経験したことがある。
それから言えることは、途中で登攀など別な予定さえ入れなければ10日は必要ないということで、事実この女性も、4日か5日で事故死した槍ヶ岳付近まで来ている。
10日分の食料と予備も入れれば、ザックの重量はかなりの重さになる。そのために極度の疲労に陥り、それが遭難の原因に繋がったかも知れない。あるいは反対に、背負う荷物の重量を軽減しようと食料を切り詰め、ためにひどい空腹状態であったということも考えられなくはない。
涸沢では多くの人が思いがけない雪と紅葉の景色を喜んだようだが、その陰で他にも惜しまれる山岳事故があった。中高年の登山者は稲の取入れ時季が過ぎたら、森林限界を超えるような山には行かない方がいいと言った人がいたが、一つの目安になるのではないか。
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